ホイッスラーの代表作と特徴——なぜ題に《ノクターン》と付けたのか
ホイッスラーの代表作と特徴を、公開中の8点から読む。クリーヴランド美術館の記録では、《ノクターン》という題は後援者フレデリック・レイランドの提案だった。テムズ川の灰色から音楽の題、蝶の署名、版画家としての仕事までを順に見る。

ホイッスラーの代表作と特徴を、当サイトで公開中の8点から読む。題に《ノクターン》や《ハーモニー》と音楽の語が並ぶ。それがこの画家のいちばん分かりやすい目印である。
当サイトではジェームズ・マクニール・ホイッスラーの作品を150点ほど公開している。油彩・水彩・素描・版画が混じる。ここでは8点を選び、代表作の並びと作風の特徴を順に追う。
ホイッスラーとはどんな画家か
アメリカに生まれ、ロンドンで没した画家である。メトロポリタン美術館は、作者名にこう添えて記録している。「アメリカ人、マサチューセッツ州ローウェル生まれ、1834年から1903年、ロンドン」である。
クリーヴランド美術館の記録はこう書く。陸軍士官学校を退校になったあとヨーロッパへ渡り、まずパリ、次いでロンドンで画家の生活に入った。
同じ記録は、もう一点を強調している。ホイッスラーは日本の版画の効果をいち早く評価した一人であり、その作品には東洋風の繊細さがある、というものである。
経歴の国がばらけているぶん、作品の居場所も散らばっている。当サイトが公開している分も、クリーヴランド美術館・メトロポリタン美術館・シカゴ美術館・スミソニアン協会の4つに由来する。
本稿で図版に使うのは、所蔵館がCC0として公開し、当サイトが権利表示を確認した8点である。
よく知られた《灰色と黒のアレンジメント第1番:画家の母》のように、当サイトで画像を扱えない作品もある。それらは本文で触れるにとどめる。
代表作——テムズ川の灰色から《ノクターン》へ
最初に見るのは、1863年のテムズ川である。

題には、すでに色の名が二つ入っている。灰色と銀色である。
画面は実際にほとんど灰色でできている。水と空が同じ調子で、どこが境目か決めにくい。
中央に荷船が一艘いて、褐色の帆を半ば下ろしている。対岸には低い家並みと煙突が一本あり、煙が横へ流れる。
手前の右端では、三人が小舟を押し出そうとしている。左下の泥地には画家の署名がある。
主役は船でも人でもない。川面と空を覆う灰色の幅そのものである。何を描いたかより、どんな色の面になったかが先に立つ。
3年後、同じ考えがもっと遠い港で試される。

まず形が目を引く。港の絵でありながら、画面は縦長である。
下半分を、桟橋が手前から斜めに貫く。その上の人影は細い絵具の筋に縮められ、顔も服も描かれない。
水は青灰色の帯、奥の丘は褐色の帯、空は白い帯になる。沖には帆柱の立つ船が数艘、小さく並ぶ。
遠近で奥行きを作るより、帯を積んで画面を平らに保っている。この作り方が、十年ののちの《ノクターン》へまっすぐつながる。

画面の上三分の二は、ほぼ一色の暗がりで埋まっている。
下の帯にだけ、小さな灯と人影らしい形が点々と並ぶ。右端には明るい縦の面があり、そこに赤みの点が集まる。
絵具は薄く置かれ、カンヴァスの織り目が表から見える。暗い色を厚く塗り重ねてはいない。
夜を黒く塗った絵ではない。夜と分かるぎりぎりまで色数と筆数を減らした結果が、この面である。
なぜ題に《ノクターン》や《ハーモニー》と付けたのか
答えの一部は、館の記録に残っている。題を思いついたのは画家ではなかった。

クリーヴランド美術館の記録はこう書く。《ノクターン》という題は、後援者のフレデリック・レイランドが提案したものである。
同じ記録によれば、レイランドは熱心なアマチュアのピアノ弾きで、ショパンを特に好んだ。ショパンの夜想曲は当時、ロマン派の気分を代表する音楽と見なされていた。
同館はさらに、作品の題に音楽の語を借りたのはホイッスラーが最初だったと記録している。
同じ記録によれば、1872年に彼は絵画をこう定義した。音楽の正確な対応物であり、同じように漠然として、純粋に感情的で、再現の務めから解き放たれたものだ、と。
つまり音楽の題は飾りではない。主題よりも色と線と形が上に立つ、という宣言である。
図版のリトグラフは、その宣言をそのまま画面にしている。輪郭線が一本もない。灰色の粒だけで、対岸の煙突と屋根の列が形になる。
水面には、その影が縦の筋になって落ちる。手前には平たい舟が一艘あり、人が一人、身をかがめて立つ。
右下には小さな印がある。蝶である。この署名については後で触れる。
音楽の語は《ノクターン》だけではなかった。

縦2メートルを超える画面に、縄跳びをする少女が一人だけ立っている。
着ているのは金色がかった黄の上着である。脚までが淡い黄で包まれ、縄の握りだけが赤い。
背景は垂れ幕で、これも金褐色をしている。縦の襞が画面の大半を占め、床は暗い褐色で影もほとんど落ちない。
画面は、ほぼ黄と金の一族だけでできている。題の「ハーモニー」は、この色の和音を指している。
副題の置き方も見ておきたい。館の記録は題を《黄と金のハーモニー——金色の少女、コニー・ギルクリスト》と記す。
色の調子が先に来て、描かれた人の名は後ろへ回る。肖像でありながら、第一の主題は色だと題が言っている。
この付け方は一度きりの思いつきではない。当サイトが公開している作品の題にも、同じ型がいくつも残っている。
たとえば《紫と灰のヴァリエーション——ディエップの市場》は1885年の水彩で、やはり色の名が先に立つ。《金と褐——ドルドレヒト》も同じ年ごろの水彩である。
ノクターン、ハーモニー、ヴァリエーション。いずれも音楽の語で、どれも色の名と組になっている。題の形を覚えておくと、ホイッスラーの作品は探しやすくなる。
特徴——色数を絞り、画面を平らにする
ここまでの4点に共通する特徴は二つである。使う色数が少ないこと、そして画面が平らなことである。
この平らさの手本になったのが、日本の版画だった。

褐色の紙に、着物の女が横向きに立つ。右手に開いた扇を持ち、左手には筆を立てている。
背景は金褐色の地で、上のほうに赤い書き込みらしい跡がある。下には青い水と白い鳥が置かれ、右には橙の線で組まれた柵のような形がある。
奥行きはほとんどない。人も水も鳥も、同じ一枚の面に並べられている。
クリーヴランド美術館の記録によれば、これは1872年の依頼の名残である。ロンドンのサウス・ケンジントン博物館、いまのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の装飾計画に、下絵を2点頼まれた。
同じ記録はこう続ける。その計画に並ぶ肖像モザイクは歴代の男性芸術家ばかりだったので、ホイッスラーは女性を主題に選んだ。糸車の女と、扇に絵を描く日本の女である。
依頼は実現しなかった。残ったのはこのパステルの習作だけだという。
手のすぐ下に、橙色の小さな蝶がいる。同館の記録は、これを蝶の形をした組み文字、つまり画家の署名だと書く。
この蝶は油彩にも版画にも置かれる。先に見たリトグラフの右下の印も同じものである。
特徴がつかめると、見るときの順番も決まってくる。三つだけ挙げておきたい。
ひとつ。まず題を読むこと。色の名が入っていれば、画家はその二色の釣り合いを作品の中心に置いている。
ふたつ。奥行きを探しすぎないこと。帯や面が重なっているだけの画面が多く、消失点をたどる絵ではない。
みっつ。暗い絵は近づいて見ること。《緑と金のノクターン》のように、絵具が薄く、布の織り目が働いている作品がある。
浮世絵が西洋の画家に与えた影響は、ホイッスラーに限らない。流れはジャポニスムとはで扱った。
夜の景色を線でなく面で見せる手つきは、広重の雨・雪・夜の描き方とも重なる。
版画家としてのホイッスラー
ホイッスラーは、油彩と同じ重さで版画を作った画家である。当サイトで公開している150点ほども、その大半は版画と素描が占める。
出発点は、1858年にまとめた最初の版画集だった。クリーヴランド美術館の記録によれば、画家はこれを「フレンチ・セット」と呼んだ。
同じ記録はこう説明する。その名は、手本にしたのが当時のフランスの前衛の絵だったことによる。集まっているのは家の中の情景、友人や子どもの習作、裏通りの人影などである。
たとえば《ぼろ布拾いの老女》もその一枚で、同館の記録は、拾い集めたぼろ布の束に埋もれて座る老女の疲れを指摘している。

木組みの小屋を、通路の奥へ向かって覗き込む構図である。梁と板が画面の三方を埋め、梯子が2本、斜めに立てかけてある。
中ほどに、帽子をかぶった男が一人いる。樽に肘を置き、こちらを見ている。
男のすぐ後ろは、紙の白がそのまま残されている。細かい線を敷き詰めた枠と、何も刷らない白との差が、そのまま奥行きになる。
右下には署名と年が、版の中に彫り込まれている。この時期の彼は、線を数えられるほど丁寧に重ねていた。
川での制作のしかたも記録に残っている。クリーヴランド美術館によれば、1861年の夏、画家は法律の仕事をやめて絵と音楽に打ち込んでいた人物と知り合った。
同じ記録はこう続ける。その人物は屋根付きの舟を版画の遠征に使っており、1861年6月、降り続く雨をおして仲間を舟の旅に誘った。この旅でホイッスラーは何点かのドライポイントを作った。
舟に銅版を持ち込み、その場で彫ったことになる。机の上で組み立てた景色ではない。
同じ版画でも、20年後のヴェネツィアでは線がほとんど消える。
クリーヴランド美術館の記録によれば、ホイッスラーはヴェネツィアで1年を暮らし、外国人の集まりの中にいた。その間に作った版画・素描・絵画では、街の建築の細部に目を向けたという。
ところが、次の1点では建築すら形をなくしている。

紙の全面が、薄い灰色の膜に覆われている。線は水平に、細く走るだけである。
中央にひとつ丸屋根の教会、その右に柱の立つ影、さらに右へ船の帆柱が並ぶ。水面にはほとんど何も描かれていない。
版に残したインクの量が、そのまま夜の空気になっている。線で形を作る版画から、面で気分を作る版画へ移っている。
油彩の《ノクターン》と同じ考えが、銅版の上でも試されたと分かる。
晩年はリトグラフが増える。当サイトにも1890年代の石版画が多く入っている。
クリーヴランド美術館の記録によれば、1894年の《庭での内緒話》は、パリの自宅の庭を描いたものである。描かれているのは画家の妻ベアトリクスと、その妹だという。
同じ記録は、花や蔓や小道をごく省略して示すのが、この時期の自然の描き方だと書く。テムズ川の細密な線から、35年でここまで来たことになる。
代表作はどこで見られるか
本稿の8点は、いずれも所蔵館がCC0として公開した画像である。当サイトの作品ページで拡大して見られる。
《黄と金のハーモニー》と《緑と金のノクターン》はメトロポリタン美術館にある。《灰色と銀色:オールド・バタシー・リーチ》はシカゴ美術館の所蔵である。
油彩をもう1点挙げるなら、クリーヴランド美術館の《ヴァイオリンを弾く人》がある。館の記録では1890年から94年ごろ、カンヴァスに油彩で、79×53.3センチである。
画家ページからは、年代順に並んだ一覧をたどれる。版画は図版の小さいものが多いので、気になった1点は作品ページで拡大して見るのがよい。
一方、日本でよく知られた代表作のいくつかは、当サイトの在庫に入っていない。
《灰色と黒のアレンジメント第1番:画家の母》はパリのオルセー美術館にある。1871年の作で、1891年にフランス政府が買い上げた。
《黒と金のノクターン——落下する花火》はデトロイト美術館が所蔵する。同館の記録では、ロンドンのクレモーン庭園の花火を描いた絵である。
この花火の絵が裁判の種になった。批評家のジョン・ラスキンが1877年に厳しい評を書き、ホイッスラーが名誉毀損で訴えたのである。
ラスキンの評は、絵具を公衆の顔に投げつけたようなものだ、という一文で知られる。仕上げの見えない絵に高い値を付けるな、という批判だった。
1878年の裁判でホイッスラーは勝った。ただし認められた賠償は1ファージング、4分の1ペニーだけだった。
音楽の題も、蝶の署名も、この争いと地続きである。何が描いてあるかではなく、画面がどう響くかを見てほしい。ホイッスラーはそう言い続けた画家だった。
作品の一覧はジェームズ・マクニール・ホイッスラーのページにある。版画と素描を含めて、150点ほどを年代順に並べている。








