画家を知る

都市は、毎日が興行——ジョージ・ベローズ

会員制クラブの抜け道で行われたボクシング、駅の巨大な掘削現場、夜の川で泳ぐ子どもたち。「美しい絵」の外にあった20世紀初頭のニューヨークを、ベローズは汗と埃ごと描いた。42歳で急逝した画家の九点で、都市という興行を見る。

四十二人の子どもたち
ジョージ・ベローズ《四十二人の子どもたち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

夜の川に、四十二人

一枚の絵から始めたい。

四十二人の子どもたち
ジョージ・ベローズ《四十二人の子どもたち》1907年。油彩・画布。縦106.7センチ、横153センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョージ・ベローズ《四十二人の子どもたち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

夜の川である。画面の右寄りに、朽ちかけた木の桟橋が突き出す。

その上に、裸の少年たちがひしめいている。

飛び込む者、水を掻く者、座り込んで話す者。

体を拭く者もいれば、ふざけて仲間を押す者もいる。

水は暗い緑に沈み、桟橋の影が黒く落ちる。

その闇の中で、白い小さな体だけが光る。

川の向こうは闇に溶け、街の明かりはほとんど見えない。

都市の絵なのに、描かれているのは都市の隙間である。

題名は《四十二人の子どもたち》。本当に四十二人いるのか、数えたくなる題である。

数えるうちに、目は画面の隅々まで連れて行かれる。

この題名は、絵をすみずみまで見せるための仕掛けでもある。

一人ひとりの姿勢が、みな違う。同じ形が一つもない。

跳ねる、屈む、伸びる、ぶら下がる。運動の見本帳のような画面である。

ベローズ自身、運動の得意な人だった。体がどう動くかを、体で知っていた。

その知識が、四十二人分の姿勢を描き分けさせたのだろう。

描かれているのは、ニューヨークの川辺と考えられている。

移民街の子どもたちにとって、川は夏の水浴び場だった。

プールなどない。服を脱いで、飛び込むしかない。

泳ぎを覚える場所も、夏をしのぐ場所も、路上と川だった。

ベローズは、その光景を毎日のように見ていたはずである。

発表当時、この絵は下品だと批判されたと伝えられる。

裸の浮浪児を、美術にするのかというわけである。

一方で、所蔵館の来歴記録によれば、1909年には早くも買い手がついている。

眉をひそめる人と、新しさを見抜く人。評価は最初から割れていた。

だが、よく見てほしい。ここにあるのは貧しさの告発ではない。

夏の晩の、はちきれるような楽しさである。

少年たちは笑い、押し合い、夜の水に飛び込む。

絵の前に立つ者は、批判よりも先に、その熱気に巻き込まれる。

オハイオから来た青年

ジョージ・ベローズ。1882年、オハイオ州コロンバスに生まれた。

野球選手になれるほどの運動神経だったと伝えられる。

地元の大学に進んだが、絵を選んで中退したと伝えられる。

1904年ごろ、21歳でニューヨークに出る。目指したのは球場ではなく、画塾だった。

師はロバート・ヘンライ。芸術は生活から生まれる、と説いた人である。

美しい神話や上品な肖像ではなく、目の前の生活を描け。教えは明快だった。

何を描くかが、どう描くかより先に来る。

ベローズはこの教えを、誰よりも真に受けた。

裏路地、波止場、工事現場。絵の主題ではなかった場所へ出かけて行った。

この仲間には、新聞の挿絵画家あがりが多かったと伝えられる。

事件の現場を、速い筆で写し取る訓練を積んだ人々である。

ベローズ自身は挿絵の出ではない。だが、その速さの美学を油彩に持ち込んだ。

そして20代のうちに画壇の注目を集めた。早熟の人である。

この潮流は、のちに「アッシュカン派」と呼ばれる。ごみバケツ派、という意味である。

はじめは悪口だった。都市の薄汚れた現実ばかり描く画家たちへの、あてこすりである。

だが彼らは、その名を引き受けた。

ごみバケツの中にこそ、生活の本当の姿がある。

そう開き直った名前だと考えれば、これほど正直な旗印もない。

会員制という抜け道

その若きベローズの名を高めたのが、ボクシングの絵である。

クラブの夜
ジョージ・ベローズ《クラブの夜》1907年。油彩・画布。縦109.2センチ、横135センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョージ・ベローズ《クラブの夜》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

闇の中、リングだけが光る。

二人の体がぶつかり、伸びた腕と反った背中が白く浮かび上がる。

筋肉は輪郭線ではなく、光の面で描かれる。速い筆が、動きの途中を捉える。

手前には観客の後頭部と横顔。身を乗り出し、口を開けている。

煙草の煙と汗の匂いまで漂ってきそうな、緑がかった闇である。

照明はリングの真上にだけある。

光と闇の落差が、そのまま舞台と客席の落差になっている。

当時のニューヨークでは、公開のボクシング興行が法律で制限されていた。

そこで興行主は「会員制クラブ」を名乗った。

会員同士の試合という建前で、賭けと熱狂の夜が開かれたのである。

題名の「クラブ」は、その抜け道の呼び名である。

つまりこれは、単なる格闘の絵ではない。

法の網の目と、それをすり抜ける都市の欲望まで、描き込まれている。

こうした店は、ベローズの画室の近くにもあったと伝えられる。

このとき25歳。リングの主題に、画家は生涯戻り続けることになる。

一晩だけの、会員

二年後、ベローズはさらに踏み込む。

このクラブの両会員
ジョージ・ベローズ《このクラブの両会員》1909年。油彩・画布。縦115センチ、横160.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ジョージ・ベローズ《このクラブの両会員》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

黒い背景から、二つの体が浮かび上がる。

左は黒人、右は白人のボクサーである。

左の選手は深く踏み込み、右の選手は打たれてのけぞる。

ぶつかる、まさにその瞬間である。

題名は《このクラブの両会員》。

試合のその晩だけ、選手を「会員」に仕立てる制度がある。それをそのまま題にした。皮肉である。

1909年。黒人チャンピオンのジャック・ジョンソンをめぐり、人種の緊張が高まった時代である。

白人と黒人の対戦は、リングの外の対立まで背負わされていた。

画面下の観客の顔は歪み、興奮は獣じみて描かれる。

この絵をどう読むかは、研究でも分かれている。

画家自身も時代の対立感情と無縁ではなかった、とする読みがある。

一方で、熱狂する観客の欲望こそを突き放して描いた、とする読みもある。

当サイトは、どちらとも断定しない。

確かなのは、ベローズが目をそらさなかったことである。

リングの上の二人と、それを見つめる群衆。

その両方を、一つの画面に閉じ込めた。

見世物と、それを見る者。この二重の主題は、以後のベローズを貫く。