絵が、家の一部だったころ——18世紀アメリカの作者不詳
縦の三倍近い幅をもつ画面が三点ある。扉の上や暖炉の上に合わせて作られた形である。版画から起こした聖書の場面、渦巻きの枠を描いた壁の布、絹に描いた一枚。家具としての絵を見たい。寸法がそろう二点の関係にも触れておきたい。

横に、極端に長い
九点のうち三点は、画面が横に極端に長い。
縦49.2センチ、横140.9センチ。縦の三倍近い幅がある。
もう一点は、縦65.8センチ、横127.4センチ。こちらも二倍近い。
三点目は、縦68.9センチ、横116.2センチである。
ふつうの絵は、縦横の比が一倍半を超えることは少ない。
肖像なら縦長、風景なら横長。それでも二倍にはならない。
三倍近い比率は、絵としては極端である。
その極端さには、理由がある。
場所に合わせた形
この比率は、絵を掛ける場所によって決まったと考えられる。
扉の上、暖炉の上、羽目板のあいだ。家の中には、横に長い空きがある。
そこに収める絵は、はじめから横長に作られる。
作り手は、寸法を指定されて描く。額に入れて自由に掛ける絵とは違う。
九点の三点は、そうした事情を寸法の欄に残している。
もっとも、館の記録には用途が書かれていない。
扉の上のための絵だ、とは明記されていない。
寸法から推し量るしかない。ここでの読みも、その範囲にとどまる。
作者の欄に、世紀が入る
九点の作者の欄には、人の名が入っていない。
アメリカ、十八世紀、という語が入る。地域と世紀である。
誰が描いたか分からない、という意味である。
家の造作として作られた絵には、署名が入らないことが多い。
作り手は職人であり、絵は建具の一部だったからである。
家を建てる職人が、ついでに絵も描く。看板も描く。
絵を描くことが、独立した職業として確立していない時期である。
だから、名を残す習慣もない。仕事は残り、名は消える。
家具としての絵
十八世紀のアメリカでは、絵は独立した鑑賞の対象とは限らなかった。
暖炉の前をふさぐ板、扉の上の板、壁に貼る布。
いずれも家の設備であり、そこに絵が描かれる。
九点には、そうした性格をもつものが複数含まれる。
美術館に入ると、額に収まって壁に掛かる。もとの姿とは違う。
九点のうち八点には、額の寸法が記録されている。
その額は、館に入ってから付けられたものだと考えられる。
もとは扉の上にはめ込まれていた絵に、いま額が付いている。
見え方は、そこで一度変わっている。

横に長い画面である。
中央に、赤い屋根の建物が立つ。煙突から煙が上がる。
その手前に、大きな池がある。楕円に近い形で、水面が暗い。
池の周りを、白い犬が何十匹も走る。数えると三十を超える。
右には、馬に乗る人が数人いる。白と赤の衣である。
左にも騎手がいる。犬の群れを追う。
地面は褐色で、細かい草の線が入る。
空は上部が青く、下へ向かって黄土色になる。
遠くに低い建物が並ぶ。集落だと思われる。
狩りの場面は、イギリスの絵によくある主題である。
土地を持つ人の娯楽であり、その土地の広さを示す絵でもある。
アメリカでも、同じ型が使われた。九点の二点がそれにあたる。
犬の数
この一点で目を引くのは、犬の数である。
一匹ずつ形が描かれ、向きも異なる。
似た形の繰り返しで、群れを表している。
一匹の犬を丁寧に描くより、多くの犬を並べるほうが、狩りの規模が伝わる。
装飾としては、繰り返しの模様に近い働きをする。
一匹ずつの犬は、体の輪郭と斑点だけで描かれる。
顔も脚の関節も、細かくは追われない。
離れて見れば、白い点の流れになる。近くで見れば、犬の形になる。

九点で最も横に長い一点である。
画面の中央に、木が数本立つ。幹が細く、葉が丸くまとまる。
手前は黄土色の野で、平らに広がる。
その野を、白い犬の群れが右へ走る。二十匹ほど数えられる。
犬の先には、馬に乗る人がいる。赤い衣で、片手を上げる。
右奥には、水面が見える。帆をあげた船が二艘浮かぶ。
奥には低い丘が連なる。青みがかった色である。
空は白い雲が横に流れる。上部は青い。
前の一点と同じ主題だが、こちらのほうが横に長い。
遠近の作り方
この二点の風景では、奥行きの作り方が単純である。
手前を暗く、奥を明るくする。それだけである。
物の大きさで距離を示す方法は、あまり使われていない。
奥の建物と手前の犬の比率が、実際とは合わない。
学んだ技法ではなく、見よう見まねの手つきである。
二点で、対か
同じ主題の二点が、同じ館にある。
どちらも狩りの場面で、どちらも白い犬の群れが出る。
寸法は違う。縦で16センチ、横で13センチの差がある。
対として作られたなら、寸法はもっと近いはずである。
同じ家の別の場所に置かれたのかもしれない。ただし、記録には何も書かれていない。

九点で唯一、板に描かれた一点である。
画面の左右に、大きな木が立つ。葉は暗い緑で、丸くまとめられる。
中央は開けていて、遠くまで見える。
その奥に、白い建物が横に並ぶ。屋根が低い。
手前は草地で、緩やかな起伏がある。
中央下に、小さな動物らしい形がある。犬か羊かは判別できない。
空は上部が緑がかった青で、下は黄土色である。
日の出か日没の空だと考えられる。
板に描くのは、家の造作に組み込む場合に多い。
空の色
九点の風景の空を見ると、色の作り方が似ている。
上部が青か緑がかった色、下部が黄土色か桃色になる。
上から下へ、色が段になって変わる。
境目はぼかされているが、層は見える。
朝夕の空を型として描いていると考えられる。
板と、カンヴァス
九点の支持体は三通りある。
カンヴァスが七点、板が一点、絹が一点である。
板は、壁や扉にはめ込むのに向く。動かない。
カンヴァスは軽く、枠から外して丸められる。移動できる。
絹は、刺繍や水彩の下地として使われる。額に入れて飾る。
額の奥行き
九点の額の奥行きを並べると、2.9センチから6.4センチである。
横に長い三点の額は、いずれも薄い。3センチ前後しかない。
肖像の一点の額は、6.4センチある。最も厚い。
薄い額は、壁にはめ込む絵に合う。厚い額は、掛ける絵に合う。
額の厚みが、その絵の扱われ方を示している。
制作年が、幅で書かれる
九点の年の欄を見ると、幅の広さが目立つ。
十八世紀、とだけ書かれるものが二点ある。百年の幅である。
十八世紀の第四四半期、と書かれるものが一点。二十五年の幅になる。
残る六点は、およそ、を付けた年か、二十年ほどの幅である。
作者が分からなければ、年も絞りにくい。二つの欄は連動している。

九点のなかで、最も変わった一点である。
画面の四辺に、桃色の渦巻き模様が描かれる。装飾の枠である。
その枠の内側に、部屋の情景が描かれる。
右に、男が机に向かって座る。羽根ペンを持つ。
机の上には、紙と本が広げられる。
左には、格子の入った窓がある。
床は赤茶で、四角い敷石の線が入る。
床の上に、小さな人物が三人立つ。大人の五分の一ほどの大きさである。
その大きさの差は、遠近では説明できない。別の縮尺で描かれている。
技法の欄には、水性の絵具、と書かれる。油彩ではない。
油彩ではない絵具
この一点の技法は、九点のなかで唯一である。
水性の絵具をカンヴァスに塗る。膠などで溶いた絵具だと考えられる。
こうした絵具は、乾くと艶がない。壁の装飾に向く。
油彩より安く、早く仕上がる。大きな面を塗るのに適している。
枠の模様が描き込まれていることからも、壁を飾る布だったと考えられる。
枠の模様
この一点の四辺には、渦巻きの模様が描かれる。
絵の中に額縁が描かれている、と言ってもよい。
本物の額を付ける必要がないので、費用が下がる。
同時に、壁の装飾として見たときにまとまりが出る。
描かれた枠は、当時の壁紙や布の装飾でよく使われた。
縮尺が、そろわない
いま見た一点では、人物の大きさがそろっていない。
机の男は大きく、床の三人は小さい。
同じ床の上にいるのに、比率が合わない。
遠近法を厳密に使っていないということである。
大事なものを大きく描く。そういう決め方が残っている。

三人が並んで歩く。中央の人物が最も明るい。
中央の人物は桃色の衣を着る。両手を胸の前で開く。
左の人物は青と褐色の衣で、杖を持つ。
右の人物は帽子をかぶり、右手を前へ差し出す。
三人とも裸足である。足が地面につく。
左には岩と木があり、右には水面が広がる。
奥には建物と山が薄く描かれる。
空は黄土色で、雲が横に伸びる。
手前の地面には、切り株のような形がある。
明るさの置き方
この一点では、中央の人物だけが明るい。
左右の二人は、暗い色でまとめられる。
誰が中心かを、明るさで示している。
物語の絵では、この方法が最も分かりやすい。
顔の描き分けが弱くても、明るさで主役が決まる。
版画から起こす
聖書の場面を描くには、手本が要る。
十八世紀のアメリカに、こうした場面の原画は少ない。
かわりに、ヨーロッパの版画が輸入されていた。
その版画を見て、油彩に起こす。人物の姿勢や配置は、版画に従う。
九点の宗教画二点も、そうして作られたと考えられる。

画面の中央に、円い井戸がある。煉瓦を積んだ形である。
その井戸の左に、女が立つ。黄色い上衣と青い裾である。
女は水差しを手に下げる。赤い靴が見える。
井戸の右には、青い衣の人物が座る。片手を前へ伸ばす。
井戸の上には、木の枠と滑車がある。綱が垂れる。
背後には木立と山があり、右に水面が見える。
奥に小さな建物が並ぶ。
空は青く、上部が濃い。
前の一点と同じく、聖書の場面である。
二点の寸法が、そろう
この一点と、次に見る一点は、寸法がほぼ同じである。
縦51.5センチ、横66センチと66.4センチ。差は数ミリしかない。
一方は聖書の場面、一方は世俗の場面である。
主題は違うが、大きさは揃う。同じ場所に掛けるために作られたのかもしれない。
館の記録は、その関係を書いていない。ここでは可能性として書いておく。

若い男が、テラスに立つ。
衣は赤と黒で、袖に白い襞が出る。脚には赤い靴下を履く。
肩から、大きな黒い布が垂れる。
右手を前へ差し出す。指が開く。
その右に、大きな灰色の壺が置かれる。表面に浮き彫りの模様が入る。
壺には花が生けられる。青、白、黄が混ざる。
左には赤い柱が立つ。その向こうに欄干と風景が見える。
床は白と黒の四角い石が交互に並ぶ。
背景の右は暗い緑で、木立だと思われる。
花と壺
いま見た一点では、壺と花が人物と同じくらいの面積を占める。
肖像なら、人物が中心になる。ここでは物と人が対等である。
壺の浮き彫りも、花の一輪ずつも、丁寧に描かれる。
装飾のための絵では、こうした配分がよく使われる。
見どころが複数あるほうが、壁の絵としては飽きにくい。
版画の姿勢
この一点の人物の姿勢は、当時のヨーロッパの肖像版画によく似ている。
片手を差し出し、体をひねり、布を垂らす。
型として繰り返し使われた構えである。
つまり、この絵も版画を手本にした可能性が高い。
もっとも、どの版画かは分からない。館も特定していない。

九点で唯一の肖像である。
女性が胸から上で描かれる。体はわずかに右を向く。
頭に、大きな白い帽子をかぶる。縁が幾重にも波打つ。
帽子は顔の二倍ほどの大きさがある。
衣は鮮やかな赤で、袖口に白い襞が出る。
胸元には、白い布が大きく結ばれる。
右手に、丸めた紙を持つ。
手前には、鍵盤の並んだ楽器の一部が見える。
背景は暗く、何も描かれない。
帽子の大きさ
この肖像で最も目を引くのは、帽子である。
顔よりも大きく、画面の上半分を占める。
当時の流行の形だと考えられる。布を幾重にも重ねる。
肖像では、流行の衣装が記録として残る。
服飾史の資料になるのは、そのためである。
楽器と、紙
この肖像には、二つの持ち物がある。
鍵盤楽器と、丸めた紙である。紙は楽譜だと考えられる。
音楽をたしなむことを示す型である。
九点のなかで、人物が持ち物を持つのはこの一点だけである。
肖像だけが、その人を説明しようとしている。

九点で最も小さい一点である。
支持体は絹である。九点で唯一である。
画面の右に、大きな木の幹が立つ。表面に節と皺が刻まれる。
その根元に、女性が座る。白い衣を着る。
女性は頭を垂れ、片手を頬に当てる。
膝の上に、細い緑の紐のようなものが伸びる。
左は緑の草地で、奥に木立と空が見える。
空は上部が青く、下が桃色である。
下部の余白に、文字が横に並ぶ。中央には題らしい語が大きく書かれる。
絹に描く
絹に絵を描く仕事は、当時の女子教育と結びついていた。
学校で刺繍や絵を習い、その成果として一枚を仕上げる。
多くは、文学や聖書の場面、あるいは追悼の場面が選ばれた。
家に飾られ、家族の記録として伝わる。
九点のなかで、この一点だけが別の系統の仕事である。
文字の入る絵
絹の一点には、下部に文字が書かれる。
題らしい語が中央に大きく置かれ、その左右に小さな文字が並ぶ。
画像では細部が読み取れない。詩の一節かもしれない。
絵と文字が同じ画面にあるのは、九点でこの一点だけである。
刺繍や絹絵では、文字を入れる形式がよく使われた。
名前が残らない仕事
絹の一枚も、作った人の名は残っていない。
学校の課題として作られたものは、署名を入れないことが多い。
家具としての絵も、職人の名を入れない。
版画を写した宗教画も、名を伏せることがある。
九点はいずれも、名を残さない仕事の集まりである。
主題の幅
九点の主題を数えてみる。
風景と狩りが三点、聖書の場面が二点、室内と人物が三点、追悼らしい場面が一点である。
肖像はひとつだけである。
十八世紀のアメリカの絵といえば、肖像が中心だと思われがちである。
九点はそこから外れた部分を集めている。
何が残ったか
作者が分からない絵は、二十世紀に入ってまとめて集められた。
暮らしの中で使われた絵として、価値が見直された。
その結果、館に入り、記録が作られ、公開されている。
九点は、いま同じ館に並んでいる。もとは別々の家にあったものである。
集められることで、比べられるようになった。
寸法から読む
この記事では、寸法の欄から入った。
横に長い三点は、家の空きに合わせた形である。
寸法がそろう二点は、対だった可能性がある。
小さな一点は、手元で見る大きさである。
作者が分からなくても、数字は多くを語る。
家の中の絵
九点をまとめて見ると、共通するのは一つである。
いずれも、家の中で使われるために作られている。
展覧会に出すためでも、名を上げるためでもない。
壁を飾り、扉の上を埋め、家族の記憶を留める。
同じ時代の別の一群については、手に、何かを持たせる——19世紀アメリカの作者不詳の肖像でも扱った。名のない絵は、暮らしのすぐそばにあった。



