1876年、賞を受けた画家は会場に入れなかった——エドワード・ミッチェル・バニスター
建国百年の万国博覧会で一等の銅賞に選ばれた風景画家は、黒人だという理由で会場から押し戻された。受賞作は現存しない。当サイトに残る106点の小さな絵から、この画家が実際に何を描いたのかを読む。事件だけで語り終えないための記事である。

川の曲がり角に、署名がある
一枚の風景画から始めたい。

左手前に土手があり、木立が濃い影をつくっている。柵が数本、斜面を横切っている。
土手の下は砂の岸で、そこから川が右奥へ広がっていく。水面は静かで、雲を映している。
空の三分の二は積雲である。白く盛り上がり、下面はわずかに灰色。天候が変わる前の、湿った空気の感じがある。
手前の草には、小さな桃色の花が点々と置かれている。絵具を筆先で置いただけの、ごく短い touch である。
そして左下に署名。「E M Bannister」と、その下に「85」。
見たところ、十九世紀後半のアメリカで量産された風景画の一枚である。特別に変わったところはない。
その「特別に変わったところがない」ことが、この記事の出発点になる。
1876年、フィラデルフィア
建国百年を記念する万国博覧会が、1876年にフィラデルフィアで開かれた。
美術部門に出品された一枚の風景画が、一等の銅賞に選ばれる。題は《樫の木の下で》。
作者はエドワード・ミッチェル・バニスター。当時四十七歳、ロードアイランド州プロヴィデンスで活動していた画家である。
受賞の知らせを受けて、彼は会場へ向かった。
そこで何が起きたかは、本人の回想として伝えられている。
会場に入ろうとしたところ、押し戻された。黒人だったからである。
さらに、受賞者が誰であるかが分かると、審査をやり直すべきだという声が審査員の側から出たという。
結局、賞は取り消されなかった。同じ部門に出品していた画家たちが、決定を支持したためだと伝えられている。
これによりバニスターは、全国規模の美術賞を受けた最初のアフリカ系アメリカ人の画家とされている。
この博覧会の規模を、少し補っておきたい。
1876年のフィラデルフィア万国博覧会は、アメリカが初めて開いた本格的な万博である。会期は五月から十一月、来場者は延べ一千万人に近いとされる。
美術部門は独立した建物に置かれ、各国から数千点が集まった。そこに出すこと自体が、画家にとっては大きな機会である。
その場で、無名に近い地方の画家が一等の銅賞を得た。事件はその直後に起きている。
なお、この経緯は主として本人の語りを介して伝えられている。審査の場で実際にどんな議論があったかを示す一次記録は、確認されていない。
だからここでは「そう伝えられている」という書き方をした。事実として動かないのは、受賞が取り消されなかったこと、そして彼が受賞者として記録に残ったことである。
その絵は、いま無い
ところが、肝心の《樫の木の下で》は現存が確認されていない。
受賞後に売れ、その後の所在が分からなくなっている。写真も残っていない。
つまり私たちは、この事件の中心にあった絵を見ることができない。
見られるのは、同じ時期に彼が描いていた他の作品だけである。

受賞の翌年に描かれたこの一枚は、題名も画面も、失われた受賞作を想像させる。
ただし、この絵が受賞作と直接関係するという記録はない。似た主題を繰り返し描いていた、という以上のことは言えない。

受賞と同じ1876年に描かれた小さな一枚も残っている。
奥に丘が重なり、右手前に木立。水面は暗く、そこに白い帆が一つだけ立っている。
画面の中で明るいのは、この帆と、雲の切れ間だけである。あとはすべて褐色と深緑に沈んでいる。
この一枚を見ると、彼が何をやろうとしていたかがよく分かる。暗い画面の中に、小さな明るさを一点だけ置く。
見る者の目は、必ずそこへ行く。そこから画面全体へ視線が広がっていく。
この記事で追いたいこと
事件の話と、絵の話がある。
たいていの紹介は、事件だけを語って終わる。1876年の差別と、それを乗り越えた画家、という筋である。
だが、それでは彼が何を描いたのかが残らない。
この記事では、事件の経緯を確認したうえで、作品そのものを見ていきたい。どんな空を、どんな大きさで、なぜ描いたのか。
当サイトに、106点ある
もうひとつ、この記事を書ける理由を述べておきたい。
当サイトで公開しているバニスターの作品は106点ある。個人の画家としては、かなり多い部類に入る。
内訳を見ると、その大半がスミソニアンの一括収蔵に由来している。作品番号が連番で並んでいることから、まとまって美術館へ入ったことが分かる。
そして、題名の付いていない作品が非常に多い。記録では「無題(羊飼いと羊)」「無題(川の帆船)」のように、内容を説明する括弧書きになっている。
これは、本人が題名を付けなかったか、記録が失われたかのどちらかである。
売れた絵には題名が残りやすい。手元に残った習作や小品には、残りにくい。
つまり題名のない作品が多いこと自体が、この画家の作品がどう伝わったかを示している。
まとまって残ったおかげで、私たちは一人の画家の三十年をたどることができる。それは幸運なことでもある。