甲冑は、誰に見せるための衣装だったのか——クンツ・ロッホナーの人馬用甲冑
漆と糸で作る鎧
同じ時代、東の端にはまったく違う設計の甲冑があった。

構造がまるで違う。ヨーロッパの甲冑が大きな板で全身を包むのに対し、こちらは小さな板を糸で綴じ合わせている。
素材も違う。鉄と革を漆で固め、絹の糸で編む。金属だけで作られていない。
利点は柔らかさと軽さである。全体としてしなやかに動き、重量も抑えられる。
弱点もある。糸は水を吸い、汚れ、切れる。手入れの手間はヨーロッパの板金より大きい。
そして色である。赤、紺、萌黄。糸の色と組み方で、家ごとの見え方が作られる。
兜の飾りはさらに大胆で、角、鍬形、動物、文字まで立てる。戦場で誰がどこにいるかを示す標識でもあった。
つまりこちらも、機能と表示が同居している。守る道具であると同時に、名乗りの道具である。
鉄砲が来てからの鎧
日本の甲冑にも、技術の転換点がある。鉄砲の伝来である。
十六世紀の半ば以降、戦場に火縄銃が入ってくると、糸で綴じた小さな板の防御では足りなくなる。
そこで、胴を大きな鉄板で作る形式が広まった。当世具足と呼ばれる、その時代の実戦向きの様式である。
先ほどの一領も、胴は大きな面で作られている。装飾は残しつつ、防御の考え方が板金の方向へ寄っている。
面白いのは、この変化がヨーロッパの甲冑と同じ方向を向いていることだ。飛び道具が強くなれば、面で受けるしかない。
そして最終的に、両方とも同じ結末を迎える。銃の威力が上がり、防げる限界を超えると、全身の鎧は姿を消していく。
残ったのは、儀礼と表示の機能である。武器としての意味を失った甲冑は、家の由緒を示す品として保管された。
美術館に並ぶ甲冑の多くが装飾の豊かなものなのは、そのためでもある。実用一辺倒の品は、使い潰されて残らない。
鍔という、小さな金工
甲冑から少し離れて、刀の部品にも触れておきたい。

鍔は刀の柄と刀身のあいだに挟む金具で、手を守る部品である。実用の部品でありながら、装飾の対象になった。
金属の色を使い分ける技法が発達している。銅に金を混ぜた合金を薬品で処理すると、深い紫黒色になる。
そこへ金や銀を象嵌し、模様を描く。絵画に近い仕事が、直径数センチの円盤の上で行われる。
十九世紀の後半、武士の帯刀が廃止されると、鍔を作っていた職人たちは仕事を失った。
その技術の一部は、輸出用の工芸品へ流れる。西洋で日本の金工が高く評価されたのは、この時期である。
当サイトが所蔵館から取り込んだ鍔の多くが十九世紀のものなのも、そうした流通の結果だろう。