役者と女、二つの畑を耕す——歌川豊国
脚が、剥き出しになっている
四点目は、変わった姿である。

男が横を向いて立っている。
赤い衣を腰までたくし上げ、両手で押さえている。
腰から下は、下帯だけである。
太腿と脛が、そのまま描かれている。
足は裸足で、指まで見える。
顔は前かがみで、口をへの字に結ぶ。
背景は白紙のままである。
役者絵としては、珍しい構図である。
芝居の一場面で、川を渡る、あるいは水に入る場面だろう。
脚の筋肉の描き方が、他の作品と違う。
線が硬く、影が入っている。
体を描く、ということ
浮世絵では、体の線はふつう衣に隠れる。
裸に近い姿は、限られた場面にしか出ない。
相撲、水浴、そして芝居の一部である。
この一枚は、その少ない例にあたる。
脚の輪郭を見ると、膝の骨の出っ張りまで描かれている。
太腿と脛の太さの差もつけられている。
つまり、体の観察がなされている。
型で描いているのではない。
浮世絵の人体は様式的だと言われることが多い。
しかし、必要があれば観察もする。
そのことが、この一枚から分かる。
版本と一枚絵
浮世絵師の仕事は、一枚絵だけではない。
書物の挿絵も、大きな収入源だった。
読本、狂歌本、絵手本。
いずれも版木に彫って摺る点は同じである。
豊国も、多くの挿絵を手がけたと伝えられる。
一枚絵は目立つが、数でいえば版本のほうが多い。
美術館に残るのは、一枚絵が中心である。
書物は、まとまって残りにくいからである。
いま見えている浮世絵は、当時の生産のごく一部である。
そのことは、頭に置いておきたい。
三枚続きという形式
ここから、続き絵を見ていきたい。

横が75センチを超える。
大判の紙を三枚、横に並べた形式である。
これを三枚続きと呼ぶ。
一枚ずつ彫り、摺り、並べて一つの画面にする。
買う側は、三枚まとめて買うことになる。
そのぶん値は張るが、画面は広い。
物語や群像を描くのに向いている。
この一枚では、屋敷の広間が描かれる。
天井の梁が奥へ伸び、畳が敷き詰められる。
左右に女性たちが座り、あるいは立つ。
赤い提灯が下がり、黄色の衣の人物が中央にいる。
屋敷の奥行き
この絵の奥行きの作り方に注目したい。
天井の線が、奥へ向かって収束している。
畳の縁も、同じ方向へ走る。
つまり、遠近法が使われている。
師の豊春が得意とした手法である。
弟子の豊国も、それを受け継いでいる。
ただし、人物の大きさは奥へ行っても大きく変わらない。
厳密な遠近法ではない。
建築だけを収束させ、人物は見やすい大きさに保つ。
実用的な折衷である。
川を渡る一行
六点目は、水の場面である。

画面全体に、水の流れが描かれている。
流れは細い線の集まりで示される。
線は渦を巻き、うねりを作る。
その中を、人足たちが台を担いで進む。
台の上には、屋根のついた輿が載る。
輿の中に人がいる。
左右の岸には、着飾った女性たちが立つ。
水に足を浸した人足は、腰まで濡れている。
大井川には橋がなかった。
だから、人の力で渡るしかない。
水の線を彫る
水の描写について、もう少し書きたい。
この画面の水は、細い線だけでできている。
色はほとんど乗っていない。
線の間隔と曲がり方で、流れの速さを示す。
渦のところでは線が密になる。
浅いところでは、線が途切れる。
これを木の板に彫るのは、大変な作業である。
一本の線が、幅一ミリに満たない。
彫り損なえば、その板は使えない。
浮世絵の水の表現は、彫師の腕の見せ場だった。
雪の玉を転がす
七点目は、冬の場面である。

雪の積もった屋外に、女性たちが集まっている。
中央に、大きな白い球がある。
雪を転がして作った玉である。
女性たちは、その周りで押している。
赤い傘が広げられ、雪をよけている。
衣は色とりどりで、裾が長い。
雪の地面は、紙の白をそのまま使っている。
つまり、白い部分は摺っていない。
摺らないことで白を出す。
これも版画の基本の技である。
白い紙を、残して使う
先の雪の場面に続けて、白の話をしたい。
版画の白は、絵具ではない。
摺らなかった部分が、そのまま白になる。
だから、白を出すには、彫るときに決めておく必要がある。
雪、水しぶき、衣の白地。
いずれも、あらかじめ計算されている。
塗って白くするのではなく、残して白くする。
油絵とは、まったく逆の考え方である。
浮世絵の明るさの多くは、この残しから来ている。
紙そのものが、絵具として働いている。
遊里の風俗を描く
この絵の主題は、遊里の女性たちである。
雪の日の遊びを描いている。
こうした絵は、当時よく売れた。
美しい衣と、季節の行事が同時に見られるからである。
いまの目で見ると、描かれる側の立場が気にかかる。
遊里の女性たちは、自らの意思でそこにいたとは限らない。
絵は、その事情を描かない。
華やかな面だけを見せる。
当サイトとしては、絵の魅力を認めつつ、背景も書いておきたい。
浮世絵の美人画には、常にこの二面がある。