展覧会・イベント

南の光とオリーブ——ファン・ゴッホ《オリーブ摘み》とアルルの一年

さらに前、オランダの畑

もう少し遡る。パリに出る前、ゴッホはオランダにいた。

オランダの花壇
フィンセント・ファン・ゴッホ《オランダの花壇》1883年頃。油彩・画布。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《オランダの花壇》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

低い視点である。画面の下三分の二を、花壇の畝が占める。

畝は横に長く伸び、桃色、白、赤、黄の帯が並ぶ。

球根の花畑だと考えられる。畝の先に農家の屋根が並ぶ。

空は淡く、雲が横に流れる。風車の羽根が小さく見える。

色は明るいが、筆は平らである。面を塗る描き方に近い。

のちのうねる筆跡はまだない。

同じオランダ時代の、もう一枚を見たい。

小屋の前で土を掘る農婦
フィンセント・ファン・ゴッホ《小屋の前で土を掘る農婦》1885年頃。油彩・画布。シカゴ美術館蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《小屋の前で土を掘る農婦》シカゴ美術館蔵

こちらは暗い。褐色と灰色が画面を覆う。

農婦は背を丸め、鍬を手にしている。顔は影に沈む。

背後には藁葺きの小屋がある。屋根は重く、低い。

空は白濁し、時刻はわからない。

この絵に鮮やかな色はない。あるのは土と藁と労働である。

1885年、ゴッホはオランダのニューネンで農民を描き続けた。

《じゃがいもを食べる人々》で知られる時期にあたる。

つまり彼は、暗い絵から出発した画家である。

《オランダの花壇》と《オリーブ摘み》を並べれば、色の差は歴然としている。

だが構図の癖は変わっていない。

どちらも、地面の帯が画面の大きな面積を占めている。

そして、人物は小さく、顔は描き込まれない。

変わったのは色と筆であり、画面の組み立て方ではない。

暗い絵は、失敗だったのか

ここで、ひとつ注意を書いておきたい。

ゴッホの経歴は「暗い時代から明るい時代へ」と語られやすい。

しかし、暗い絵が未熟で、明るい絵が完成という見方は雑である。

《小屋の前で土を掘る農婦》を、もう一度見てほしい。

褐色のなかに、青みの灰と緑がかった灰が使い分けられている。

屋根の藁は、細かい筆で方向をそろえて置かれている。

暗い色数のなかで、階調を作る訓練が行われている。

この訓練があったからこそ、のちに色数が増えても画面が壊れなかった。

明るい色は、扱いを誤れば散らかる。

面積の配分と階調の管理が要る。

その技術は、暗い時代に身につけられたものだと考えられる。

つまり二つの時代は、断絶ではなく積み重ねである。

農民を描くという系譜

ここで、少し視野を広げたい。

暗い色で農民を描く。これはゴッホの発明ではない。

19世紀のフランスには、農民を主題にした絵の系譜がある。

ジャン=フランソワ・ミレーがその代表である。

ゴッホはミレーの版画を手本にし、繰り返し模写している。

模写は若いころだけでなく、サン=レミの療養院でも続いた。

つまり彼にとってミレーは、生涯にわたる参照先だった。

《小屋の前で土を掘る農婦》の姿勢も、その系譜のなかにある。

背を丸め、顔を伏せ、手元の仕事に集中する人物。

顔ではなく、体の形で労働を示す描き方である。

ミレーとコロー、クールベについては、別のコラムで扱う。

名古屋の展覧会にも、ミレー、コロー、クールベの名が挙がっている。

つまりこの展覧会は、印象派の前後を含む構成になっていると考えられる。

ゴッホを一人の天才として見るのではなく、系譜のなかに置く。

そのほうが、絵の見え方は豊かになる。

南で、何が変わったのか

アルルに着いてからの一枚を見たい。

プロヴァンスの農家
フィンセント・ファン・ゴッホ《プロヴァンスの農家》1888年。油彩・画布。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《プロヴァンスの農家》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画面の下半分は麦畑である。黄と橙の短い筆が、うねりながら並ぶ。

畑の向こうに、低い塀と農家が横たわる。壁は白と黄土色。

屋根は橙で、その上に青い空が広がる。

空の青は濃い。雲は少なく、白い塊がひとつふたつ置かれるだけである。

黄と青。ここでも補色が使われている。

パリの自画像と同じ理屈が、屋外の風景に持ち込まれている。

ただし、面積が違う。自画像では背景に使った色を、ここでは畑全体に使う。

黄が広い。だから青が濃く見える。

南の光が絵を明るくした、という説明はよく聞く。

しかし正確には、明るい色を大きな面積で使えるようになった、と言うべきだろう。

オランダの畑と同じ構図で、色だけが入れ替わっている。

麦畑と塀のあいだ

《プロヴァンスの農家》を、もう少し見ておきたい。

画面を三つの帯に分けると、構造がはっきりする。

下は麦畑、中央は塀と建物、上は空である。

このうち、いちばん筆が細かいのは麦畑である。

塀と建物は面で塗られ、筆跡は目立たない。

空は広い筆でならされている。

つまり、手前から奥へ向かうにつれて、筆が粗くなる。

近くのものを細かく、遠くのものを粗く。これは古くからの方法である。

ゴッホは新しい色を使いながら、古い遠近の作法も残している。

すべてを塗り替えたわけではない。

受け継いだ部分と、変えた部分がある。

その配分を見るのが、この画家を見る面白さでもある。

郵便夫の家族を描く

アルルでは人物も描いている。

ルーランの赤ん坊
フィンセント・ファン・ゴッホ《ルーランの赤ん坊》1888年。油彩・画布。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。フィンセント・ファン・ゴッホ《ルーランの赤ん坊》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

背景は淡い緑で埋められている。均一ではなく、筆の方向が渦を巻く。

赤ん坊は白い産着に包まれ、画面の中央に置かれる。

目は大きく、青い。頬は桃色。手は小さく、胸の前で組まれている。

ゴッホはアルルで郵便夫ジョゼフ・ルーランと親しくなった。

その家族を繰り返し描いている。妻、息子たち、そして末の子である。

肖像を描くとき、彼は背景を単色に近い面で処理することが多い。

顔の色を引き立てるためだと考えられる。

ここでも緑の背景に、桃色の肌が置かれている。補色に近い関係である。