麦畑に、軍服が脱ぎ捨ててある——ウィンズロー・ホーマー
ホーマーは戦場の挿絵画家として出発し、戦後は麦畑と子どもを描き、最後は水そのものを描いた。脱ぎ捨てられた軍服、描き替えられた鎌、狭い空。画面から人が減っていく過程を、公開作品六点で追いかける。省いたものが主題である。

麦畑に、軍服が脱ぎ捨ててある
一枚の絵から始めたい。

黄金色の麦畑である。
画面の三分の二を、立ったままの麦が埋めている。
その中に、男が一人。白いシャツ、灰色のズボン、麦藁帽子。
背を向けて立ち、大きな鎌を右手に持っている。刃が、左へ大きく弧を描く。
足元には、刈り倒された麦が横たわっている。
そして右下。地面に、何かが置かれている。
上着と、水筒である。
上着は暗い色で、地面に無造作に投げ出されている。その脇に、丸い水筒が転がる。
大きさはごく小さい。画面全体の五十分の一ほどしかない。
見落としてもおかしくない。だが、この二つがこの絵の意味を決めている。
その上着は、軍服である
この絵が描かれたのは1865年。アメリカの南北戦争が終わった年である。
四年間の戦争で、六十万人を超える兵士が死んだとされる。当時の人口比でいえば、とてつもない数である。
その戦争が四月に終わり、同じ月に大統領が暗殺された。
この絵は、その直後に描かれている。
右下に脱ぎ捨てられているのは、北軍の上着だと説明されている。
つまりこの男は、戦争から帰ってきた兵士だ。軍服を脱ぎ、畑に戻っている。
題名の「新しい畑」は、そのまま読めば新しく耕す畑のことだ。
同時に、戦場という「畑」から、農地という「畑」へ移った、という意味にも読める。
鎌が、描き替えられている
この絵には、もう一つ知られていることがある。
所蔵館の調査によれば、この鎌はもともと別の形で描かれていた。
当時のアメリカで実際に使われていたのは、刈った麦を受ける枠のついた鎌である。効率のよい農具だ。
ホーマーはそれを一度描き、あとから塗りつぶして、枠のない旧式の鎌に描き替えている。
なぜか。
旧式の大鎌は、西洋の図像で「死神」が持つ道具だからである。
死を刈り取る者の形を、復員兵に持たせた。そう読むのが一般的な解釈になっている。
ただし、本人がそう語った記録はない。画面から読み取れるのは、わざわざ描き替えたという事実までである。
この記事の問い
ホーマーは、戦争の絵から出発した画家である。
そして戦争が終わったあと、彼は子どもを描き、海を描き、最後には人のいない波を描いた。
この移動には、意味があるのか。
もうひとつ問いを立てておきたい。
彼は生涯、油彩と水彩の両方を描き続けた。当時、水彩は油彩より格下の媒体である。
その格下の媒体で、彼は最も自由な仕事をした。
なぜそれが可能だったのか。この点も追いかけたい。
作者はウィンスロー・ホーマー。1836年、ボストンの生まれ。
美術学校には行っていない。十代で石版画の工房に年季奉公に入り、印刷用の絵を描く仕事から始めている。
麦畑の描き方
画面に戻って、もう少し見ておきたい。
麦の描き方が独特である。
立っている麦は、細い縦線の集まりとして描かれている。一本ずつではなく、束の方向として。
刈られた麦は、逆に横に寝ている。その向きの違いだけで、刈った部分と刈っていない部分が分かれる。
そして色。立っている麦は黄金色、刈られた麦は褪せた黄。
日光は正面から当たっていない。男の背中側から来ている。だから顔は見えず、影が手前へ落ちる。
顔が見えないことは、この絵にとって重要だと思う。
特定の誰かではなく、帰ってきた兵士一般として読めるからだ。
空が、狭い
構図についても一点。
空は画面の上端、七分の一ほどしかない。
麦畑が大半を占め、視線は下へ引きつけられる。
同じ時期のヨーロッパで、ブーダンが画面の三分の二を空に使っていたことを思うと、対照的である。別のコラムで扱っている。
空を狭くすると、画面は重くなる。逃げ場がなくなる。
この絵の主題を考えれば、その重さは適切だろう。
雑誌の挿絵画家として、戦場へ行った
経歴を追いたい。
二十代のホーマーは、雑誌の挿絵画家だった。
当時のアメリカでは、写真をそのまま印刷する技術がまだ普及していない。事件の現場は、画家が描いて版に起こすしかなかった。
1861年に南北戦争が始まると、彼は北軍に従軍する形で前線へ送られた。
そこで彼が描いたのは、戦闘場面ではない。兵士が待機している様子、野営、退屈、食事。
戦争の大半は、待つ時間である。それを描いている。
この経験が、彼の描き方を決めたと考えたい。
挿絵画家の仕事は、締め切りがある。速く、分かりやすく描かねばならない。
そして印刷されるので、線と明暗が勝負になる。細かい色の階調は再現できない。
彼の油彩がしばしば「版画のように」見えるのは、この出自と無関係ではないだろう。
形が単純で、明暗の対比がはっきりしていて、遠くからでも読める。
そういう画面を、彼は最初の十年で身につけている。
戦争が終わってからの一枚
戦後、彼は油彩で本格的に発表しはじめる。

この一枚が、彼の名を決定づけた。
画面の右に、北軍の将校が立つ。濃紺の軍服、手を後ろに回し、まっすぐ相手を見ている。腰に剣を吊っている。
左には、捕虜が三人。
手前の若い男は、長い金髪を肩まで垂らし、片手を腰に当てて立つ。顎を引き、視線をそらさない。
その隣に、白い顎鬚の老人。長い外套を着て、帽子を両手で持ち、うつむいている。
さらに後ろに、少年のように若い兵士。口を開け、ぼんやりとした表情である。
彼らの背後には、銃を持った北軍の見張りが一人。
そして地面。切り株が一面に突き出している。木を伐り払われた土地である。
手前には、放り出された銃が二挺、地面に転がっている。
遠景には、旗と、騎馬の一団が小さく見える。