美術史・技法

森に住んで、森を描く——ルソー、トロワイヨン、カザン

羊の習作

六点目は、未完成の絵である。

羊の習作(未完成)
コンスタン・トロワイヨン《羊の習作(未完成)》1850年ごろ。油彩・画布。縦45.8センチ、横37.8センチ。シカゴ美術館蔵。コンスタン・トロワイヨン《羊の習作(未完成)》シカゴ美術館蔵

暗い画面である。褐色と黄土色が中心である。

中央に、羊が数頭いる。

こちらを向いて、群れている。

顔と体の輪郭が、白っぽい絵具で描かれている。

しかし、細部はほとんど描かれていない。

目も、鼻も、脚も、曖昧である。

背景は、褐色の下塗りのままに見える。

記録でも「未完成」とされている。

途中の絵

未完成の絵から分かることは多い。

まず、下塗りの色が見える。

この画家は、褐色の地の上に描き始めている。

暗い地の上に、明るい色を置いていく手順である。

次に、どこから描き始めるかが分かる。

羊の塊が先に置かれ、背景は後回しである。

つまり、主題が先で、環境が後である。

完成作では、この順序は見えなくなる。

動物を描く画家

トロワイヨンは、動物を描く画家として知られた。

牛、羊、犬。とくに家畜の絵が多い。

十九世紀のフランスでは、この分野に需要があった。

農村の風景と家畜は、都市の買い手に好まれた。

つまり、これも売れる主題である。

もっとも、動物を描くのは簡単ではない。

じっとしていないし、毛の質感も難しい。

この習作も、そのための訓練だったのかもしれない。

市場へ行く道

七点目は、完成した作である。

市場への道
コンスタン・トロワイヨン《市場への道》1858年から59年。油彩・画布。縦92センチ、横73.4センチ。シカゴ美術館蔵。コンスタン・トロワイヨン《市場への道》シカゴ美術館蔵

縦長の画面である。

道を、羊の群れが手前へ向かって歩いてくる。

数十頭はいるだろう。

その中に、馬に乗った人物がいる。

さらに、徒歩の人物も見える。

右手前には、犬が一匹いる。

道の左右には、高い木が並ぶ。

奥は霞んでいて、白い光に溶けている。

朝の光だろう。

群れを、どう描くか

多数の動物を描くときの問題は、区別である。

一頭ずつ描き分けると、時間がかかる。

同じに描くと、模様になってしまう。

この絵では、手前の数頭だけが詳しく描かれている。

奥へ行くほど、白い塊になっていく。

その減衰の具合が、群れの奥行きを作っている。

先ほどの習作で羊の形をつかんだ人が、
本作ではその形を省略して使っている。

習作と完成作の関係が、はっきり見える。

朝の霧

この絵の奥の白さについても書いておきたい。

道の奥が、白い光に溶けている。

輪郭が消え、木の形も判別できない。

これは、朝の霧を描いたものだろう。

家畜を市場へ連れて行くのは、早朝の仕事である。

日が高くなる前に、目的地へ着く必要がある。

つまり、時刻の設定と主題が一致している。

そして、霧があると絵の奥行きが作りやすい。

手前は濃く、奥は淡く。それだけで距離が出る。

主題の必然と、絵の都合が重なっている。

夕日の荒れ地

八点目は、色が強い。

アルボンヌ近くの日没
テオドール・ルソー《アルボンヌ近くの日没》1860年から65年ごろ。油彩・板。縦64.1センチ、横99.1センチ。メトロポリタン美術館蔵。テオドール・ルソー《アルボンヌ近くの日没》メトロポリタン美術館蔵

夕方の風景である。

画面全体が、赤褐色と橙色に染まっている。

手前は、荒れた地面である。

低い草と、石が散らばっている。

中央から奥へ、平地が広がる。

その奥に、日が沈もうとしている。

太陽の周囲が、明るい橙に光る。

左に、木が数本立っている。

葉は疎らで、枝が空に透けている。

逆光の風景

これも逆光の構図である。

太陽が画面の奥にあり、手前が影になる。

そのため、地面の細部は暗く沈んでいる。

見えるのは、地形の起伏と、木の輪郭だけである。

こういう画面では、色の階調が勝負になる。

橙から赤へ、赤から褐色へ。

その移り変わりが滑らかでないと、絵が破綻する。

板に描かれているのも、その助けになっている。

板は平滑なので、絵具を薄く伸ばしやすい。

風車と虹

最後の一点は、世代が下る。

大風車と虹
ジャン=シャルル・カザン《大風車と虹》1888年。油彩・画布。縦88.9センチ、横116.84センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジャン=シャルル・カザン《大風車と虹》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

明るい画面である。

中央に、大きな風車が立っている。

白い壁と、四枚の羽根が見える。

その手前に、収穫した麦の束が並んでいる。

円錐形の束が、いくつも地面に立つ。

左には、木が一本と、小さな建物がある。

空は淡い灰青色で、雲が広がる。

そして、左上から虹が架かっている。

淡い色で、空にかすかに見える。

一世代あとの絵

この一枚は、これまでの絵と調子が違う。

まず、明るい。暗い前景がない。

次に、色が澄んでいる。褐色が支配していない。

そして、筆跡が細かく、均質である。

制作は1888年。バルビゾンの世代からは二十年以上あとである。

そのあいだに、絵画は大きく変わった。

戸外での制作が当たり前になり、色が明るくなった。

この絵は、その変化を受けた後の風景画である。

引き継がれたもの

とはいえ、共通するものもある。

まず、主題である。

風車も、麦の束も、農村の日常である。

名所でも、事件でもない。

次に、態度である。

その場所に滞在し、繰り返し見て描く。

バルビゾンの画家たちが始めた方法が、そのまま続いている。

主題と態度が受け継がれ、色と筆づかいが変わった。

九点を並べると、その受け渡しが見える。

九点を通して

九点を年代順に並べる。

1820年代後半、1830年、1840年代半ば、1845年から50年ごろ。

そして1849年、1850年ごろ、1858年から59年、1860年から65年ごろ、1888年。

六十年の幅がある。

ルソーが五点、トロワイヨンが三点、カザンが一点。

支持体は、紙が二点、板が二点、画布が五点。

小さな習作から、大きな完成作まで揃っている。

森を、絵にした人たち

最後に、この一群の意味について書きたい。

彼らがしたことは、主題の格を下げることだった。

歴史も神話も物語もない、ただの森を絵にする。

その選択が、その後の絵画を変えた。

日常の風景を描いてよい、という前提ができた。

その前提の上に、次の世代が立つ。

当サイトでも
印象派の前で、
同じ時期の別の側面を扱っている。

森の道を、人が一人歩いている。

その一枚が絵になるところから、多くのことが始まった。

部屋に置くなら

最後に、飾ることについても触れておきたい。

これらの絵は、全体に色が抑えられている。

褐色、緑、灰色。強い色はほとんど使われていない。

そのため、部屋の中で主張しない。

風景の絵は、窓の代わりになると言われることがある。

壁に一つ、外へ抜ける場所を作る。

森の道の絵は、まさにそういう働きをする。

視線が奥へ抜け、部屋が少し広く感じられる。

ただし、暗い絵は光の少ない場所には向かない。

明るい壁か、照明のある場所に掛けたほうがよい。

最後のカザンの一枚のように明るい作なら、
北向きの部屋でも十分に映えるはずである。

同じ系譜の絵でも、置き場所は変わってくる。

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