柳は、枝の向きだけで成り立つ——陳洪綬・一休宗純・コローほか九点
九点のうち六点で枝は垂れていた。垂れていない二点は、題がなければ柳と分からない。枝を切られた三本の棒と、光を含んだ丸い塊である。そして一点では、しなうという性質だけが人の名になっていた。垂れた枝を悲しみと読む記録は、九点に一つもなかった。

画面いっぱいに、柳の幹が立つ
正方形に近い小さな画面である。
30.2×26.7センチしかない。
その中央を、太い幹が縦に貫いている。
幹は下から上へまっすぐ立ち、上部で画面の外へ出る。
樹皮は濃い墨で、粗くこすったように描かれている。
途中に、大きな瘤がある。
瘤の下から、細い枝が何本も垂れ下がる。
枝は長く、画面の下のほうまで届く。
葉は細く、枝に沿って点々と付く。
そして幹の右下に、人がひとり立っている。
長い衣をまとい、腰を帯で締めている。
顔は横を向き、目を伏せている。
両手は袖の中で組まれている。
背丈は、幹の太さと同じくらいしかない。
地面には、低い草がわずかに描かれる。

館の記録では、この一葉は巨大な柳の木に占められている。
そして、その柳はある詩人を指しているという。
その人は、五本の柳の主という名を用いた。
館の記録は、そう書いている。
前の回で見た菊を愛でる詩人は、同じ人である。
菊の回では、垣の下の花を見ていた。
こちらでは、柳の幹の下に立っている。
同じ人物が、二つの植物によって指し示されている。
そして款記には、依頼した人の名も記されている。
五柳先生と呼ばれた人が、作者に描かせたとある。
つまり、詩人の名を借りた同時代の人がいる。
千年以上前の詩人の号を、注文主が自分の呼び名にしている。
そしてその人のために、柳と人物の絵が描かれる。
絵の中の人物が詩人なのか、注文主なのかは決められない。
館の記録も、そこは書き分けていない。
書かれているのは、巨大な柳が画面を占めていることと、詩人への言及である。
幹の太さも、その曖昧さに関わっている。
幹が太いほど、木は年を経て見える。
古い木の下に立てば、人は誰であれ小さくなる。
柳は、垂れることで柳になる
この一葉を出発点に、柳の絵を九点数えていく。
柳は、枝が下へ垂れる木である。
垂れることが、この木を見分ける最大の印になる。
そして垂れた枝は、風になびく。
だから柳の絵は、しばしば風や水を伴う。
先に言ってしまうと、九点のうち、枝が垂れているのは六点である。
二点では、柳は葉のない裸の姿で描かれる。
そして一点では、柳の語が人の名になっている。
前の回で牡丹が重なりの花であることを見た。
柳は、重なりではなく、垂れ方で描かれる。
そして垂れた枝は、線として引くしかない。
面では描けない。
だから柳の絵は、線の多い絵になる。
書の隣に、柳と燕がいる
二点目は、書の掛幅である。

細長い紙である。
画面の大部分を、文字が占めている。
行は縦に走り、字の大きさがそろっていない。
濃い墨と、かすれた墨が交互に現れる。
そして画面の一部に、絵がある。
枝が斜めに垂れ、細い葉が付く。
柳である。
その枝のあたりに、小さな鳥が飛んでいる。
翼が細長く、尾が二つに割れる。
燕である。
館の記録では、この僧は書で記憶されている。
当時の書の決まりでは、字ごとに書きぶりを大きく変えないものだった。
しかしこの人の行が進むにつれ、筆づかいは正しい書体と略した書き方のあいだをさまよう。
墨の置き方が不均等になり、字は必要最小限の画に減っていく。
館の記録は、そう説明している。
そして館は、書き込みの訳も載せている。
烏の衣を脱いでから何日たつのか、それは知らない。
その体の身軽さと整いは、うるわしい。
富める者も、位のある者も、力のある者も、囚われぬ気高い燕には近づけない。
春が来ると、愚かな僧の草庵のまわりを飛び、舞っているように見える。
館の記録は、その一節をそう訳している。
つまり柳は、燕の飛ぶ場所として添えられている。
九点のうち、柳が書に添えられているのは、この一点である。
絵と書の面積の比も見ておきたい。
文字が大部分を占め、絵はその隙間に置かれている。
つまりこれは、絵に賛を添えたものではない。
書に絵を添えたものである。
順序が逆になっている。
そして枝と燕は、文字と同じ墨、同じ筆で描かれている。
道具を持ち替えていない。
書く手が、そのまま描く手になっている。
館の記録が筆づかいのさまよいと呼ぶものは、その連続の中にある。
烏がとまる枝は、垂れている
三点目は、画帖の一葉である。

縦長の絹である。
画面の上から、枝が幾筋も垂れ下がる。
枝は細く、下へ向かって次第に細くなる。
葉は細長く、枝に沿って並ぶ。
墨は薄く、遠い枝ほど淡い。
その枝のあいだに、鳥が一羽とまっている。
体は真っ黒で、羽の輪郭が墨の濃淡で分かれる。
くちばしは太く、前へ突き出る。
首をすくめ、下を向いている。
足が枝を握っている。
枝は、鳥の重みでわずかに沈む。
館の札は「鳥」の一語である。
つまり館は、この画面を鳥の絵として登録している。
柳は札に入っていない。
しかし題には、両方の名が並ぶ。
九点のうち、柳の枝が重みで沈んでいるのは、この一点である。
制作の月まで記録されているのも珍しい。
館の記録には、1887年の11月とある。
十一月の柳は、葉を落としかけている。
この一葉の葉が少ないのは、そのためかもしれない。
もっとも、記録はそこまで書いていない。
書かれているのは、年と月と、絹に墨と彩色であることだけである。
同じ画帖の別の一葉は、鹿と猿の回で見た。
一人の画家が、同じ大きさの絹に、季節ごとの主題を描き溜めている。
芝居の背景に、柳が立つ
四点目は、役者絵である。