作者の欄に、民族と地域が入る——シカゴ美術館のアフリカ美術
エジプト。ファン、ガボン、中央アフリカ。九点のうち八点の作者の欄には、人の名がない。一点だけ彫り手の名が残っている。名がないとき記録は何を書くのか、そして残った一点は何が違うのかを読みたい。年の欄が、三段になる一点もある。

九点のうち、一点だけに人の名がある
作者の欄を九点ぶん並べる。
エジプト。エジプト。エジプト。エジプト。
エジプト、おそらくテーベ。
ファン、ガボン、中央アフリカ。
コンゴ・ヴィリ、コンゴ共和国、中央アフリカ。
スワヒリ、ケニアのラム、東部および南部アフリカ。
そして九点目に、人の名が現れる。
イセのオロウェ(1938年没)、ヨルバ、ナイジェリアのイケレ。
九点のうち、作った人の名が分かっているのはこの一点だけである。
名がないとき、何を書くか
残る八点には、作った人の名がない。
かわりに書かれるのは、民族の名と、地域の名である。
そして書き方が、二つに分かれている。
エジプトの五点は、国の名だけ、または国と都市。
アフリカの三点は、民族の名が先に来る。
ファン。コンゴ・ヴィリ。スワヒリ。
そのあとに、国名と、より広い地域の名が続く。
つまり三段になっている。
民族、国、地域。
前の回の記事で、地名の粒度を四段階で見た。
こちらは、粒度ではなく種類が三つ重なっている。

九点のうち、作者の名が分かる唯一の一点である。
木を彫った柱で、高さは一メートル半を超える。
上部に、女性の立像がある。
頭には高い髪飾りが載る。
顔は正面を向き、目が大きい。
上半身は細く、腕を体の脇に添える。
その足もとに、小さな人物が三体ほど彫られる。
いずれも柱に寄り添うように配される。
柱の下部は、太い塊のまま残される。
表面には青緑と赤褐色の顔料が残る。
顔と髪飾りに、青みが強く出る。
木肌は縦に割れが走り、乾きが見える。
彫りは深く、面の切り替えが鋭い。
名が残ったのは、なぜか
九点のうち一点だけ名が残ったことには、理由がある。
その人が二十世紀まで活動していたからだ。
没年が1938年と記録されている。
同じ時代に生きていた人が、その仕事を見て名を伝えた。
作品が作られたのは1910年から1914年ごろ。
館に入ったのは1984年である。
七十年ほどの隔たりしかない。
一方、他の八点は数百年から三千年前の品だ。
作った人の名が伝わる可能性は、ほとんどない。
名が残るかどうかは、時代の近さに大きく左右される。
前の回の記事でも、同じ事情を繰り返し見てきた。

九点でいちばん技法の欄が長い一点である。
材料が十種類、読点で区切られて並ぶ。
木の像に、多くのものが付け加えられている。
頭には布と繊維が巻かれ、羽根が立つ。
顔は上を向き、口が開く。
目には硝子がはめられ、光る。
胸には四角い箱のようなものが取り付けられる。
その表面にも硝子が張られる。
腹から腰にかけて、袋や紐が幾重にも下がる。
材料が重なり、下の木がほとんど見えない。
足もとの台は木のままである。
これは、供物や誓いを重ねて使う像である。
使われるたびに、物が加えられていく。
技法の欄が、使われ方を示す
いま見た一点の技法の欄は、単なる材料の一覧ではない。
十種類の材料が並ぶこと自体が、その像の性格を示す。
一度に作られたものではない。
長い時間をかけて、物が足されていった。
木彫としては一人の手でも、いまの姿は多くの人の手による。
館の記録は、材料を並べるだけで、その経緯を書かない。
書かないが、材料の数がそれを伝えている。
前の回の記事で、技法の欄が処置を書く例を見た。
こちらは、材料の多さが履歴を示している。
欄の読み方は、一つではない。
出所の行に、寄贈と購入が混ざる
九点の出所の行を種類で分けると、二つになる。
寄贈が四点、基金による購入が五点。
寄贈の四点は、いずれもエジプトの品である。
購入の五点は、エジプトが一点、アフリカが四点。
つまり、時代が下るほど購入が増える。
これは、市場の事情による。
古代の品は、十九世紀にはまとまって動いていた。
寄贈者が自分の収集をそのまま渡す形が多い。
近年の作品は、一点ずつ探して買うことになる。
基金の名が並ぶのは、そのためだ。
前の回の記事で、購入の受入が一点ずつになることを見た。
ここでも、同じ形が確かめられる。
部門の名と、中身の広さ
九点は「アフリカの美術」という部門に属する。
しかし、その中身は極めて広い。
紀元前十七世紀のエジプトから、二十世紀初めのナイジェリアまで。
三千五百年の幅がある。
地域も、北アフリカから中央アフリカ、東アフリカまで及ぶ。
品の種類も、護符、指輪、石碑、巻物、像、椅子と揃わない。
一つの部門が、これだけを抱えている。
前の回の記事で、アジアの部門も同じだと書いた。
地域で区切る部門は、どうしても広くなる。
広いから、記録の欄は共通の形式で書かれる。
形式が共通でなければ、並べて比べられない。
年の欄が、三段になる
エジプトの五点は、年の欄が長い。
たとえば、こう書かれる。
第三中間期、第25王朝(紀元前747年ごろから656年)。
まず時代の区分の名。
次に王朝の番号。
そして括弧の中に西暦の範囲。
三段構えである。
別の一点では、末期王朝時代、第26王朝以降、紀元前664年から332年。
中王国時代、第12王朝初期、紀元前1956年から1877年ごろ、という書き方もある。
前の回の記事で、アジアの作品の年の欄に王朝が入ることを見た。
エジプトでは、そこに時代区分の名まで加わる。
三千年に及ぶ歴史を、大区分と王朝の二段で整理する。
その体系がそのまま年の欄に入っている。

横長の石の板である。厚みは6.7センチ。
上部に、横一列の文字が刻まれる。
象形の記号が、右から左へ並ぶ。
その下に、人物が向かい合う。
右に、白い衣の男が立ち、手を前へ出す。
左には、女が座り、手を上げる。
二人のあいだには、供物が積まれる。
丸い形、細長い形、器の形。
彩色が残り、赤褐色と白と青が見える。
人物の肌は赤褐色に塗られる。
衣は白く、輪郭は黒い線で引かれる。
石の縁は欠け、角が丸くなっている。
銘記の欄には、その文字の訳が長く記される。
銘記の欄に、訳が載る
いま見た一点の銘記の欄には、訳が書かれている。
死者と家族の名を挙げ、神に供物を願う内容である。
さらに、具体的な品目が並ぶ。
パン、麦酒、牛、鳥、雪花石膏、亜麻布。
そして「千の」という数まで書かれている。
館の記録は、その訳をかなりの長さで載せる。
原文の記号をそのまま写すことはしない。
象形の記号は、活字にするのが難しいからだ。
かわりに訳を置く。
前の回の記事で、銘記の欄が原文と訳の両方を載せることを見た。
こちらは訳だけである。
書ける形式かどうかで、欄の作りが変わる。

横に長い巻物である。
縦24.5センチに対し、横は101センチ。
紙は褐色で、繊維の筋が縦横に走る。
左側の大部分に、細かい文字が並ぶ。
黒い墨で、縦の列を作る。
列と列のあいだには、細い区切り線がある。
右端には、小さな絵が置かれる。
人物が数体、向かい合って立つ。
赤と黒で描かれ、輪郭が細い。
上部には、横一列の記号が並ぶ。
紙の縁は不揃いで、破れが残る。
銘記の欄には、死者の名と役職が訳されている。
家の女主人であり、神殿の歌い手であったと読める。
名が、死者の側に残る
いま見た一点では、作った人の名は分からない。
しかし、書かれた人の名は分かる。
タユヘヌトムトという名が、文中にある。
さらに、その父の名と役職まで記されている。
作り手の名は残らず、注文主の名が残る。
前の回の記事でも、同じ形を何度か見た。
肖像画では、描かれた人の名が残り、描いた人の名が消える。
三千年前のパピルスでも、事情は変わらない。
名は、注文する側に残りやすい。
作る側の名は、時代が近くならないと残らない。
換算の数字が、合わない一点
九点の寸法の欄に、一つおかしなものがある。
縦4センチ、横1.6センチ、奥行き2.5センチ。
その括弧の中に、インチの換算値が書かれている。
ところが、その最初の数字が十六分の一インチとある。
4センチは、およそ1.57インチである。
十六分の一インチは、0.16センチにすぎない。
十倍の違いがある。
さらに、この寸法の記述が二度繰り返されている。
同じ文字列が、読点で区切られて二回並ぶ。
書き写しの際の誤りだと考えられる。
館の記録にも、こうした揺れは残る。
そして、公開されたままになっている。

九点でいちばん小さい品である。
高さは4センチしかない。
黒く光る石を彫ったものだ。
椅子に座る女性の姿をとる。
頭には角のような飾りと、円い形が載る。
膝の上に、小さな子どもを抱く。
女性の左手が、子どもの頭に添えられる。
右手は胸のあたりにある。
背もたれは高く、四角い板になる。
台座も四角く、厚みがある。
石の表面は磨かれ、光を反射する。
細部は簡略で、輪郭だけで形が示される。
技法の欄には、赤鉄鉱と書かれる。
材料の名が、一語で済む
九点の技法の欄を比べると、長さがまるで違う。
いちばん短いのは、赤鉄鉱の一語。
次に短いのが、銅合金の一語。
そして、金と緑碧玉。木と銅。木と顔料。
石灰岩と顔料。パピルスと顔料。
木、象牙、綿繊維。
いちばん長いのが、十種類を並べた一点である。
材料の数は、その品の作られ方に対応する。
一つの石を彫ったものは、一語で済む。
多くの物を組み合わせたものは、長くなる。
技法の欄の長さを見るだけで、作りの複雑さが分かる。
これは、前の回の記事で見た年の欄と同じ性質である。
欄の長さが、そのまま対象の複雑さを映す。

金属の立像である。高さは27センチ。
体は布に包まれ、脚の輪郭が一続きになる。
両腕を胸の前で交差させる。
それぞれの手に、短い杖のようなものを握る。
頭には高い冠が載る。
冠の左右には、羽根のような形が立つ。
上部には円い飾りがある。
顔は正面を向き、顎に細い髭が付く。
目は大きく、輪郭がくぼむ。
表面は緑褐色で、腐食の痕がある。
足もとには、四角い台がある。
台には、細い突起が下へ伸びる。
もとは別の台に差し込まれていたのだろう。

金の輪に、緑の石がはめられている。
輪は太く、断面が丸い。
両端は石の左右で留められる。
石は甲虫の形に彫られる。
背に、翅の分かれ目が線で刻まれる。
頭部には、細かい刻みが並ぶ。
色は深い緑で、表面は艶がある。
金は明るく、輪の表面に細い筋が入る。
上から見た画像が公開されている。
輪と石が、一つの平面に収まって見える。
石は軸で留められ、回転する作りだという。
裏側には印章が彫られていることが多い。
館の記録は、そこまでは書かない。

木を彫った頭部である。
首から下はない。
顔は下へ向かってすぼまり、顎が細い。
額は大きく張り出し、前へ突き出る。
眉から鼻筋へ、一本の稜線が通る。
目は細く、上から見下ろすように彫られる。
口は小さく、下の方に位置する。
髪は結い上げられ、後ろへ長く垂れる。
垂れた部分は、細い板状に彫られる。
表面は黒褐色で、艶がある。
こめかみのあたりに、金属の留め具が見える。
技法の欄には、木と銅と書かれる。
その銅が、どこに使われているかは書かれない。

背の高い椅子である。
背もたれは、座面の倍以上の高さがある。
上部は山形に尖り、透かし彫りが入る。
枠には、白い象牙の小片が埋め込まれる。
小片は四角く、規則的に並ぶ。
背もたれと座面には、繊維を編んだ面が張られる。
編み目は細かく、格子状に見える。
肘掛けは水平に伸び、先が四角い。
脚は太く、床に接する部分が広い。
前脚と後脚のあいだに、横木が渡る。
木は暗い褐色で、艶がある。
寸法の欄には、三つの数字が並ぶ。
家具なので、奥行きが要る。
場所の欄が、別に用意されている
館の記録には、作者の欄とは別に、場所の欄がある。
九点のそれを並べると、いずれも国の名だけである。
エジプトが五点。ガボン。コンゴ共和国。イケレ。ケニア。
作者の欄に書かれた民族名や地域名は、ここには入らない。
つまり、二つの欄で粒度が違う。
作者の欄は細かく、場所の欄は粗い。
なぜ分けるのか。
場所の欄は、検索や集計に使うためだろう。
国の名でそろえておけば、地図の上に置ける。
作者の欄は、その品の成り立ちを説明するためのものだ。
だから民族の名まで書く。
同じ情報を、目的の違う二つの欄に別々の粒度で置く。
前の回の記事で、欄が役割を分ける例をいくつも見た。
ここでも、同じ設計が働いている。
出所の行が、四人の連名
九点の出所の行を見ると、長いものがある。
エジプトの三点は、複数人の連名による寄贈である。
一点では、四人の名が読点で区切られて並ぶ。
別の一点では、三人。
いずれも館の設立に関わった人物たちである。
番号は1892年と1894年。
館が開いてまもない時期の受入である。
当時、古代エジプトの品は各地の館が競って集めていた。
一方、アフリカの四点の受入は1984年以降だ。
そのうち三点は、基金による購入である。
同じ部門の中で、受入の時期が九十年ずれている。
一つの部門に、二つの時間
九点は、同じ部門に属する。
しかし、館に入った時期が大きく分かれる。
エジプトの五点は、1892年から1920年まで。
アフリカの四点は、1984年から2006年まで。
六十年以上の空白がある。
館がアフリカの作品を集め始めた時期は、比較的新しい。
部門の名は「アフリカの美術」で一つだが、中身の来た時期は二層になっている。
出所の行と番号を並べれば、その二層が見える。
前の回の記事で、番号の四桁が館の歴史を刻むと書いた。
ここでも、四桁が部門の成り立ちを語っている。
民族の名を、作者の欄に置く
最後に、入口の話へ戻りたい。
作者の欄に民族の名を書くことには、限界もある。
一人の作り手がいたはずなのに、その名が消える。
かわりに集団の名が置かれる。
読む側は、その集団全体が作ったように受け取りかねない。
しかし、他に書ける情報がない。
空欄にすれば、何も分からなくなる。
だから民族と地域を書き、位置を示す。
九点のうち一点だけは、そこに人の名が入った。
一点でも入れば、他の八点との差がはっきりする。
差がはっきりすれば、名がないことも情報になる。
なぜこの一点だけ名が残ったのか。
その問いが、記録を読む入口になる。
答えは、時代の近さと、伝えた人がいたことである。
作品が残っても、名は自動的には残らない。
誰かが書き留めなければ、消える。
九点のうち八点では、それが起きなかった。
一点では起きた。
その差は、作品の質とは関係がない。
記録が残るかどうかは、作品の外側の事情で決まる。
美術館の記録は、その外側の事情の集積でもある。
読むときには、書かれていない八点のことも一緒に考えたい。
九点はいずれも、誰かの手で作られた。
手が動いた事実は、作品の表面に残っている。
彫りの深さ、磨きの艶、編み目の細かさ。
名がなくても、手の跡は消えていない。
記録の欄が空でも、画像の側にはそれがある。
そこを見るために、寸法や材料の欄がある。
九点の材料の欄を読むだけでも、手の動きは想像できる。
石を磨く手、木を彫る手、金を曲げる手。
作者の欄が空でも、技法の欄は埋まっている。
埋まっている欄から読み始めるのが、実際的な順序だろう。
空いている欄は、そのあとで気にすればよい。
その順序でいけば、九点はどれも十分に読める。
名のない八点にも、読むべきものは残っている。


