甲冑は、誰に見せるための衣装だったのか——クンツ・ロッホナーの人馬用甲冑
馬にも、鎧を着せる
冒頭の一組に戻りたい。あの甲冑では、馬も鋼で覆われていた。
馬の頭を守る面具、首を覆う板、胸当て、脇腹の板。馬用の防具にも、部位ごとに名前がある。
理由は明快で、当時の騎兵にとって馬は最大の資産だった。乗り手が無事でも、馬を失えば戦力にならない。
そして馬は的として大きい。人より当てやすく、倒れれば乗り手も落ちる。
ただし重量の問題がある。人の甲冑に加えて馬の甲冑を載せれば、負担は数十キロ増える。
そのため、馬の防具は前面に集中している。突撃してくる方向だけを守り、後ろは省く。
装飾も前面に集まる。行列で人の目に触れるのは、前と横だからである。
当サイトには、馬の頭を覆う面具が単独で残っているものもある。曲面に打ち出された装飾を見ると、これも見せるための品だったことが分かる。
寄せ集められた甲冑
もうひとつ、展示室では見えにくい事情がある。いま一式として立っている甲冑が、もともと一式だったとは限らない。
当サイトが扱う武具の記録にも、「合成の甲冑」「組み合わせた甲冑」と記されたものがある。
別々の時代、別々の工房の部品を集め、一領の形に組み上げたものである。
理由は単純で、一式で残ることが稀だからだ。収集家も美術館も、揃った姿で見せたい。
十九世紀の収集熱の時代には、こうした組み合わせが盛んに行われた。足りない部品を新しく作って足すことさえあった。
つまり甲冑の展示には、絵画でいう「帰属」と同じ問題がある。どこまでが本来のもので、どこからが後の手か。
フェルメールの作者欄をめぐる話を別のコラムで書いた。工芸の世界では、同じ問題が部品単位で起きる。
所蔵館の記録に「後世の修復を含む」「合成」と書かれているのは、そのための注意書きである。名前の欄と同じで、読み方を知っていると景色が変わる。
絵の中の甲冑
甲冑は、絵画のなかにも大量に描かれている。ここも見ておきたい。

この人物は、実在の誰かの肖像ではないと考えられている。老人に古風な衣装を着せて描いた顔の習作である。
注目したいのは、喉当てだけを着けていることだ。全身の甲冑ではなく、首から胸の一部だけ。
十七世紀のオランダでは、この部品が肖像画の小道具としてよく使われた。軍人らしさ、あるいは勇壮さの記号である。
実際に戦場へ出る人でなくても、絵の中では着けられる。衣装としての甲冑が、絵の中でさらに記号になっている。
同じことは日本の肖像にも言える。武具を身につけた姿は、その人物の立場を一目で示す。
つまり甲冑は、二重に「見せるもの」だった。着ている姿を人に見せ、その姿を描いた絵をまた人に見せる。
レンブラントの晩年については別のコラムで詳しく書いた。彼が家に武具を集めていたことも、そこで触れている。
甲冑は、身につける肖像画である
三つの型を見てきた。実戦用、競技用、そして見せるための甲冑。
ここまで来ると、甲冑の性格がはっきりする。これは防具であると同時に、着る人の情報を表示する装置である。
家の紋章、色、装飾の水準。戦場でも式典でも、それを見た人は着ている人物の身分を読み取れる。
宮廷の肖像画が、綬や毛皮や紋章で身分を語っていたことを別のコラムで書いた。甲冑は、その情報を本人の身体に載せたものである。
しかも肖像画と違って、複製できない。一点物であり、身体に合わせて作られ、持ち主が死ねば意味を失う。
家に伝えられ、飾られ、やがて美術館に入る。役目を終えた道具が別のものになる、という話も肖像画と同じである。
展示室での読み方
最後に、甲冑を見るときの手がかりを挙げておきたい。
第一に、用途を見る。兜が胴に固定されていれば競技用、首が回るなら戦場用の可能性が高い。
第二に、左右差を見る。片側だけが厚い、片側だけに部品が足されている。用途が形に出ている。
第三に、装飾の位置を見る。胸の中央、肩、兜の前。どこに手をかけたかで、誰に見られる想定だったかが分かる。
第四に、寸法を見る。当時の人の背丈を思うより小さく感じることが多い。中に入る身体を想像すると、道具としての現実味が出てくる。
そして、当サイトの画像なら拡大できる。彫りの線、鋲の並び、糸の編み目まで見える。
金属の表面は、写真では平坦に見えやすい。それでも、光の当たり方の違いから、叩き出しの跡を読むことはできる。
四百年前、この鋼の中に人が入っていた。そう思って見ると、展示ケースの中の形が少し違って見えてくるはずである。









