南の光とオリーブ——ファン・ゴッホ《オリーブ摘み》とアルルの一年
肖像の背景を、単色に近づける
もう少し、肖像の描き方を見ておきたい。
《ルーランの赤ん坊》の背景は、緑一色に近い。
しかし平らではない。筆の方向が渦を巻き、濃淡が残る。
平らに塗れば背景は沈む。筆跡を残せば、背景も動く。
ゴッホの肖像は、背景が静かに動いている点に特徴がある。
このやり方は、《ゆりかごを揺らす女》などの人物画にも共通する。
顔の色と背景の色を、補色に近い関係に置く。
そして背景に筆跡を残し、人物を浮き上がらせる。
肖像画としては珍しい処理である。
一般に肖像の背景は、暗く均一に塗られることが多い。
人物を目立たせるためである。
ゴッホは逆の方法を取った。背景にも色と動きを与えたうえで、人物を置く。
その結果、人物と背景が同じ強さで画面に並ぶ。
見る人の目は、顔と背景のあいだを行き来することになる。
同じ町に、もう一人の画家がいた
1888年10月、アルルにもう一人の画家がやってくる。ポール・ゴーガンである。

黄麻布に描かれている。目の粗い布である。
手前に四人の女性が並ぶ。厚い外套をまとい、頭を布で覆う。
顔は伏せられ、表情は読み取れない。
背景は庭で、緑の芝と赤い柵が横に走る。
右手には円錐形の茂みが二つ立ち、遠くに小屋が見える。
色は平らに置かれている。輪郭は明確で、陰影は少ない。
ミストラルとは、南フランスに吹く冷たい北風のことである。
女性たちが身を縮めているのは、その風のためだと読める。
ゴーガンとゴッホは、この町で2か月ほど共同生活を送った。
そして激しい対立ののち、12月に別れる。
二人は同じ場所で、同じ人々を描いた。しかし方法は違った。
ゴッホは筆跡を残し、ゴーガンは面を塗る。
ゴッホは補色を並べ、ゴーガンは輪郭で区切る。
同じ町の同じ風のなかで、二つの方法が並んでいたことになる。
この違いは、二人の性格の差というより、絵に対する考え方の差だと考えられる。
北へ戻る、最後の年
南を離れたあとの絵も見ておきたい。

縦長の画面である。少女が正面を向いて立つ。
服は白。麦わら帽子には黄と橙が使われている。
背景は緑の草である。細長い筆が縦に走り、点々と赤い花が置かれる。
草は少女の腰の高さまである。彼女はそのなかに立っている。
1890年5月、ゴッホはパリ近郊のオーヴェール=シュル=オワーズへ移った。
7月に亡くなるまでの2か月あまりを、そこで過ごしている。
この絵の白は、単純な白ではない。青と灰が薄く混ぜられている。
そして、その白が緑に囲まれている。
南で覚えた色の置き方を、北の光のもとで使っていることになる。
もう一枚、サン=レミのオリーブ畑を見たい。

人はいない。木と地面と空だけである。
木は五、六本。幹はねじれ、枝は低く広がる。
地面は橙と桃色で、筆は横に流れる。
葉は青緑と銀灰色。空は水色で、こちらも短い筆で埋められている。
画面のどこにも、平らに塗られた場所がない。
すべてが筆跡である。すべてが動いている。
冒頭の《オリーブ摘み》と並べてみたい。
人がいる画面と、いない画面。木の描き方はほとんど同じである。
つまりゴッホにとって、オリーブの木そのものが主題だったと考えられる。
布と絵具のこと
素材の話も少しだけ書いておきたい。
ゴーガンの《アルルの女たち》は、黄麻布に描かれている。
黄麻は目が粗く、糸の凹凸がそのまま画面に出る。
絵具が布の目に引っかかり、独特のかすれが生まれる。
アルルの二人は、この粗い布を使って制作したことが知られている。
一方、ゴッホのアルル期の作品には、通常の麻の画布が多い。
布の目が細かければ、絵具は滑らかに乗る。厚塗りもしやすい。
素材の違いは、そのまま画面の手触りの違いになる。
展示室でこの差を見るには、少し斜めから画面を見るとよい。
正面からでは平らに見える絵具の層が、斜めからだと厚みを持って見える。
もちろん、作品に近づきすぎないよう気をつけたい。
黄という色のこと
もうひとつ、色の話を書いておきたい。
アルル期のゴッホは、黄を大量に使っている。
麦畑、ひまわり、家の壁、そして室内の家具。
この時期に使われた黄色の絵具には、クロム系の顔料が含まれていた。
クロム黄は明るく、発色が強い。19世紀に広まった比較的新しい絵具である。
ただし、種類によっては光や大気の影響で色が変わることが知られている。
現在われわれが見ている黄は、描かれた当時の黄とは違う可能性がある。
このことは所蔵館の調査でも報告されている。
だからこそ、保存と修復の記録が重要になる。
絵は描かれたまま残るのではない。手入れをされながら残る。
国立西洋美術館では、2026年6月30日から2027年1月11日まで、
所蔵作品の保存修復の変遷をたどる特集展示が開かれている。
ゴッホ《ばら》とルノワール《帽子の女》を例に取る内容だと発表されている。
絵の色は、時間とともに変わる。その前提を持って展示室に立ちたい。
見に行く前に、色の面積を測る
ここまで九点を並べてきた。すべて当サイトで公開している作品である。
権利表示を作品ごとに確認したうえで扱っている。名古屋の出品作とは別である。
そのうえで、ひとつの見方を提案したい。
秋に《跳ね橋》の前に立ったら、色の面積を見てほしい。
青がどれだけの広さを占めているか。黄はどうか。
そして、その二つが隣り合っている場所を探してほしい。
境目に第三の色が挟まっていれば、それは意図的な処理である。
ゴッホは1887年のパリで、その処理を身につけた。
1888年のアルルで、それを大きな面積に広げた。
1889年のサン=レミで、筆をうねらせた。
三つの段階は、この記事の九点でひととおり追える。
なお、南の絵ばかりが有名だが、出発点はオランダの暗い畑である。
その落差こそが、この画家の面白さだと考えている。
暗い畑から銀色の葉まで、隔たりはおよそ六年しかない。
六年で、人はここまで描き方を変えられる。
会期と料金、休館日は変わることがある。来場前に公式サイトで確かめてほしい。








