蔓は、相手の形をなぞる——オキーフ・バーン=ジョーンズ・カメロンほか九点
木や草は自分の形を持つ。蔓は持たない。柱に巻けば螺旋になり、壁を覆えば面になり、岩に這えば塊になる。九点のうち四点で、蔓の形は相手の形をそのままなぞっていた。藤の花は一点にも咲いていない。線として見えるとき蔓は動き、面として見えるとき覆いになる。

黒い地から、白い漏斗が現れる
縦長の画面である。
額なしで91×75.5センチある。
画面の下半分は、黒に近い暗い緑である。
その暗がりから、白い形が立ち上がる。
形は漏斗のようで、口が広く開いている。
口の縁は波打ち、外へ反り返る。
内側は奥へ向かってすぼまり、細くなる。
その奥は、淡い緑がかった白である。
花である。
朝顔の花が、画面のほとんどを占めている。
花の左には、葉が一枚ある。
葉は心臓の形で、先が尖る。
葉脈が濃い緑で描かれている。
右下には、細い蔓が伸びる。
蔓は先で丸く巻いている。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
見えるのは、一輪の花が人の顔ほどの大きさに描かれていることである。
実際の朝顔は、掌に収まる。
それを何倍にも拡大している。
拡大すると、花は花に見えなくなる。
見えるのは、白い面と、その奥の暗がりである。
そして拡大されているのは花だけで、蔓は細いままである。
色の使い方も見ておきたい。
白と、暗い緑と、わずかな灰色しか使われていない。
輪郭線は引かれていない。
花びらの縁は、白と暗がりの境として現れる。
境の線は、場所によって鋭くも柔らかくもなる。
その差が、花びらの厚みと反り返りを作っている。
背景の暗さは、平らではない。
近づけば、緑と黒が混ざり合っているのが見える。
朝顔は朝に咲き、昼にはしぼむ。
その短さについては、館の記録は何も書いていない。
巻きつくものは、何に巻きつくか
この一点を出発点に、蔓と蔦と藤の絵を九点数えていく。
蔓のある植物は、自分では立てない。
何かに巻きつき、寄りかかって伸びる。
だから絵の中では、巻きつく相手が必ず一緒に描かれる。
壁、木、柱、あるいは器の縁。
先に言ってしまうと、九点のうち、蔓が何かに巻きついているのは五点である。
二点では、蔓は文様として面を埋めている。
一点では、蔓は花だけを拡大されている。
そして一点では、藤の字が一族の名になっている。
前の回で柳が枝の向きだけで成り立つことを見た。
蔓の場合、形を決めるのは相手のほうである。
そして題に藤の字を持つ一点には、藤が描かれていない。
蔓の植物は、名前の側へも移りやすい。
眠る人々に、蔓が絡む
二点目は、素描である。

横長の画面である。
32.3×60.2センチある。
地の色は、淡い黄緑である。
平らに塗られ、奥行きがない。
その面の上に、人が六人いる。
みな眠っている。
左では、女がひとり、床に体を横たえる。
中央には、機の前に座ったまま伏している者がいる。
右には、井戸のそばで身を丸めた者がいる。
衣の襞は、細かい線で折り重なる。
そして人々のあいだを、蔓が走っている。
蔓は細く、幾度も曲がる。
葉は小さく、蔓に沿って並ぶ。
棘のようなものも見える。
蔓は人の腕や、機の枠に絡んでいる。
館の記録では、これは眠りの物語に関わる素描である。
作者は、この主題に生涯のうち何度も取り組んだ。
三十年のあいだに、三組の連作を仕上げたという。
そして館は、この画面をこう説明する。
蔓が、平らな黄緑の地に対して唐草を描くようにねじれ、機と井戸のそばで眠る六人の召使いを絡め取っている。
館の記録は、そう読んでいる。
つまり蔓は、眠りを閉じ込める檻として描かれている。
九点のうち、蔓が人に絡んでいるのは、この一点である。
平らな地の色も効いている。
黄緑の面には、遠近も、光の方向もない。
そのため、蔓と人は同じ層に並ぶ。
もし奥行きがあれば、蔓は手前、人は奥になるだろう。
平らにすることで、絡むという関係だけが残る。
そして館の記録は、後世の読み方も紹介している。
右の機の前の人物を、芸術の労働の象徴と見る解釈である。
産業化した社会の中で、それが眠っているという読みだという。
館の記録は、その解釈を研究者の名とともに記している。
蔦の壁の前に、人が立つ
三点目は写真である。

縦長の一枚である。
女性が、上半身を写されている。
顔はやや左を向き、目は伏せられている。
髪は中央で分けられ、後ろでまとめられている。
首は細く長い。
衣は暗い色で、襟が高い。
そして背後に、葉が一面に広がっている。
葉は小さく、心臓の形をしている。
重なり合い、壁を覆っている。
蔦である。
葉の輪郭は、焦点が合っていない。
顔の部分だけが、はっきりと写っている。
館の記録では、この人は当時の英国で名高い美しさの人だった。
二十一歳で結婚し、三年後に夫を亡くした。
この写真は、二十八歳のときのものである。
蒼白く、目のくぼんだ姿で、悲しみに取り憑かれた姿として写っていると記録は書く。
そして館は、背景についても一行を添えている。
彼女は蔦の壁の前に立っている。
蔦は常緑の植物で、永遠と忠実を意味した。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの蔦は、意味を担うために選ばれた背景である。
九点のうち、蔦が意味として使われているのは、この一点である。
焦点の合わせ方も見ておきたい。
この写真家は、意図して浅い焦点を用いた。
顔の一部だけが鮮明で、髪も背景もほどけている。
蔦の葉は、緑ではなく、褐色の階調として写る。
つまり常緑という性質は、色では伝わらない。
伝えているのは、館の記録の文である。
見る人が意味を知らなければ、それはただの葉の壁である。