日本からの使節を、メダルに刻む——十九世紀アメリカの記念章
一八六〇年、日本からの使節を迎えて作られたメダルがある。そこから始めて、建国の父の顔、造幣局と民間の注文、彫刻師の署名まで。十九世紀アメリカの記念章を九点で見ていく。小さな円い金属が、何を伝えるために作られたのかを考えたい。

一八六〇年、日本からの使節
一枚のメダルから始めたい。

直径7.6センチの円盤である。
九点の中で、最も大きい部類にあたる。
面には、男の横顔が浮き彫りにされている。
右を向いている。
髪は白く、後ろへ流れる。
首元には、高い襟と襟巻きがある。
上着は暗く、肩の線が示される。
周囲には、文字が円形に並ぶ。
合衆国大統領の名と職が読める。
使節を、迎える
館の題に、この一枚の性格が示されている。
日本からの最初の使節を記念する、とある。
一八六〇年、日本の使節団が米国を訪れた。
条約の批准書を交換するための派遣である。
一行は太平洋を渡り、首都へ向かった。
そして、各地で歓迎を受けた。
このメダルは、その機会に作られたものである。
つまり、日米の最初期の公式な接触の記録である。
贈るための品
外交の場では、記念の品が交わされる。
メダルは、その代表的な品である。
小さく、丈夫で、多数作れる。
そして、贈る側の意思を刻める。
大統領の顔と、出来事の名。
その二つが、一枚に収まる。
前回の記事でも、外交の場で贈られたメダルに触れた。
顔を刻んだ金属が、関係の徴になる。
記念メダルという媒体
今回の九点は、いずれも記念のメダルである。
戦いの功績を讃えるものではない。
出来事や、催しや、人物を記念する。
つまり、平時のメダルである。
当サイトでは、これまで議会が贈るメダルを扱ってきた。
金属に、顔を刻むがそれである。
今回は、その周辺の、より広い用途のメダルを見る。
使節が見たもの
一八六〇年の使節団は、各地で歓迎された。
港での式典、都市の行進、工場や施設の見学。
そして、記念の品が贈られた。
この訪問は、日本側の記録にも残っている。
随行した人々が、見聞を書き留めた。
つまり、双方に記録がある。
一枚のメダルは、その接触の一つの痕跡である。
金属に刻まれた記録は、紙より長く残る。
誰が作ったか
九点の作者は、五人である。
パケが三点、ライトが二点、ラヴェットが二点。
そして、バーバーとエリスが一点ずつ。
いずれも、十九世紀の米国で活動した彫刻師である。
そのうち何人かは、造幣局に関わっていた。
つまり、貨幣を作る技術で、メダルも作る。
同じ設備と、同じ職人が担う。
九点は、その仕事の広がりを示している。
造幣局と、民間の注文
十九世紀の米国では、メダルの注文が増えた。
万国博覧会、慈善の催し、記念日、賞。
いずれも、記念の品を必要とした。
そして、その多くが民間の団体からの注文である。
つまり、公的な顕彰だけではない。
造幣局の職人が、民間の仕事も受ける。
あるいは、独立した工房が作る。
九点の注文主も、公と民が混ざっている。
建国の父の顔
二点目は、よく知られた顔である。

円の中に、男の横顔がある。
右を向いている。
髪は白く、後ろで束ねられる。
そして、その束に黒いリボンが結ばれる。
顔は面長で、鼻が高い。
首元には、白い布が巻かれる。
周囲には、名と生没の日付が刻まれる。
一七三二年生まれ、一七九九年没と読める。
生没の日付を、刻む
この一枚には、生没の日付が入っている。
つまり、人物の一生が数字で示されている。
記念のメダルでは、この形式がよく使われる。
顔と、名と、年。
その三つがあれば、記録として成立する。
そして、円周に沿って文字を並べる。
前回の記事でも、この配置に触れた。
円という枠が、文字の量を決めている。
貨幣室の開設
館の題によれば、これは施設の開設を記念するものである。
貨幣とメダルを収蔵する部屋である。
つまり、収集の場を記念して、メダルを作る。
やや入れ子のような話である。
メダルを集める部屋の記念に、メダルが作られる。
そして、そのメダルもまた集められる。
十九世紀には、貨幣とメダルの収集が盛んだった。
その熱の一端が、この一枚に表れている。
文字だけのメダル
三点目は、図柄がない。

円の中に、文字だけが刻まれている。
人物も、図像もない。
上から下へ、文字が行を成して並ぶ。
大きな文字と、小さな文字が交互に置かれる。
催しの名、団体の名、開催地、そして年月。
一八六四年六月、と読める。
背景は平らで、何も彫られていない。
九点の中で、これだけが文字だけである。
文字を、図柄にする
文字だけのメダルにも、設計がある。
行ごとに、文字の大きさを変える。
重要な語を大きく、補足を小さく。
そして、行の長さを整える。
すると、文字の塊が図形になる。
つまり、活字の組み方と同じ考え方である。
読ませると同時に、見せる。
その両立が、この一枚の課題である。
衛生博覧会という催し
館の題にある催しについて、書いておきたい。
南北戦争のさなか、傷病兵を支援する組織があった。
その資金を集めるため、各地で大規模な催しが開かれた。
物品を集めて売り、入場料を取る。
つまり、慈善の博覧会である。
一八六四年のフィラデルフィアの催しは、その一つである。
このメダルは、その記念に作られた。
戦時の社会の記録でもある。
政治家の横顔
四点目は、人物の記念である。

直径7.6センチの円盤である。
面に、男の横顔がある。
左を向いている。
髪は薄く、額が広い。
顔は細長く、頬がこけている。
首元には、高い襟と白い布がある。
上着は暗く、肩から胸が示される。
上部には、名が円形に刻まれる。
下部には、生没の年と、細かい文字がある。
没後の記念
この人物は、一八五二年に没している。
そして、館の年代は「一八五二年以降」である。
つまり、没後に作られた記念メダルである。
政治家の死を機に、記念の品が作られる。
そして、支持者や関係者に配られる。
十九世紀には、こうした習慣が広くあった。
顔を刻んだ金属が、追悼の形になる。
顔の彫りを、深くする
この一枚の横顔は、彫りが深い。
とくに、頬骨と顎の線がはっきりしている。
そして、鼻から口元への凹みも深い。
つまり、骨格が強調されている。
浮き彫りでは、彫りの深さが印象を決める。
浅ければ穏やかに、深ければ厳しく見える。
九点の顔を見比べると、この差がある。
彫刻師の署名
九点のいくつかには、署名が入っている。
肖像の下、縁の内側の目立たない位置である。
数ミリの大きさで、姓だけのことが多い。
これがあるおかげで、作者が分かる。
館の記録も、この署名を根拠の一つにしている。
署名のないメダルは、作者不明のままになる。
小さな文字が、帰属を決めている。
九点の縁を、拡大して探してみてほしい。
銀のメダル
五点目は、材質が違う。

銀の円盤である。
表面は、白く冷たい光を返す。
面には、複数の人物が浮き彫りにされる。
左に、女性が立つ。
冠をかぶり、手を差し出す。
右には、翼のある人物が座る。
その足元に、別の人物が膝をつく。
背後には、建物の骨組みらしき形が見える。
下部には、彫刻師の名が小さく入る。
寓意で、催しを示す
この一枚の図柄は、寓意である。
冠をかぶった女性は、新大陸を示す型だろう。
翼のある人物は、勝利や名声を示す。
そして、膝をつく人物は、技芸か産業を示す。
つまり、抽象的な概念を人の姿で表している。
当サイトでは、繰り返しこの型に触れてきた。
万国博覧会のメダルには、この寓意がよく使われた。
産業の進歩を、人の姿で示す。
銀と青銅の差
九点のうち、銀はこの一点だけである。
残りは、青銅か、青銅に金箔を貼ったものである。
銀は、青銅より高価である。
そして、表面が白く、彫りの陰影がはっきり出る。
一方、青銅は褐色で、落ち着いて見える。
同じ型から、材質を変えて作ることがある。
上位の受賞者には銀、参加者には青銅。
そういう使い分けも行われた。
表面の色
九点の色を見比べたい。
明るい褐色、赤みの強い褐色、暗い褐色。
いずれも青銅だが、表面の色が違う。
これは、経年と手入れの差である。
空気に触れ、手に触れ、拭かれる。
その履歴が、色になって残る。
前回の記事でも、同じ点に触れた。
色は年代の手がかりにはならない。
万国博覧会という機会
一八五三年、ニューヨークで万国博覧会が開かれた。
硝子と鉄で作られた建物が、会場になった。
米国で初の国際的な博覧会とされる。
そして、記念のメダルが作られた。
博覧会は、メダルの大きな需要源である。
記念、賞、参加証。
いずれも、メダルの形をとる。
九点のうち三点が、博覧会や賞に関わる。
硝子と鉄の建物
この博覧会の会場は、硝子と鉄で作られた建物だった。
同じ形式の建物が、数年前にロンドンで作られている。
つまり、その様式が新大陸に持ち込まれた。
メダルの背後に見える骨組みも、その建物だろう。
新しい建築を、記念のメダルに刻む。
つまり、産業と技術の進歩を示している。
十九世紀の博覧会は、その展示の場だった。
小さな記念メダル
六点目は、九点の中で最も小さい。

直径3.8センチ。
五百円玉より、やや大きい程度である。
面には、男の横顔がある。
右を向いている。
髪は後ろで束ねられ、リボンが結ばれる。
顔は面長で、鼻が高い。
肩には、布がかかる。
周囲には、名が円形に刻まれる。
二点目と同じ人物である。
同じ顔が、繰り返される
二点目と六点目は、同じ人物である。
つまり、同じ顔が二度出てくる。
そして、作者も年も違う。
一八六〇年と、一八七八年。
パケと、ラヴェット。
にもかかわらず、顔立ちはよく似ている。
理由は、参照した肖像が同じだからだろう。
有名な人物の顔には、基準となる像がある。
それを写して、繰り返し作る。
百年を、記念する
この一枚は、ある戦いの百周年を記念している。
一七七七年の出来事の、一八七八年の記念である。
十九世紀後半の米国では、百周年の記念が相次いだ。
独立宣言、各地の戦い、そして建国の行事。
いずれも、百年目に記念の催しが開かれた。
そして、メダルが作られる。
つまり、記念の周期が需要を生む。
九点のうち三点が、百周年に関わる。
賞のメダル
七点目は、賞である。

円の中に、座った女性がいる。
右手を前へ差し出す。
左手には、旗の柄のようなものを持つ。
その足元には、盾と鷲がある。
周囲には、産業を示す品が並ぶ。
歯車、車輪、樽、麦の束。
そして、背後に帆船が見える。
上部には、団体の名が刻まれる。
下部には、都市の名がある。
産業を、物で示す
この図柄は、産業の寓意である。
歯車は機械、車輪は運輸、樽は商い、麦は農業。
つまり、物の集まりで分野を示している。
そして、中央の女性が、その全体を代表する。
賞のメダルには、この形式が多い。
受賞の理由を、絵で説明する必要があるからである。
当サイトの
金属に、顔を刻むでも、同じ型の賞牌に触れた。
会社に、賞を贈る
この賞の受け手は、会社である。
館の題にも、社名が記されている。
タイプライターを作る会社である。
つまり、製品の優秀さを認める賞である。
十九世紀後半、こうした賞は商売の宣伝になった。
受賞を広告に載せ、信用の証しにする。
そして、そのメダルを工場や店に飾る。
賞は、金属の形をした宣伝でもあった。
寄贈者と、受賞者
この一枚の寄贈者に注目したい。
社名と同じ姓の人物である。
つまり、受賞した会社の関係者だろう。
賞を受けた本人が、館へ寄贈している。
一九〇九年、受賞から二十一年後である。
家に飾られていたものが、館へ渡る。
メダルの来歴としては、分かりやすい形である。
金箔を、貼る
八点目は、技法に注記がある。

技法欄に、青銅と金箔とある。
つまり、金箔が使われている。
面には、複数の人物が浮き彫りにされる。
中央に、女性が立ち、両腕を広げる。
その左右に、座った人物がいる。
左の人物は、装置に手をかける。
右の人物は、丸い盤を持つ。
足元には、機械や道具が置かれる。
上部と下部に、文字が円形に並ぶ。
独立百年の博覧会
一八七六年、フィラデルフィアで万国博覧会が開かれた。
独立宣言から百年の記念でもある。
つまり、二つの機会が重なっている。
当サイトの
一八七六年のメダルでも、この博覧会を扱った。
会場では、多数の賞が授与された。
そして、記念のメダルも作られた。
九点のうち二点が、この博覧会に関わる。
議会の法による
この一枚の下部には、文言がある。
議会の法にもとづく、という趣旨の文字が読める。
そして、一八七四年六月という日付がある。
つまり、法律で定められた記念メダルである。
博覧会の二年前に、制定されている。
準備が、それだけ前から進んでいたことになる。
記念の品は、行事の一部として計画される。
大統領のメダル
九点目は、人物の横顔である。

円の中に、男の横顔がある。
右を向いている。
髪は豊かで、額の上で波打つ。
顔は丸く、頬に肉がある。
首元には、高い襟と白い布がある。
上着は暗い。
周囲には、名と職が円形に刻まれる。
下部には、一八五〇年という年がある。
就任の年を、刻む
下部の年に注目したい。
一八五〇年である。
この人物が大統領に就いた年にあたる。
つまり、就任を記念するメダルである。
前回の記事でも、同じ形式に触れた。
大統領の肖像に、就任の年を刻む。
そして、大きさに複数の段階がある。
用途に応じて、使い分けられた。
顔の向きを、揃える
九点の横顔を見比べたい。
右を向くものが五点、左を向くものが一点。
つまり、右向きが多い。
これは、古代の貨幣からの慣習でもある。
そして、彫刻師の作業の都合もあるだろう。
右利きの職人には、右向きの顔が彫りやすいとされる。
もっとも、例外も多い。
九点にも、左向きが一点ある。
九点の大きさ
直径を整理したい。
3.8センチが一点。
5.7センチが三点。
6センチが二点、6.4センチが一点。
そして、7.6センチが二点。
つまり、四センチから八センチの範囲である。
手に持てる大きさに収まっている。
大きいほど、彫りの細部が入る。
そして、費用も上がる。
材質の三種類
材質も整理したい。
青銅が七点。
銀が一点。
青銅に金箔を貼ったものが一点。
つまり、青銅が中心である。
銀は高価で、贈答用に使われる。
金箔は、装飾を加えた仕様である。
同じ図柄でも、材質を変えて作ることがある。
配る相手に応じて、使い分ける。
年代の幅
九点の年代を並べたい。
一八五〇年、一八五二年以降、一八五三年。
一八六〇年が二点、一八六四年。
一八七六年、一八七八年、一八八八年。
つまり、四十年ほどに散っている。
十九世紀の後半である。
この時期、記念メダルの需要は高かった。
博覧会、百周年、慈善の催し、賞。
いずれも、メダルを必要とした。
二人の収集家
九点の来歴を見たい。
一八八三年の寄贈が二点。
一九〇七年が五点、一九〇九年が二点。
つまり、二人の寄贈者に集中している。
一八八三年の寄贈者は、当サイトの他の記事にも登場する。
一九〇七年と〇九年の夫妻も、同様である。
つまり、少数の収集家が、この分野を支えた。
館のメダル部門は、その集積の上にある。
メダルを、集めるということ
メダルの収集は、十九世紀に盛んだった。
小さく、丈夫で、種類が多い。
そして、歴史の出来事と結びつく。
つまり、集めることが歴史の勉強にもなる。
博覧会、記念日、人物。
それらを網羅すれば、時代の索引ができる。
九点の顔ぶれも、その索引の一部である。
九点を、順に見る
見方を提案して、終わりたい。
九点の縁に沿った文字を、順に追ってほしい。
名前、職、年、団体、都市。
いずれも、円周に沿って並ぶ。
そして、始まりと終わりの位置が決まっている。
文字数によって、間隔が調整される。
つまり、円という枠が文字組みを規定している。
図柄より先に、文字の配置が決まったかもしれない。
小さな円盤の設計を、文字から読む。
そういう見方をすると、九点はずいぶん饒舌になる。





