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ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》の解説——漂流者の表情はなぜ読めないのか

ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》の解説。メトロポリタン美術館の油彩と、シカゴ美術館の水彩を館の記録で読み比べ、漂流する男とサメ、左上の帆船、紙を切り詰めた一手、1906年までの加筆までを、図版6点で順にたどる。

メキシコ湾流
ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》メトロポリタン美術館蔵

「メキシコ湾流」は、カリブ海から北へ向かう暖流の名である。ウィンスロー・ホーマーは、その名をそのまま1点の油彩の題にした。描かれているのは、マストを折った小舟と、そこに横たわる一人の男である。この記事では、メトロポリタン美術館の油彩と、シカゴ美術館の水彩を並べて読む。どちらも当サイトで画像を公開している作品で、館の記録も確かめられる。

メキシコ湾流
ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》1899年。館の記録では、1906年までに加筆。油彩・カンヴァス。71.4×124.8センチ。番号は06.1234。メトロポリタン美術館蔵。ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》メトロポリタン美術館蔵

《メキシコ湾流》はどこで見られるか

油彩の《メキシコ湾流》は、メトロポリタン美術館にある。館の記録では、収蔵番号は06.1234。1906年、ウルフ基金による収蔵と記されている。アメリカ美術の部門に属する作品である。

技法は油彩・カンヴァス。画面は71.4×124.8センチで、横は1メートル25センチほどになる。制作年は1899年と記録され、1906年までに加筆されたと併記されている。つまり収蔵の年と、加筆の下限の年が重なっている。

同じ題の水彩は、シカゴ美術館にある。番号は1933.1241。こちらは紙の作品なので、常設で出ているとはかぎらない。紙の作品は光に弱く、展示期間を区切る館が多い。実見を目的に行くなら、出品の有無を先に確かめたほうがよい。

画面には何が描かれているか

画面の中央やや右に、小舟が1艘うかぶ。船体は下が白、上が赤茶に塗り分けられている。マストは根元から折れ、帆は残っていない。舟は右へ傾き、左の舷側は水に沈みかけている。

甲板には、上半身裸の男が横たわる。右のひじを甲板につき、顔は画面の左へ向けている。こちらを見てはいない。甲板には黄色い綱が乱れ、赤い箱のようなものが載る。

舟のまわりには、少なくとも4匹のサメがいる。手前の1匹は口を開け、白い腹をこちらへ向けている。舟の下の水面には、赤い絵具が置かれている。血を思わせる赤だが、何の赤かは画面からは決められない。

遠景にも二つのものが描かれている。画面の左上、水平線のすぐ上に、帆をあげた船が小さく見える。右上には、雲から海面へ下りる灰色の柱が立つ。水上の竜巻のように見えるが、館の記録にその説明はない。

色の置き方にも偏りがある。海は深い青緑で塗り重ねられ、波の頭だけが白い。空は上へいくほど明るく、水平線の手前で灰色に落ちる。そのなかで、舟の赤茶と甲板の黄色だけが暖かい色である。人物の肌もその暖かい側にある。つまり暖色は舟の上だけに集まっている。海の側に暖かい色はほとんどない。

漂流者の表情はなぜ読めないのか

この絵でいちばん答えの出ない部分が、男の顔である。口は閉じ、眉は寄っていない。叫んでもいないし、手も振っていない。危機の絵でありながら、人物は動いていない。

シカゴ美術館は、自館の水彩の記録でこの点に触れている。同館は人物の表情を、無表情とも、呆然としているとも読めると記す。姿勢についても、意外にくつろいでいるとも、諦めているとも取れると書く。そのうえで、主題に両義性があると結んでいる。

これは同館の見解であって、当サイトの解釈ではない。当サイトとしては、画面から読み取れることだけを書く。助けらしいものは、左上の小さな船だけである。その船は遠く、男はそちらを見ていない。絵は、助かるとも助からないとも言っていない。

答えを決めないことは、この絵の弱さではない。見る側が決めかねる時間が、そのまま漂流の時間になる。画面のなかで、唯一止まっているのが人物だという点も効いている。

題の付け方も、同じ方向を向いている。《メキシコ湾流》は、事件ではなく海流の名である。船の名でも、遭難の地名でもない。館の記録に、題の由来を説明した文はない。ただ、題が指しているのは、舟を運び続ける水そのものである。描かれた男がどこへ行くかは、その流れが決める。画面の外にある力に題が向けられている、とは言える。

シカゴ美術館の水彩と、どこが違うのか

メキシコ湾流
ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》館の記録では、おそらく1899年。画家自身は1889年と記している。黒鉛の下描きの上に透明水彩。アイボリーの網目紙。下端は切り詰められている。28.8×50.9センチ。番号は1933.1241。シカゴ美術館蔵。ウィンスロー・ホーマー《メキシコ湾流》シカゴ美術館蔵

シカゴ美術館の水彩は、油彩と同じ主題をあつかう。だが画面は、だいぶ違って見える。並べると、油彩で何が足されたのかが分かる。

第一に、舟の大きさである。水彩では舟が画面いっぱいに広がり、舳先が右の縁まで届く。甲板は斜め上から見下ろされ、板の継ぎ目まで見える。油彩では、舟は海のなかの小さな点に近づく。

第二に、男の身なりである。水彩の男は黄色い麦わら帽子をかぶり、白いシャツを着ている。足もとの布は淡い黄土色である。油彩では帽子もシャツも消え、上半身は裸になる。

第三に、サメの数である。水彩でははっきり見えるサメは1匹で、水に沈んだ左の舷側の上を泳ぐ。館の記録では、画家は紙の下端を切り詰めている。その結果、サメの腹が画面の手前へ迫っている。

第四に、遠景である。水彩には、遠くの船も、竜巻のような柱もない。空には暗い灰色の雲が広がるだけである。油彩は、この空いた場所に救助と気象を書き加えたことになる。

シカゴ美術館は、この主題の展開を4点の水彩でたどれると記す。また、水彩の制作地はナッソーではなく、メイン州プラウツネックの画室である可能性が高いとする。手元に1885年の習作があったから、という理由が添えられている。

水彩はどう塗られているか

館の記録は、技法の欄にいくつもの手口を並べている。まず黒鉛で下描きがある。その上に透明水彩を重ね、ところどころに不透明水彩を足している。さらに、にじみ取りの跡があると記す。

にじみ取りとは、塗った絵具が乾く前に布や紙で吸い取る手口である。絵具が薄くなり、紙の白が戻る。白い絵具を上から置くのとは逆の順序になる。水彩では、いちど暗くした場所を明るくし直す数少ない方法である。

《ウォーターファン》の記録には、さらに削りが挙がっている。乾いた絵具を刃で削り、紙の白を細い筋で出す手口である。波の頭や、水面の反射の線はこうして作られる。油彩の筆で白を置くのとは、できる形がまるで違う。

もう一つ、紙を切るという判断がある。館の記録では、水彩の下端は切り詰められている。その一手でサメの腹が画面の縁に接し、見る側との距離が消える。描き足すのではなく、削ることで迫らせている。

なぜサメと小舟を描いたのか

ウォーターファン
ウィンスロー・ホーマー《ウォーターファン》1898年から99年。館の記録では、黒鉛の上に水彩。にじみ取りと削りを伴う。厚手で綾目の粗いアイボリーの網目紙。37.4×53.4センチ。番号は1972.190。シカゴ美術館蔵。ウィンスロー・ホーマー《ウォーターファン》シカゴ美術館蔵

シカゴ美術館の記録によれば、ホーマーが初めてバハマへ行ったのは1885年の初めである。その旅で《鮫釣り》が描かれた。2人の漁師が、口を開けたサメを手前で押さえる絵だという。

同じ旅では《鮫(漂流船)》も描かれている。人の乗っていない木の舟が、マストを折って浸水している。3匹以上の大きなサメが、そのまわりを回る。舟が空であるために、最悪の事態がもう起きたのかどうかは分からない。同館はそう説明している。

1898年、ホーマーはふたたびバハマへ渡った。館の記録では、この旅が1885年の作品を思い出させ、次の大作の着想につながったとされる。習作から油彩まで、14年ほどの間がある。

その14年のあいだに画家が見ていた海は、別の水彩に残っている。《ウォーターファン》では、若者がガラスの底を張った桶を水面に押しつけている。館の記録では、この道具は水ガラス、または海綿用ガラスと呼ばれた。水面の揺れを抑え、水中を見やすくするための道具である。

同館は、水中にはもともと赤みがもっと見えていたと記す。珊瑚の色を示していたが、現在は褪色している。画家の関心は、動き続ける水面と、その透明さにあったとも書かれている。サメの絵と同じ海が、ここでは仕事の場として描かれている。

紙そのものを使う

《ウォーターファン》の記録には、紙についての注記がある。厚手で、綾目の粗い紙が使われている。目は右上から左下へ斜めに走る。館の記録では、この目は製造のときに付いたものである。紙料を支えた金網の跡だという。

裏の面は比較的なめらかで、目が立っていない。そして紙には、製造元であるホワットマン社の透かしが入る。館の記録では、その透かしは目のある面から読める向きに入っている。つまり、目のある面が描くための面である。

画家はその面を選んで描いている。水面のきらめきは、絵具だけで作られてはいない。斜めに走る紙の目の上を筆が通り、絵具が目に乗ったり抜けたりする。光が散って見えるのは、その結果でもある。

この水彩はどう伝わったか

シカゴ美術館は、所蔵までの経路も記録している。水彩はまず、画家から弟のチャールズ・ホーマーへ渡った。1915年までには、ニューヨークのチャールズ・グールドの所蔵になっていた。

同じ年の11月、ニューヨークの画商を介して、シカゴの実業家マーティン・ライアソンが買い取っている。そして1933年、ライアソンの収集品としてシカゴ美術館へ入った。番号の1933.1241は、その年から始まる。

ナッソーのスループ船
ウィンスロー・ホーマー《ナッソーのスループ船》1899年。館の記録では、オフホワイトの網目紙に水彩と黒鉛。37.8×54.3センチ。番号は10.228.3。メトロポリタン美術館蔵。ウィンスロー・ホーマー《ナッソーのスループ船》メトロポリタン美術館蔵

《ナッソーのスループ船》は、油彩と同じ1899年の記録を持つ。帆を下ろしかけた白いスループ船が停まり、甲板に人影が立つ。手前には赤い小舟が浮かぶ。水面には白い反射が帯になって落ちている。

同じ海が、ここでは働く場所であり、《メキシコ湾流》では漂流の場所になる。ホーマーはバハマの海を、観光地としても悲劇の舞台としても固定していない。画家のページから、当サイトにある他の作品もたどれる。

水と食料の積み込み
ウィンスロー・ホーマー《水と食料の積み込み》1903年。館の記録では、オフホワイトの網目紙に水彩と黒鉛。35.2×55.2センチ。番号は10.228.11。メトロポリタン美術館蔵。ウィンスロー・ホーマー《水と食料の積み込み》メトロポリタン美術館蔵

油彩のあとも、画家は同じ海へ戻っている。《水と食料の積み込み》は1903年の記録を持つ水彩である。白いスクーナー船が停まり、帆は途中まで畳まれている。甲板には赤いシャツの人物が二人立つ。

横付けした小舟には樽が積まれ、これから船へ移すところらしい。水と食料を積むという、航海前のありふれた作業である。海は淡い青緑で、波はほとんど立っていない。遠く左手に、白い帆が一つだけ見える。

《メキシコ湾流》の海も、おそらくこの海と地続きである。嵐のない日には、人は水を積み、綱を引き、帆を畳む。その日常が途切れた先に、あの小舟が置かれている。二つの水彩を続けて見ると、油彩の異常さが測りやすくなる。

見るときのポイントと、よくある誤解

まず大きさを押さえておきたい。油彩は横が125センチほどで、壁一面を占める大作ではない。遠景の船は数センチの幅しかない。実見のときは、まず近づいて左上を探すとよい。

水平線は画面の中央より上にある。見る者の視点は、舟よりわずかに高い位置にある。だから甲板の上が見えるし、サメの背も上から見下ろせる。嵐の海を遠くから眺める位置ではない。

誤解されやすい点を三つ挙げる。

  • 嵐のただなかで写生された絵ではない。館の記録では、画室で習作を参照しながら組み立てられた可能性が高い
  • 水彩は捨てられた下絵ではない。シカゴ美術館の水彩には、1915年から各地の展覧会に出た記録が残る
  • 画中の1889年という年記は、制作年として採られていない。館の記録はおそらく1899年と注記し、画家の年記を併記するにとどめる
  • 1906年までの加筆が、どこに入ったかは分かっていない。館の記録は加筆の事実だけを記し、箇所にも内容にも触れていない

四つめの点は、画面を見るときに効いてくる。遠くの船も、右上の柱も、後から足されたように見えなくはない。だが、そう見えるというだけでは根拠にならない。館の記録にない以上、当サイトでも断定はしない。加筆の跡は、記録と調査の結果が出るまで分からないままである。

二つめの点は、記録を見るとよく分かる。シカゴ美術館の出品歴には、1915年のニューヨークの水彩展が最初に並ぶ。1930年にはニューヨーク近代美術館の展覧会に出ている。1933年と1934年には、シカゴの博覧会に合わせた展示にも並んだ。2008年には同館の水彩展にも出品されている。下絵として扱われてきた作品ではない。

サンティアゴ・デ・クーバ港口の探照灯
ウィンスロー・ホーマー《サンティアゴ・デ・クーバ港口の探照灯》1902年。館の記録では、油彩・カンヴァス。77.5×128.3センチ。番号は06.1282。メトロポリタン美術館蔵。ウィンスロー・ホーマー《サンティアゴ・デ・クーバ港口の探照灯》メトロポリタン美術館蔵

《サンティアゴ・デ・クーバ港口の探照灯》は、同じカリブ海を夜の光で描いた油彩である。石造の胸壁に古い大砲が据えられ、左上に細い月がかかる。右には探照灯らしい光の柱が立ち上がる。人は一人も描かれていない。

《メキシコ湾流》の次に見るなら、この1点をすすめたい。どちらも海と人の関係をあつかいながら、片方には人がいて、片方にはいない。制作の年は3年しか離れていない。

同じ時代のアメリカ生まれの画家としては、サージェントが挙がる。シカゴ美術館の記録には、1917年に二人の水彩をまとめた展覧会が各地を巡回したと残っている。海と夜を描いた画家としては、ホイッスラーの画面と比べてみてもよい。

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