画家を知る

絵に、題名は要るのか——ホイッスラーと四分の一ペニーの判決

夜を、ほとんど何も描かずに描く

主張がいちばん明確に出るのが、〈ノクターン〉と名づけられた一連の作品である。

ノクターン——青と金、サウサンプトン・ウォーター
《ノクターン——青と金、サウサンプトン・ウォーター》1872年。横76.7センチ。灰緑の水面と空、金色の点がひとつ。シカゴ美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《ノクターン——青と金、サウサンプトン・ウォーター》シカゴ美術館蔵

画面のほとんどが、灰と緑のあいだの一色で埋まっている。

水平線がどこにあるのか、はっきりしない。空と水の境は、わずかな明度差で示されるだけである。

暗い染みのような形が三つ、四つ。これが舟である。輪郭線はない。

そして左寄りに、金色の小さな四角。灯りか、月か、判別できない。

遠景の岸には、細かな明かりが点々と置かれている。絵具の量にすれば、ほんのわずかである。

これを「何も描いていない」と見るか、「夜そのものを描いた」と見るか。当時の観客は、はっきり二つに割れた。

緑と金のノクターン
《緑と金のノクターン》1877年までの制作か。同じ方法による夜の水辺。輪郭はさらに溶け、画面は薄い層でできている。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《緑と金のノクターン》メトロポリタン美術館蔵

技法についても触れておきたい。

ホイッスラーは絵具を油と溶剤で大量に薄め、流れるほどの状態にして使ったと伝えられる。彼はこれを「ソース」と呼んだという。

薄めた絵具は、立てた画布では垂れてしまう。だから画布を床に寝かせ、上から流すように置いた。

一層が乾いてから次の層を重ねる。厚塗りの筆跡はほとんど残らない。

その結果、画面は絵具の層というより、染めた布に近い見え方になる。

夜の見え方を再現するのに、これは理にかなっている。暗がりでは、輪郭も色の違いも失われ、明るさの差だけが残るからである。

制作の手順についても、証言が残っている。

彼は夜、川に舟を出して岸を眺めた。その場では描かない。見たものを覚えて帰り、翌日アトリエで描いたという。

暗い水の上で絵具は扱えない。だから記憶で描く。結果として、細部は落ち、印象の骨格だけが残る。

これは制作条件から生まれた様式である。理論が先にあったわけではない、という点は押さえておきたい。

部屋そのものを、作品にする

同じ時期、彼は別の方向にも手を伸ばしている。

1876年から77年にかけて、ロンドンの実業家の邸宅で、食堂の内装を全面的に描き替えた。青と金の孔雀で埋め尽くされたその部屋は、いまも「孔雀の間」と呼ばれている。

問題は、依頼の範囲を大きく超えて描いたことだった。施主との報酬の交渉は決裂し、関係は完全に壊れる。

このとき彼が主張したのは、部屋全体がひとつの調和であり、部分だけ直すことはできない、という理屈である。

絵と額、絵と壁、絵と部屋。境界を広げていく態度は、ここでも一貫している。

ただし施主の側から見れば、頼んでいない工事を勝手にされたことになる。彼が生涯を通じて金銭の争いを繰り返したのには、それなりの理由があった。

何を捨てたのか

ここで、この画家が捨てたものを数えておきたい。

一つ目、細部。建物の窓も、舟の索具も、人の顔も描かれていない。

二つ目、輪郭線。ものとものの境が、線として引かれていない。

三つ目、色数。一枚に使われている色は、しばしば三、四色にとどまる。

四つ目、物語。何が起きているのか、画面は説明しない。

そして五つ目、上下左右の中心。画面の重心は、中央から外されていることが多い。

この引き算の作法が、どこから来たのかについては、有力な説明がある。日本の版画である。

ホイッスラーは1860年代から日本の版画や工芸品を集めていた。当時のロンドンとパリでは、それが流行しはじめていた。

余白を怖れないこと。輪郭を平らに扱うこと。画面の端で対象を切ること。署名を絵の一部として置くこと。

これらは、いずれも日本の版画が持っていた性質である。それが西洋の画家に何を渡したかについては、別のコラムでまとめて扱っている。

蝶という署名

署名の話が出たので、そこも見ておきたい。

蝶
《蝶》1890年ごろ。紙に鉛筆。ホイッスラーが署名として使った蝶の意匠を、単独で描いたもの。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《》シカゴ美術館蔵

彼は自分の頭文字を組み合わせて、蝶の形の記号を作った。ある時期からは、名前を書かずにこの蝶だけを画面に置いている。

置く場所は毎回違う。右下と決めているわけではない。

画面の均衡を見て、いちばん収まりのよい位置に置く。つまり署名を、構図の要素として扱っている。

後年の蝶には、尾の部分に針のような線が加えられた。刺す蝶である。喧嘩を好んだこの人の性格が、そのまま記号になっている。

額縁にも彼は手を入れた。金の額に線を刻み、蝶を描き、絵と額を一続きの作品として扱った。

どこまでが作品で、どこからが額か。その境界を動かすことも、彼の仕事のうちだった。