番号が二つ、記録は一つ——鈴木其一、俵屋宗達ほか六曲一双の屏風
読点でつながれた二つの番号が、一件の記録に並んでいる。屏風が二隻で一組だからである。絵としては一つ、物としては二つ。そのずれを記号で埋めている。一隻しか写らない公開画像の理由も、そこにある。六曲一双で十二面、それでも記録は一件である。

番号が二つ、記録は一つ
メトロポリタン美術館の記録に、こういう番号がある。
五四・六九の一、および二。
一つの記録に、二つの番号が並んでいる。
読点でつないである。
前の回まで、こういう書き方は出てこなかった。
一件に一つの番号、というのが基本だった。
組をまとめるときは、aからdまでのように枝番の範囲を示していた。
ここでは、独立した二つの番号が、読点で結ばれている。
技法の欄を読むと、理由が分かる。
「六曲一双の屏風」。
屏風が二つで、一組である。
一つずつに番号があり、二つ合わせて一件になっている。

公開されている画像には、屏風が一隻だけ写っている。
六つの面がつながり、金の地が広がっている。
そこに、朝顔の蔓が這っている。
緑の葉が重なり、青い花が点々と開く。
蔓は、画面の下から立ち上がり、上へ伸びていく。
面と面の境目を、蔓が横切っている。
折り目を無視して、蔓が続いている。
もう一隻は、この画像には写っていない。
一双で一件、一隻ずつに番号
屏風の数え方には、独特の言葉がある。
一隻、一双。
屏風一つを一隻と数える。
二隻で対になるものを、一双と呼ぶ。
そして、六つの面を持つものを六曲と言う。
六曲一双なら、六面の屏風が二つ、合わせて十二面である。
館の記録は、この単位を「六曲一双の屏風」と書いている。
そして、二つの番号を読点でつないでいる。
つまり、物としては二隻、記録としては一件。
前の回に見た三幅対とは、扱いが違う。
三幅対は、三件に分かれていた。
六曲一双は、一件にまとまっている。
なぜ違うのか。
たぶん、屏風のほうが一続きの絵として作られているからだろう。
三幅対は、三本を離して掛ける。
あいだに壁が見える。
六曲一双は、二隻を左右に置き、ほとんど隙間なく並べる。
一続きの景色になる。
各隻の寸法だけが書かれる
寸法の欄には、必ず「各隻」と断ってある。
一隻ぶんの寸法しか書かれていない。
九点の数字を並べてみる。
縦一七八・三センチ、横三七九・七センチ。
縦一五一センチ、横三六一・六センチ。
縦一五四・一センチ、横三五三・四センチ。
縦一四八・五センチ、横三二七・二センチ。
縦一五七・五センチ、横三四八センチ。
縦一七〇・二センチ、横三八一センチ。
縦一七三・四センチ、横三七〇・八センチ。
縦一七一・一センチ、横三七二・七センチ。
縦一七四・六センチ、横三七八・一センチ。
縦は一四八センチから一七八センチ。
横は三二七センチから三八一センチ。
かなりそろっている。
これは、屏風の寸法がおおよそ決まっていたからである。
一隻を三メートル半、高さを一メートル半ほど。
そして一双で並べれば、横は七メートルを超える。
部屋の一辺に相当する長さである。
六つの面が、折れている
屏風は、平らではない。
蝶番でつながれた六面を、互い違いに折って立てる。
だから、正面から見ると、面ごとに角度が違う。
手前に来る面と、奥に引く面ができる。
写真では、たいてい平らに開いた状態で撮られる。
そのほうが絵が見えるからである。
しかし、実際に使うときは折れている。

金の地に、松と岩と人物が描かれている。
右に、大きな松が斜めに立つ。
その根方に、岩と、白い水。
左へ向かって、水面と土坡が続く。
そして、面と面の境目に、細い縦線が見える。
蝶番の位置である。
絵は、その線を無視して描かれている。
松の枝が線をまたぎ、岩が線をまたぐ。
これは、屏風の絵に共通する作りである。
面ごとに絵を区切ることもできるが、そうしないことが多い。
立てると、絵が曲がる
屏風の絵には、平らな絵とは違う条件がある。
立てたとき、面が折れる。
だから、絵の一部が手前に来て、一部が奥に引く。
まっすぐ見ている人からは、絵が屈折して見える。
これを嫌う描き方もあるし、利用する描き方もある。
利用する場合は、折れる位置を計算に入れる。
奥に引く面に遠景を置き、手前に来る面に近景を置く。
そうすると、屏風の折れがそのまま奥行きになる。
平らに開いた写真では、この効果は見えない。
私たちが見ているのは、実際の見え方とは違う状態である。
そして、館の寸法の欄も、平らに開いた状態の数字である。
立てたときの横幅は、もっと短くなる。
折るぶんだけ、縮む。
どれくらい縮むかは、折り方による。
だから、記録には書けない。
書けるのは、開いた状態の最大値だけである。
前の回に、巻子の巻いた状態の太さが記録されないと書いた。
屏風にも、同じことがある。
使うときの姿は、記録に残らない。
蝶番の跡は、絵の中に残る
屏風の面と面は、紙の蝶番でつながれている。
紙を交互に貼り、折れるようにする。
この作りだと、面のあいだに細い隙間ができない。
金地の屏風では、その継ぎ目がほとんど見えないこともある。
それでも、写真をよく見ると縦の線がある。
狩野元信の一隻でも、雪村周継の一隻でも、線が見える。
絵の具の乗り方が、継ぎ目で少し変わるからだろう。
この線は、絵を見るうえで邪魔になる。
だから、絵師は線を避けるように構図を作ることがある。
主要な人物や、鳥の頭を、線の上に置かない。
線の上には、余白や、面積の広いものを置く。
九点の画像を見ていくと、その配慮が読める場所がある。
たとえば鷹の頭は、線を外している。
もっとも、これは見た目からの推測である。
館の記録には、そこまで書かれていない。