画家を知る

都市は、毎日が興行——ジョージ・ベローズ

問い——なぜ、それを描くのか

ここで問いを立てたい。

なぜベローズは、こんなものばかり描いたのか。

裏路地のボクシング。川で泳ぐ貧しい子どもたち。

どれも当時の「美しい絵」の主題ではない。買い手がつく保証もない。

現に批判もされた。それでも、やめなかった。

答えは、師の教えにある。芸術は生活から。

ならば、20世紀初頭のニューヨークの生活とは何だったか。

それは、都市そのものが猛烈な速さで変わっていく光景だった。

地下鉄が掘られ、橋が架かり、古い家々が壊されていく。

泳ぐ子ども、殴り合う男、掘られる街。

別々の主題に見えて、同じ一つの都市の断面である。

どの画面にも、生きて動く人間がいる。それが選択の基準だった。

ベローズは次に、その工事現場へ向かう。

湯気の向こうの、大きな穴

青い朝
ジョージ・ベローズ《青い朝》1909年。油彩・画布。縦86.3センチ、横111.7センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョージ・ベローズ《青い朝》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

青い朝である。

手前に高架の鉄骨が立ち、黒い額縁のように画面を区切る。

その向こうに、巨大な掘削現場が広がる。

ペンシルベニア駅の建設である。1904年から1910年にかけて、街の一角が丸ごと掘り返された。

朝の空は青く、掘り下げられた地面も青い影に沈む。

白い湯気がひとかたまり、光を受けて立ちのぼる。

作業員の姿は、点のように小さい。

人が小さいのではない。穴が大きいのである。

人の手で掘ったとは思えない窪みが、街の真ん中に口を開けていた。

鉄骨の額縁越しに覗くと、工事は一つの舞台に見えてくる。

通勤の朝、高架の下で足を止めて、穴を眺める。

そんな一瞬の視線を、そのまま構図にした絵だろう。

ベローズはこの現場を、何度も描いたと伝えられる。

完成した駅ではなく、掘りかけの穴を描く。

都市の名所ではなく、名所になる前の汗を描く。

それ自体が、新しいことだった。

題は《青い朝》。工事の絵に、こんなに澄んだ題をつける。

埃と騒音の現場に、ベローズは色の美しさを見ていた。

工事の絵は、記録であると同時に風景画である。その両立が、この画家の腕だった。

取り壊しを免れた、一棟

同じ1909年、対になるような一枚がある。

ひとり残った安アパート
ジョージ・ベローズ《ひとり残った安アパート》1909年。油彩・画布。縦91.8センチ、横122.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョージ・ベローズ《ひとり残った安アパート》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

巨大な橋のたもとに、褐色のアパートが一棟だけ立つ。

周りの建物は取り壊された。この一棟だけが、まだ残っている。

煙突からは細い煙。まだ人が住んでいるのだろう。

橋脚は画面の上へ、絵の外まで伸びる。人の暮らしを見下ろす、新時代の柱である。

その足元の空き地では、人々が焚き火を囲む。

川には蒸気船が煙を引き、空には鳥の群れが舞う。

冬の低い光が、橋の下から差し込む。

巨大な影の中に、小さな暮らしの火が灯っている。

題は《ひとり残った安アパート》。建物を人のように呼ぶ、さびしい題である。

新しい橋と、消えていく暮らし。

その境目の一瞬を、ベローズは絵にした。都市改造の時代の、記録である。

取り壊される側に立つのでも、橋を讃えるのでもない。

両方を一枚に収めて、判断は見る者に委ねられている。

一枚に圧縮された都市

ニューヨーク
ジョージ・ベローズ《ニューヨーク》1911年。油彩・画布。縦106.7センチ、横152.4センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョージ・ベローズ《ニューヨーク》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

そして1911年、題はずばり《ニューヨーク》である。

荷馬車、電車、群衆、看板、そびえる建物。交差点に、都市のすべてがひしめく。

実はこれは、特定の場所ではないと伝えられる。

いくつもの街角を組み合わせ、都市の全部を一枚に圧縮した画面だという。

つまりこれは、写生ではなく、画室で組み立てられた都市である。

所蔵館の記録によれば、画布の裏には画家の手で題と画室の住所が記されている。

看板の文字は、一つひとつは読めないほど速い筆で書かれる。

読めないのに、街の騒がしさだけは伝わってくる。

細部を捨てて、印象を残す。速い筆の使いどころである。

歩く人は誰も立ち止まらない。画面のどこにも、視線の休む場所がない。

風景画は普通、どこかに目の休み場を作るものである。

ベローズはそれを、わざと作らなかったのだと考えられる。

都市の絵は、都市のように疲れなければ嘘になる。

見ているだけで、少し疲れる。その息苦しさこそが、この絵の主題だろう。

速い筆は、速い都市のために

ベローズの筆は速い。絵具は厚く、ときに塗り込めるように置かれる。

近づくと筆の跡ばかりが見える。離れると、それが群衆になる。

筆の速さは、乱暴とは違う。狙って外さないための速さである。

色は暗い。褐色と黒が画面を支え、そこに雪や湯気や肌の白が差す。

暗い都市の中で、白はいつも、生きているものの側にある。

理由は単純だと考えられる。動く都市は、待ってくれないからである。

ポーズを取ってくれる少年はいない。工事現場は日ごとに姿を変える。

じっくり仕上げる時間はない。速さそのものが、様式になった。

一方で、構図は意外なほど計算されている。

《青い朝》の鉄骨の額縁も、《ニューヨーク》の圧縮も、即興ではない。

速い筆と、遅い設計。この組み合わせがベローズである。

同じアメリカに、身体と運動を科学のように見つめた先人がいた。

エイキンズの解剖と写真である。

エイキンズは解剖と写真で、動く身体を止めて調べた。

ベローズは逆に、筆の速さで身体を走らせた。

動く身体という同じ主題への、二つの答えである。