牡丹は、重なりをどう見せるかで分かれる——惲寿平・華嵒・バジールほか九点
花びらが幾重にも重なるので、描く人は層の示し方を決めねばならない。輪郭線を引くか、色の濃淡で示すか、面から盛り上げるか。九点はその三つに分かれ、磁器の一点では花びらが実際に立ち上がっていた。輪郭のあるものはくり返しに向き、ないものは一度きりの姿になる。

絹の上に、色あせた花が咲く
縦長の絹の画面である。
画のみで118.7×71.8センチある。
地は薄い茶色に沈んでいる。
画面の下から、太い茎が何本も立ち上がる。
茎は途中で折れているものもある。
折れ口には、細い赤みの筋が走っている。
葉は三つに分かれ、縁が波打つ。
そして茎の先に、大きな花が開く。
花びらは幾重にも重なる。
数えると、一輪に二十枚を超える。
色は淡く、白と薄紅が混じる。
輪郭線は引かれていない。
色の面が、そのまま花びらになっている。
花は全体にやや色あせて見える。
画面の上部には、細かい字で文章が書かれている。

館の記録では、作者は花と草と虫の絵の中心地に生まれた。
そして、ある抵抗運動に加わり、短く投獄され、家族の死を目にした。
館の記録は、そう書いている。
ほかの画家たちと同じように、この人も前の王朝への思いを暗号のような絵に込めた。
花の王である牡丹と、春の庭という主題は、新しい王朝のもとで別の意味を持つようになった。
書き込みは、この花を輝かしい過去を表す図柄に変えていると記録は読む。
そして館は、注意深い一行を添えている。
ここに描かれた芍薬はいくぶん萎れて色あせて見える。
折れた茎には、かすかな赤い筋が走る。
これも暗号かもしれない、と記録は書く。
つまり、色あせて描かれていること自体に意味がある。
書き込みの内容も引かれている。
北宋の無名の画家による古い絵に、五種類の花が骨のない描き方で描かれている。
その色はあまりに人を惑わすほど美しく、数百年たっても鉛の顔料は新しいようだ。
墨と色の置き方の巧みさと、構成の微妙さに心を打たれた。
館の記録は、その一節をそう訳している。
骨のない描き方とは、輪郭線を使わない描き方のことである。
この一幅も、その方法で描かれている。
つまり作者は、古い絵に倣うと書いたうえで、色あせた花を描いている。
倣うことと、いまの心を込めることが、同じ画面で重なっている。
同じ語が、木と草に分かれる
この一幅を出発点に、牡丹の絵を九点数えていく。
東アジアでは、この花は二つに分けられる。
木になる牡丹と、草である芍薬である。
冬に地上部が枯れるかどうかが、その違いである。
西洋の言葉では、その二つを一つの語で呼ぶ。
つまり、同じ語が二つの植物にまたがっている。
先に言ってしまうと、九点のうち、記録が芍薬と呼ぶのは二点である。
六点は牡丹である。
そして一点では、この花は多くの花の中の一つとして並んでいる。
前の回で菊がどこまで数えるかで描き方が変わることを見た。
牡丹の場合、数えられるのは花びらである。
岩のそばに、白い牡丹が咲く
二点目は、中国の掛幅である。

縦長の紙である。
画面の右に、大きな岩が立ち上がる。
岩は薄い墨で描かれ、輪郭が柔らかい。
表面には、細かい点が打たれている。
その岩の左と手前に、花が咲いている。
花は白い。
花びらは丸みを帯び、外側へ反り返る。
中心には、細かい蕊が黄色く見える。
葉は濃い緑で、大きく広がる。
葉脈が濃い線で描かれている。
茎は木質で、硬そうに見える。
つまりこれは、木になるほうの花である。
館の札は「牡丹」の一語である。
表装を含めれば、全体は292.1センチになる。
画のみの高さの倍以上を、表装が占めている。
岩と花の関係も見ておきたい。
岩は硬く、動かない。
花は柔らかく、数日で散る。
その二つを並べるのは、東アジアの花の絵でよく使われる型である。
長く変わらないものと、すぐ変わるもの。
そして木になる牡丹は、その中間にある。
冬にも幹が残り、春にまた花を付ける。
岩と花のあいだに立つ木として、牡丹はこの構図に合っている。
館の記録は、そこまでは書いていない。
庭の女たちが、花に水をやる
三点目は、長い巻子である。

たいへん横に長い巻子である。
高さ36.2センチに対し、長さは454.4センチある。
右から左へ、庭の場面が続く。
建物の回廊があり、その手前に庭がある。
女たちが、あちこちに散らばっている。
一人はぶらんこに座る。
数人は集まって遊びをしている。
別の一群は、楽器を鳴らしている。
弦を膝に置く者もいる。
手すりの上の鳥に、餌をやる者がいる。
水の中の魚に、餌をやる者もいる。
蝶を追う者もいる。
そして、花に水をやる女たちがいる。
その花が、牡丹である。
大きく開いた花が、庭の一角に集まって咲く。
館の記録では、これは春の日の宮殿の一角における女たちの営みを描いている。
上流の女性の暮らしは、家の庭と奥の中庭にほぼ限られていた。
この絵は、若い女たちの世界を理想化している。
実際には、退屈と、待つ時間に満ちていることが多かった。
館の記録は、そう書いている。
つまりこの牡丹は、限られた庭の中で世話をされる花である。
九点のうち、花に水をやる人が描かれているのは、この一点である。
巻子の長さも考えておきたい。
454.4センチを、一度に広げて見ることはない。
肩幅ほどずつ開いて、右から左へ送っていく。
つまり庭の場面は、順に現れては巻き取られる。
牡丹の一角も、その途中に一度だけ現れる。
見終われば、また巻かれて見えなくなる。
館の記録が退屈と待つ時間について書くのは、絵の外の事情である。
しかし巻いて見るという形式も、時間の長さを扱っている。