題箋——画面の隅に置かれた、題の枠——葛飾北斎《富嶽三十六景》九枚
枠の中に揃いの名を入れ、その隣に一枚ごとの題を続ける。国の名を一字に縮め、そこへ地名をつなげる。九枚の題は、いずれも見ている場所を示している。主題はどれも同じ山だから、変わるのは場所だけである。枠の形と置かれる位置の違いも見たい。

画面の隅に、題の枠がある
版画を九点、記録の欄で並べてみる。
九点とも、同じ揃いの一枚である。
そして九点とも、隅に四角い枠がある。
枠の中に、揃いの名が縦に入る。
その隣に、もう一つ枠がある。
そこに、その一枚の題が入る。
つまり、二段構えの表示である。
前の回でも、同じ形を見た。
こちらは、その形が徹底している。
揃いの名を、繰り返す
九点とも、同じ揃いの名が刷られている。
同じ文字が、四十六枚に繰り返される。
つまり、同じ版木を使い回したわけではない。
一枚ごとに、別の版木に彫られている。
だから、よく見ると形がわずかに違う。
彫る人が違えば、癖も出る。
前の回で、同じ図を繰り返す話をした。
こちらでは、同じ文字が繰り返されている。
そして、繰り返すたびに少しずつ違う。
題の付け方が、揃っている
九点の題を並べてみる。
国の名と、その中の地名。
あるいは、地名だけ。
たとえば、駿河の国の江尻。
たとえば、甲斐の国の三坂の水面。
たとえば、相模の国の七里浜。
国の名は、一文字に縮めて書かれる。
そして、そのあとに地名が続く。
九点のうち六点が、この形である。
昔の国の区分
この国の名は、いまの都道府県とは違う。
古い時代に定められた区分である。
明治になるまで、公の区分として使われた。
だから、当時の人には通じた。
いまの人には、通じにくい。
館の英語の題は、その国名を音のまま写す。
そして、括弧で州と補う。
日本語の題では、そのまま漢字で書く。
読める人には、場所が分かる。
読めなくても、地名だけは伝わる。
国の名を、一文字にする
国の名を一文字に縮めるのは、決まりごとである。
駿河なら、駿。
甲斐なら、甲。
相模なら、相。
武蔵なら、武。
そのあとに、州という字を付ける。
こうすると、二文字で国が示せる。
短いので、狭い枠に収まる。
つまり、枠の大きさが書き方を決めている。

横長の版画である。
画面の中央に、一本の木が立つ。
幹は細く、上で枝が分かれる。
その周りを、風が吹き抜ける。
道を行く人が、五、六人いる。
いずれも、身をかがめる。
一人は、笠を押さえる。
一人の手から、紙が飛ぶ。
紙は、空に舞い上がる。
奥に、白い富士が低く見える。
左上に、二つの枠が並ぶ。
横長の判型
九点とも、横長である。
縦およそ25センチ、横およそ37センチ。
前の回で見た版画は、縦長だった。
同じ大きさの紙を、向きを変えて使う。
風景を描くなら、横長が向く。
視野が横に広いからだ。
人物を描くなら、縦長が向く。
つまり、主題が向きを決める。
そして、向きが決まれば、枠の位置も決まる。
横長なら、上の隅が空きやすい。
風を、紙で描く
いま見た一枚は、風を主題にしている。
風そのものは、描けない。
そこで、飛ぶ紙を描く。
そして、身をかがめる人を描く。
草が一方向になびく。
木の枝がしなる。
つまり、風の結果だけを並べる。
見る人は、そこから風を読み取る。
文字の枠も、その画面の中に置かれている。
誰が、数を決めたのか
三十六という数は、絵師が決めたとは限らない。
版元が決めた可能性が高い。
商品として、何枚出すかを決める。
そして、絵師に描かせる。
売れれば、追加する。
売れなければ、途中でやめる。
前の回で、分業の話をした。
数を決めるのも、その分業の一部である。
館の記録は、そこまで書かない。
書かれるのは、揃いの名だけである。
揃いの名に、数が入る
この揃いの名には、数が入っている。
三十六という数である。
つまり、三十六枚作るという宣言だ。
ところが、実際には四十六枚になった。
売れたので、十枚を足したのである。
前の回で、百と名乗って超えた例を見た。
同じことが、ここでも起きている。
名前の数は、目安にすぎない。
館の題も、その揃いの名をそのまま含む。
輪郭の色が、変わる
最初の三十六枚は、青い線で輪郭を刷る。
これは、当時としては新しい試みだった。
輸入された青い絵具が、使えるようになったからだ。
その青は、褪せにくい。
そして、鮮やかである。
前の回で、材料が絵を変える話をした。
この揃いも、新しい絵具があって成り立った。
追加の十枚で墨に戻ったのは、費用のためかもしれない。
館の記録は、絵具の名までは書かない。
後から足した十枚
足した十枚は、輪郭の色が違う。
最初の三十六枚は、青い線で輪郭を刷る。
足した十枚は、墨の線を使う。
つまり、見れば区別がつく。
九点はいずれも、青い輪郭である。
だから、最初の三十六枚に属する。
館の記録は、そこまでは書かない。
見て、判断することになる。

横長の版画である。
左に、大きな波が立ち上がる。
波の上端が、爪のように分かれる。
白い泡が、細かく散る。
その下に、二艘の舟が沈む。
舟には、人が伏せている。
右下にも、舟の舳先が見える。
中央の奥に、白い富士が小さく立つ。
富士の頂は、雪で白い。
空は、上が暗い灰色である。
左上に、二つの枠が並ぶ。
有名になるということ
一枚の版画が有名になるのは、後の話である。
海を渡り、別の国の画家が見る。
その画家が、影響を受ける。
そして、その画家が有名になる。
すると、元の版画も注目される。
つまり、評価は往復する。
九点の中の一枚も、その道をたどった。
館の記録には、そういう経緯は書かれない。
書かれるのは、題と年と技法と番号だけである。
いちばん有名な一枚
この一枚は、この揃いの中でとりわけ知られている。
しかし、枠の扱いは他と同じである。
左上に、揃いの名。
その下に、一枚の題。
特別扱いはされていない。
つまり、作った側は特別だと思っていなかった。
四十六枚のうちの一枚である。
有名になったのは、後のことだ。
館の記録も、他の八枚と同じ形式で書く。

横長の版画である。
中央に、大きな富士が立つ。
山肌は、赤褐色である。
頂に、白い雪が残る。
山腹から下は、暗い緑と黒である。
その黒い部分に、赤い稲妻が走る。
稲妻は、枝分かれして下へ伸びる。
山の右に、白い雲が連なる。
空は、上が濃い青である。
下のほうは、水色になる。
左上に、二つの枠が並ぶ。
富士という、共通の目印
この山は、広い範囲から見える。
だから、いろいろな場所の絵に入れられる。
そして、形がはっきりしている。
裾が長く、頂が平らに欠ける。
小さく描いても、見分けがつく。
つまり、目印として使いやすい。
九点のうち、山が小さく描かれるものは五点ある。
小さくても、それと分かる。
形の強さが、揃いを成り立たせている。
同じ山を、四十六回
この揃いは、同じ山を繰り返し描く。
近くから、遠くから。
大きく、小さく。
晴れの日、雨の日、雪の日。
見る場所を変えれば、姿が変わる。
つまり、一つの対象を回り込んで見る。
前の回で、同じ主題を繰り返す話をした。
こちらは、それを一つの揃いの中でやっている。
そして、題がその場所を示す。
遠くから、近くから
九点の中で、山がいちばん大きいのは一枚である。
画面いっぱいに、山が立つ。
いちばん小さいのは、遠景の白い三角である。
指の先ほどの大きさしかない。
同じ山を、これだけ違う大きさで描く。
見る場所が違えば、大きさが変わる。
当たり前のことだが、並べると効く。
題が場所を示すので、その差が理屈で分かる。
絵と題が、互いを支えている。
題が、視点を示す
九点の題は、いずれも場所の名である。
つまり、どこから見たかを言っている。
主題は、いつも同じ山だ。
変わるのは、見る場所である。
だから、題は場所でよい。
もし主題が変われば、題も変わる。
題の付け方が、揃いの性格を示している。

横長の版画である。
画面の左に、水面が広がる。
水は淡い灰色で、静かである。
その水面に、白い山が映る。
映った山は、雪をかぶる。
ところが、上に見える実際の山は、緑である。
つまり、映る姿と実際の姿が違う。
手前に、緑の丘が続く。
小舟が一艘、水面に浮かぶ。
奥に、白い雲が横に伸びる。
左上に、二つの枠がある。
現実に合わないことを、描く
版画には、しばしば現実と合わない場面がある。
季節が混ざる。
見えるはずのない場所から、山が見える。
大きさが、実際より誇張される。
これは、間違いではないだろう。
見せたいものを、見せたいように置く。
前の回で、絵が記録ではないと書いた。
こちらも、記録ではない。
館の題も、それを説明しない。
場所の名を書くだけである。
映る姿と、実際の姿
いま見た一枚には、仕掛けがある。
水に映った山だけが、雪をかぶっている。
上の山には、雪がない。
これは、現実にはありえない。
季節が違う姿を、同じ画面に置いている。
なぜそうしたのか。
館の記録は、何も書かない。
題も、場所の名だけである。
見る人が、気づくかどうかに任されている。

横長の版画である。
手前に、青い丘が横たわる。
丘の上に、松の木が茂る。
葉は、丸い塊として描かれる。
その向こうに、海が広がる。
海は濃い青で、水平に伸びる。
波打ち際に、細かい白い線が並ぶ。
奥の左に、白い富士が立つ。
富士の手前に、白い雲が浮かぶ。
空は、上が濃い青である。
左上に、二つの枠がある。

横長の版画である。
画面を、横の帯が三つに分ける。
手前は、褐色の砂地である。
砂地に、細い木が数本立つ。
小さな人影が、二つ見える。
中ほどは、青い川である。
川に、舟が一艘浮かぶ。
舟に、人が乗る。
奥は、淡い褐色の岸である。
そのさらに奥に、白い富士が立つ。
右上に、二つの枠がある。
空の摺り方
九点の空は、いずれも上が濃い。
上から下へ、青が薄くなる。
これは、刷毛でぼかして摺る技である。
前の回で、ぼかしの話をした。
この揃いでも、同じ技が使われている。
そして、空が濃いと枠が目立つ。
白い枠が、濃い青の上に浮かぶ。
つまり、摺り方と枠の見え方は関わっている。
薄い空なら、枠は目立たない。
枠の位置が、左右に分かれる
九点の枠の位置を数えてみる。
左上が七点。
右上が二点。
つまり、左上が多い。
なぜ、二点だけ右上なのか。
構図の都合だろう。
左上に描くものがあれば、枠は右へ移る。
つまり、枠の位置も一枚ずつ決められている。
決まりではなく、その都度の判断である。

横長の版画である。
中央に、青い湖が横たわる。
湖の手前に、緑と黄の丘が重なる。
丘の上に、木が点々と生える。
左に、赤褐色の低い山がある。
その左奥に、白い富士が小さく立つ。
湖の対岸に、家並みが見える。
屋根は、青と灰である。
奥の山は、緑と黄で塗り分けられる。
空は、上が濃い青である。
右上に、二つの枠がある。

横長の版画である。
画面の中央に、太い幹が立つ。
幹は、画面を縦に貫く。
上のほうで、枝が広がる。
その根もとに、人が三人いる。
三人は、手を広げて幹を囲む。
幹の太さを、測っている姿である。
その左右に、白い雲が湧く。
雲の向こうに、青い富士が見える。
地面は、緑と褐色である。
左上に、二つの枠がある。

横長の版画である。
中央に、島が横たわる。
島の上に、家並みが階段状に続く。
屋根は、褐色と灰である。
木立が、家のあいだに茂る。
手前に、砂地と浅い水が広がる。
水は、淡い青の筋になる。
人が数人、砂地を歩く。
右奥に、白い富士が小さく立つ。
空は、上が濃い青である。
右上に、二つの枠がある。
枠が、画面の重さを支える
九点を見比べると、枠の役目が分かる。
構図の中で、空いた隅に置かれる。
そして、その隅に重さを与える。
もし枠がなければ、空が広すぎる。
枠があると、画面が締まる。
つまり、枠は装飾であり、構図の部品でもある。
前の回で、文字が構図の一部になる話をした。
この揃いでは、それが徹底している。
揃いの名は、いつも同じ形
九点の揃いの名の枠は、同じ形である。
縦長の四角で、二重の縁がある。
色も同じである。
つまり、どの一枚を見ても、同じ揃いだと分かる。
これは、商品の目印である。
いまでいえば、叢書の背表紙の意匠にあたる。
集める人にとって、分かりやすい。
前の回で、枠の形が揃いを示す話をした。
ここでも、同じ工夫が働いている。
題が、旅の案内になる
九点の題を並べると、地名が並ぶ。
駿河、甲斐、相模、武蔵。
いずれも、山の見える国である。
つまり、この揃いは山の見える場所の一覧でもある。
見る人は、行ったことのある場所を探す。
あるいは、行ってみたい場所を見る。
前の回で、旅を売る商売の話をした。
この揃いも、その一部である。
一枚ずつ、買っていく
四十六枚を一度に買う人は、少なかっただろう。
一枚ずつ買い、少しずつ揃える。
そのあいだに、次の一枚が出る。
だから、揃いの名が要る。
同じ名が枠に入っていれば、続きだと分かる。
つまり、枠は続きものの印である。
本でいえば、巻数にあたる。
ただし、番号は入っていない。
順番がないから、どこから買ってもよい。
番号を入れない、という選び方
番号を入れれば、順序ができる。
順序ができれば、抜けが気になる。
入れなければ、気にならない。
そのかわり、全部揃ったかどうか分からない。
売る側は、番号を入れなかった。
そのほうが、都合がよかったのだろう。
館の番号は、受け入れの順で振られている。
作品の順序とは、関係がない。
前の回で、番号の意味が持ち主ごとに違う話をした。
枠の中の九点を、まとめておく
九点の枠の中身を、もう一度並べる。
揃いの名は、九点とも同じ。
一枚の題は、九点とも違う。
国の名が入るものが六点。
地名だけのものが三点。
枠の位置は、左上が七点、右上が二点。
つまり、変わるのは題と位置だけである。
残りは全部、同じ形式で刷られている。
その揃い方が、揃い物という商品の姿を示している。
枠の中の文字は、誰が書いたか
枠の中の文字も、彫られたものである。
書いた人は、絵師とは限らない。
版元の店で、字を書く人がいた。
その人が下書きを書き、彫師が彫る。
だから、絵の署名とは筆跡が違う。
比べると、はっきり分かる。
署名は崩した書体である。
題の文字は、整った書体で書かれる。
読ませるための文字だからだ。
読ませる文字と、見せる文字
同じ画面の中に、二種類の文字がある。
題の文字は、読ませるためのものだ。
だから、整っていて、大きい。
署名の文字は、見せるためのものである。
崩してあり、読みにくい。
しかし、形で誰か分かる。
前の回で、読ませる文字と読ませない文字の話をした。
この揃いでは、その二つが並んで刷られている。
役目が違えば、書き方も変わる。
九点の番号を、並べておく
館の番号を、順に並べる。
10、11、12、14、15、16、17、18、22。
つまり、近い番号がまとまっている。
同じ時期に、まとめて館に入ったのだろう。
抜けているのは、13、19、20、21である。
それらも館にあるが、別の記事で使われている。
あるいは、館にない。
番号の並びが、収集の経緯を示している。
前の回で、番号が旅程を示す話をした。
揃い物という、発明
同じ主題を数十枚で見せる。
この売り方は、うまい発明だった。
一枚では終わらない。
集めるという楽しみが生まれる。
そして、作る側は次を作り続けられる。
前の回で、名所を並べる揃いを見た。
こちらは、一つの山を並べる。
対象を絞ることで、かえって幅が出る。
同じものを、違う角度から見せる。
その試みが、枠の中の名に示されている。
枠は、絵の外か、内か
最後に、一つ考えておきたい。
題の枠は、絵の中にあるのか、外にあるのか。
画面の中に刷られているのだから、内である。
しかし、描かれた景色の一部ではない。
空の上に、四角い紙が浮かんでいるように見える。
つまり、別の平面である。
前の回で、画中の貼り紙の話をした。
考え方は近い。
ただし、こちらは貼り紙のふりをしない。
はじめから、外の情報だと分かる形で置かれる。
その割り切りが、この揃いの潔さでもある。






