森に住んで、森を描く——ルソー、トロワイヨン、カザン
谷の村
二点目は、小さな習作である。

横長の画面である。縦23.2センチ、横40.6センチ。
手前に、乾いた草地が広がる。
そこに柵が横に伸びている。
その向こうに、白い壁の家が数軒建つ。
さらに奥は、緑の平地が続く。
空は画面の上半分を占めている。
灰色の雲が横に流れ、下のほうが黄色く光る。
夕方だろう。
紙に描かれ、後から画布に貼られている。
紙に描く理由
紙は、屋外に持ち出しやすい。
軽く、板に留めれば安定する。
しかも安い。失敗しても惜しくない。
だから、現場の習作には紙がよく使われた。
そのうえで、良いものは画布に貼って保存する。
この一枚も、その経路をたどったと考えられる。
つまり、はじめから作品として作られていない。
記録が、後から作品になった例である。
石橋のある谷
三点目は、山の中である。

深い谷である。左右から岩壁が迫る。
中央に、石造りの橋が架かっている。
橋は一つの大きな弧を描いている。
その下を、水が流れている。
水の中に、白い布のようなものが見える。
洗濯だろうか。人の姿も小さく描かれている。
橋の上には、建物らしき影がある。
奥は明るく、木が茂っている。
これも紙に描かれ、画布に貼られている。
水と石
この絵の見どころは、質感の描き分けである。
岩は硬く、角ばっている。
水は流れ、白く泡立つ。
石橋の表面は、苔で緑がかっている。
同じ灰色でも、岩と橋では調子が違う。
しかも、そのすべてが小さな画面に収まっている。
縦31センチ、横37センチ。
現場で描くには、ちょうどよい大きさである。
嵐が来る
四点目は、天候の絵である。

九点の中で最も大きい。縦116.2センチ、横157.5センチ。
画面の上半分を、雲が占めている。
黒い雲が右から迫り、その隙間に白い雲が輝く。
下半分は、水辺である。
手前に浅い水があり、その先に砂州が見える。
砂州の上に、大きな木が数本立つ。
その根元に、人と荷車らしき影がある。
左手前には、人が座っている。
水面には、空の光が反射している。
大きな画面で、天気を描く
この一枚は、明らかに画室で仕上げられている。
寸法が大きく、構成が練られている。
雲の形も、光の配置も、計算されている。
つまり、現場の写生と画室の制作が組み合わされている。
バルビゾンの画家たちも、大作は画室で作った。
屋外での制作は、材料の収集である。
その両方を回すのが、この時期の方法だった。
当サイトでも
ドービニーの画室舟で、
その工夫の一例を扱った。
静かな川
五点目は、また小さい。

川である。手前から奥へ、水面が広がる。
水は静かで、鏡のようになっている。
対岸には、低い木が茂っている。
その中央に、一本の木が高く立っている。
さらに奥は、平らな土地が続く。
空は灰色がかった白で、雲が薄い。
画面の右に、小さな人影が二つ見える。
全体が、緑と褐色と灰色でできている。
中央の一本の木
この絵の構図は、単純である。
水平の帯が三つ。水、岸、空。
そこに、一本の木が縦に立つ。
その木が、画面を左右に分けている。
もし木がなければ、絵は水平線だけになる。
一本あるだけで、構図が成立する。
木の位置は、画面の中央からわずかに右である。
真ん中に置くと、絵が硬くなる。
少しずらすことで、落ち着きが出る。
板に描く小品
この一枚は、板に描かれている。
縦41.6センチ、横63.2センチ。持ち運べる寸法である。
板は、紙より丈夫で、画布より平滑である。
屋外で描くなら、丈夫さは重要である。
風で倒れても、雨に当たっても、紙ほどは傷まない。
しかも、板は絵具の吸い込みが少ない。
塗った色が、そのままの明るさで残る。
紙だと、絵具の油が吸われて色が沈むことがある。
つまり、板は屋外制作と相性がよい。
九点のうち二点が板であるのも、その理由だろう。
水を、鏡にする
静かな水面の描き方にも触れたい。
この絵の水は、ほとんど動いていない。
そのため、対岸の木がそのまま映り込んでいる。
映った像は、実際の像より暗く、色が沈む。
水面が完全な鏡なら、明るさは変わらないはずである。
しかし実際には、水が光を吸収する。
その差を描き分けないと、水に見えない。
上下対称に同じ色を置けば、絵は破綻する。
小さな判断だが、風景画の説得力を左右する。