美術史・技法

紙に書かれた言葉が、そのまま題になる——ホイッスラーの画帖九点

五月十八日。四十と五十。酒手。油の夜。館の題は、頁の走り書きをそのまま採っている。日記の文の上に絵が重なり、一冊はばらされて一枚ずつ台紙に貼られた。私的な帳面がたどった行方を読みたい。題が生まれる瞬間を見たい。

手書きの日記の最後の頁
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《手書きの日記の最後の頁》メトロポリタン美術館蔵

題が、紙に書かれた言葉である

素描を九点、記録の欄で並べてみる。

九点とも、同じ画家の手による。

そして九点とも、同じ画帖から出ている。

館の題を見ると、変わっている。

何を描いたか、ではない。

紙に書かれている言葉が、そのまま題になっている。

日付。

数字。

短い語。

祈りの言葉。

二十歳の帳面

九点の年を見ると、1852年から1855年である。

この画家は、1834年の生まれである。

つまり、十八歳から二十一歳のころの帳面だ。

まだ、画家として立つ前である。

軍の学校に通っていた時期にあたる。

つまり、これは学生の帳面である。

館の作者の欄には、生没年がある。

引き算をすれば、齢が出る。

前の回でも、同じ計算を何度かした。

画帖という、綴じた帳面

画帖とは、紙を綴じた帳面である。

そこに、思いついた図を描く。

覚書を書く。

切り抜きを貼る。

つまり、私的な帳面だ。

人に見せるものではない。

館の題には、いずれも画帖より、と付く。

もとが一冊の帳面だったことを示している。

帳面を、どう使うか

帳面の使い方は、人によって違う。

図だけを描く人。

言葉だけを書く人。

そして、両方を混ぜる人。

この画家は、三つ目である。

日記の文の脇に、顔を描く。

読んだ本の感想の隣に、人物を描く。

つまり、書くことと描くことが分かれていない。

前の回で、書と絵が近い話をした。

こちらは、意識せずに混ざっている。

日記と、素描が同じ紙にある

九点のうち三点は、日記の頁である。

細かい手書きの文が、頁を埋める。

そして、その余白や隅に素描がある。

つまり、文章の合間に絵を描いている。

書きながら、手が絵に流れたのだろう。

前の回で、絵と文字が同居する例をいくつも見た。

こちらは、そのいちばん私的な形である。

誰かに見せるための同居ではない。

手書きの日記の最後の頁
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《手書きの日記の最後の頁》1854年。館の記録では、紙にペンとインク。縦26.8センチ、横19.7センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.88。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《手書きの日記の最後の頁》メトロポリタン美術館蔵

縦長の紙である。

白黒の写真で写される。

紙の全面に、手書きの文が並ぶ。

行は、十数行ある。

文字は、続け書きの筆記体である。

行の間隔は、詰まっている。

途中で、段落が分かれる。

右の余白は、狭い。

下のほうは、白く残る。

紙の縁が、わずかに欠ける。

絵は、描かれていない。

ペンとインクという、道具

九点の技法の欄を見ると、道具が並ぶ。

ペンとインク。

黒インクと鉛筆。

褐色のインクと鉛筆。

鉛筆。

黒チョーク。

つまり、手近にあるものを使っている。

書くための道具と、描くための道具が同じである。

前の回で、道具が同じだから同居できる話をした。

こちらでも、同じことが言える。

文字だけの頁も、素描として扱う

いま見た一点には、絵がない。

文字だけである。

それでも、館は素描の部門に入れている。

なぜなら、同じ画帖の一葉だからだ。

一冊をばらしたとき、全部を同じ扱いにする。

つまり、もとの一体性が保たれている。

前の回で、画帖の枚数を数える話をした。

こちらは、ばらしたあとの話である。

頁の番号が、残っている

台紙の右上には、数字が書かれている。

九、十、十二、十三。

つまり、頁の番号である。

もとの帳面の順序を示す。

ばらしても、この数字があれば順が分かる。

前の回で、番号が旅程を示す話をした。

こちらは、もっと単純な番号である。

しかし、失われれば復元できない。

小さな数字が、一冊の形を保っている。

一冊が、ばらされる

もとは、一冊の帳面だった。

それが、いま一葉ずつ番号を持つ。

つまり、ばらされている。

館の番号を見ると、枝が付く。

同じ番号に、細かい枝番が続く。

一冊が、何十点にも数えられている。

前の回で、一件が三枚に分かれる話をした。

こちらは、もっと極端である。

見せることと、守ること

綴じたままなら、頁は守られる。

光にも当たらない。

しかし、見られない。

ばらせば、見られる。

その代わり、傷みやすくなる。

そして、順序が失われる危険もある。

前の回で、修復の選択の話をした。

ここでも、同じ天秤がある。

何かを得れば、何かを失う。

ばらす理由

なぜ、ばらすのか。

展示のためである。

綴じたままでは、一頁しか見えない。

ばらせば、並べて見せられる。

そして、傷んだ頁だけを手当てできる。

その代わり、順序が分からなくなる。

どの頁の次が、どの頁か。

館の番号の枝が、その手がかりになる。

三人の男
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《三人の男》1854年。館の記録では、紙にペンとインク。縦26.8センチ、横19.7センチ。題には、手書きの日記の右下隅の素描であることが示される。番号は1970.121.87。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《三人の男》メトロポリタン美術館蔵

縦長の紙である。

地は、淡い黄褐色である。

全面に、手書きの文が並ぶ。

文字は大きく、勢いがある。

行は、斜めに傾く。

その文字の上に、二人の人物が描かれる。

一人は、高い帽子をかぶる。

一人は、縞の袴を履く。

二人とも、後ろ姿である。

線は細く、素早い。

文字と絵が、重なっている。

読めなくてもよい文字

日記の文字は、人に見せるものではない。

だから、読みやすく書く必要がない。

崩し、続け、傾ける。

そして、その上に絵を重ねる。

つまり、読ませる気がない。

前の回で、読ませない文字の話を何度もした。

これは、その最も私的な例である。

自分だけが読めればよい文字だ。

文字の上に、絵を描く

いま見た一点では、文字の上に絵がある。

つまり、書いたあとに描いた。

文字を消していない。

だから、下の文が透けて見える。

読みにくいが、そのままにされている。

前の回で、上書きされた署名の話をした。

こちらは、意図の違う重ね方である。

隠すためではなく、場所がないから重ねた。

書物を持つ老人の素描二点
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《書物を持つ老人の素描二点》1854年。館の記録では、紙にペンとインク。縦26.8センチ、横19.7センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.86。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《書物を持つ老人の素描二点》メトロポリタン美術館蔵

縦長の紙である。

白黒の写真で写される。

紙の全面に、手書きの文が並ぶ。

その右上に、小さな素描がある。

老人が、机に向かう姿である。

背を丸め、手を伸ばす。

その下にも、別の素描がある。

こちらは、椅子に座る人物だ。

書物らしいものを、膝に置く。

線は、ごく細い。

文字と絵が、余白を分け合う。

帳面の大きさ

三葉の寸法から、帳面の大きさが分かる。

縦26.8センチ、横19.7センチ。

つまり、いまの一般的な帳面より少し大きい。

膝の上に置いて書ける大きさである。

そして、持ち歩ける。

前の回で、寸法が使い方を示す話をした。

この帳面も、持ち歩くためのものだろう。

だから、外で見たものが描かれている。

三葉が、同じ大きさ

いま見た三点は、寸法が同じである。

縦26.8センチ、横19.7センチ。

つまり、同じ帳面の頁である。

前の回で、寸法の一致が対を示す話をした。

こちらは、一冊の中の頁の一致である。

同じ紙を綴じたのだから、当然だ。

しかし、他の六点は寸法が違う。

小さいものは、縦3.1センチしかない。

切って、貼り直す

なぜ、切り抜いたのか。

一枚の紙に、複数の素描があったからだろう。

それを、一つずつ分けたい。

そこで、切る。

そして、台紙に貼り直す。

つまり、整理の作業である。

誰がやったかは、分からない。

本人かもしれない。

後の持ち主かもしれない。

館の記録は、そこまで書かない。

小さく切り抜かれた紙

九点のうち六点は、小さい。

いちばん小さいのは、縦7.5センチ、横4.1センチ。

つまり、切り抜かれている。

館の技法の欄に、不揃いに切られた、とある。

つまり、大きな紙から切り取ったのだろう。

そして、別の台紙に貼られている。

前の回で、台紙に貼る話をした。

こちらは、切って貼り直された素描である。

酒手
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《酒手》1854年から1855年。館の記録では、淡い色の紙にインクと鉛筆、不揃いに切られている。縦7.5センチ、横4.1センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.46。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《酒手》メトロポリタン美術館蔵

台紙に、小さな素描が五点貼られる。

台紙は、灰色である。

左上の一点は、立つ人物である。

右上の一点は、長い衣の女性。

中央の一点は、円形に切り抜かれる。

日傘を差す人物が描かれる。

左下の一点は、四角い紙である。

右下の一点は、上が丸い形に切られる。

いずれも、細い線で描かれる。

各紙の下に、小さな文字がある。

台紙の右上に、番号が書かれる。

台紙という、後の仕事

台紙は、素描より新しい。

つまり、後から用意されたものだ。

そこに貼れば、扱いやすくなる。

一枚ずつ持てる。

そして、まとめて保管できる。

前の回で、台紙に貼る話をした。

こちらでも、同じ工夫が使われている。

そして、台紙にも文字が書かれる。

物が増えれば、文字も増える。

台紙に、番号が振られる

台紙の右上には、数字がある。

つまり、頁の番号だろう。

一冊の中の、何頁目かを示す。

前の回で、番号が何度も振り直される話をした。

こちらは、最初の番号である。

そして、館の番号がその上に重なる。

二つの番号が、一枚の台紙にある。

題を、どう決めるか

素描には、もともと題がない。

自分のための図だからだ。

だから、館が題を決めることになる。

そのとき、いちばん確かなのは書かれた言葉である。

推し量って題を付ければ、誤るかもしれない。

書かれた言葉なら、間違いようがない。

前の回で、書かれた文字を題にする話をした。

素描でも、同じ方針が使われている。

短い語が、題になる

いま見た一点の題は、短い語である。

酒手、あるいは心づけ、という意味の語だ。

素描の下に、そう書かれている。

その語が、そのまま題になった。

つまり、何を描いたかではない。

紙に書いてある語が、題である。

前の回で、書かれた文字が題を決める例を見た。

こちらは、その最も直接な形である。

五月十八日
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《五月十八日》1855年。館の記録では、紙に黒インクと鉛筆。縦7.9センチ、横13センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.38。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《五月十八日》メトロポリタン美術館蔵

台紙に、二点の素描が貼られる。

上の一点は、大きい。

男性が、椅子にもたれて座る。

両手を上げ、何かを持つ。

顔は、丸く、口を開く。

その下に、手書きの文字がある。

日付らしい語である。

下の一点は、小さい。

二人の人物が、向かい合う。

一人は、槍のようなものを持つ。

台紙の右上に、番号が書かれる。

日付が、題になる

いま見た一点の題は、日付である。

五月十八日、そして年の下二桁。

つまり、その日に描いたということだろう。

館は、その日付を題にした。

そして、年の欄も1855年としている。

つまり、紙に書かれた日付が年を決めている。

前の回で、日付ありという語の話をした。

素描でも、同じことが起きる。

四十と五十
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《四十と五十》1854年から1855年。館の記録では、淡い色の紙に黒インクと鉛筆。縦7.6センチ、横9センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.37。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《四十と五十》メトロポリタン美術館蔵

台紙に、三点の素描が貼られる。

上の一点は、大きく淡い。

人物が数人、群れて立つ。

線は薄く、輪郭だけである。

左下の一点は、三人の人物が並ぶ。

中央の人物は、盆を持つ。

右下の一点は、男女が座る。

女性は、大きな裾を広げる。

男性は、椅子にもたれる。

その下に、小さな数字がある。

台紙の右上にも、番号がある。

数字が、題になる

いま見た一点の題は、二つの数字である。

四十と五十。

素描の下に、そう書かれている。

何を意味するのかは、分からない。

齢かもしれない。

値段かもしれない。

館の題は、数字をそのまま採る。

そして、括弧で描かれた内容を補う。

つまり、題が二重になっている。

油の夜
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《油の夜》1852年。館の記録では、淡い褐色の紙に鉛筆、裏に黒チョーク。縦15.4センチ、横14.1センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.35。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《油の夜》メトロポリタン美術館蔵

台紙に、三点の素描が貼られる。

上の一点が、いちばん大きい。

人物が数人、集まって立つ。

線は薄く、鉛筆で描かれる。

その下に、短い語が書かれる。

左下の一点は、三人が並ぶ。

右下の一点は、男女が座る。

いずれも、細い線である。

台紙は、灰色である。

右上に、番号がある。

紙の縁が、不揃いである。

同じ台紙が、二度写される

いま見た一点と、その前の一点は、写真がよく似ている。

同じ台紙を写しているように見える。

つまり、一枚の台紙に貼られた素描が、別々に登録されている。

そして、写真は台紙全体を写す。

だから、同じ写真が二つの番号に使われる。

館の記録としては、そうなる。

前の回で、一つの物が複数に数えられる話をした。

ここでは、逆のことが起きている。

複数の物が、一枚の写真に収まっている。

一葉に、複数の作品

一枚の台紙に、五点の素描が貼られる。

そのそれぞれに、番号が振られる。

つまり、一枚の台紙が五件になる。

あるいは、まとめて一件にすることもある。

館の判断による。

前の回で、番号の枝の話をした。

数え方は、館ごと、時期ごとに違う。

そして、いったん決まれば変えにくい。

印刷された案内状に貼られた素描
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《印刷された案内状に貼られた素描》1854年から1855年。館の記録では、淡い色の紙に褐色のインク。縦10.8センチ、横7.3センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.45。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《印刷された案内状に貼られた素描》メトロポリタン美術館蔵

台紙に、印刷された紙が貼られる。

紙には、細かい活字が並ぶ。

文は、十行ほどある。

中央が、揃えて組まれる。

その下に、素描が貼られる。

男性が、身をかがめて立つ。

帽子を脱ぎ、手に持つ。

上着は長く、脚が細い。

素描の下に、手書きの文字がある。

台紙の右上に、番号がある。

印刷と手書きが、同じ台紙にある。

印刷された紙に、絵を貼る

いま見た一点は、変わっている。

印刷された案内状が、まず貼られる。

その下に、素描が貼られる。

そして、素描の下に手書きの文字がある。

つまり、三つの層がある。

活字、絵、手書き。

前の回で、複数の技法が同居する話をした。

こちらは、三種類の文字と絵が重なっている。

題が、長くなる

この一点の館の題は、たいへん長い。

印刷された案内状に貼られた素描で、こういう銘記がある、と書く。

そして、銘記の文言を引用符に入れて示す。

つまり、題が説明になっている。

前の回で、題が長くなる例を見た。

こちらは、その中でもいちばん長い。

素描の中身が複雑なので、短く書けない。

食前の祈りを唱える修道士
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《食前の祈りを唱える修道士》1854年から1855年。館の記録では、淡い色の紙に褐色のインクと鉛筆、裏に洋灯の習作三点。縦13.2センチ、横17.8センチ。画帖からの一葉である。番号は1970.121.6。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《食前の祈りを唱える修道士》メトロポリタン美術館蔵

台紙に、三点の素描が貼られる。

上の一点は、横長である。

人物が、両手を合わせて立つ。

その手前に、机と器が並ぶ。

背後に、大きな樽がある。

その下に、短い文字がある。

左下の一点は、帽子をかぶる人物の顔だ。

顔は、こちらを向く。

右下の一点は、小さい。

立つ人物が、細い線で描かれる。

その下にも、文字がある。

祈りの言葉が、題になる

いま見た一点の題には、短い祈りの言葉が入る。

汝に感謝す、という意味の語である。

素描の下に、そう書かれている。

つまり、描かれた人物が唱えている言葉だ。

前の回で、帯に言葉を書く話をした。

こちらは、絵の下に書いている。

そして、その言葉が題になった。

表と裏に、別の絵がある

九点のうち二点は、裏にも絵がある。

館の題は、表と裏を書き分ける。

そして、技法の欄も分ける。

表は鉛筆、裏は黒チョーク。

つまり、道具が違う。

前の回で、表と裏の話を何度もした。

素描では、両面に描くのが普通である。

紙は貴重だから、無駄にしない。

貼ってしまうと、裏が見えない

ただし、台紙に貼れば裏は見えなくなる。

だから、館は貼る前に記録する。

あるいは、貼らずに保管する。

前の回で、裏打ちで文字が隠れる話をした。

素描でも、同じ問題が起きる。

見せるために貼れば、半分が隠れる。

その判断が、いつも難しい。

私的な帳面が、公になる

九点は、いずれも人に見せるものではなかった。

自分のための帳面である。

日記を書き、思いつきを描く。

その紙が、いま館に収まり、公開されている。

そして、書かれた言葉が題になっている。

前の回で、家の中の言葉が外へ出る話をした。

こちらも、同じことである。

私的な走り書きが、記録の一部になった。

走り書きが、題を作る

館の題を並べてみる。

手書きの日記の最後の頁。

五月十八日。

四十と五十。

酒手。

油の夜。

印刷された案内状に貼られた素描。

食前の祈りを唱える修道士。

三人の男。

書物を持つ老人の素描二点。

つまり、半分以上が、紙に書かれた言葉である。

走り書きが、そのまま名になっている。

若い手が、残っている

九点の線は、いずれも素早い。

考えながら引いた線ではない。

見たものを、その場で写している。

だから、迷いが少ない。

そして、書かれた文字も同じ速さである。

つまり、絵と文字が同じ手の動きで作られている。

前の回で、筆跡が手の動きを残す話をした。

こちらでは、絵と文字の両方に同じ癖が出ている。

見比べれば、同じ人の手だと分かる。

帳面が、館に入るまで

この帳面は、二十世紀のなかばに館へ入った。

館の番号の頭に、その年が示される。

つまり、百年以上、どこかにあった。

家族が持っていたのだろう。

あるいは、収集家の手を経たか。

そのあいだに、ばらされ、台紙に貼られた。

前の回で、来歴の話を何度もした。

一冊の帳面にも、来歴がある。

そして、いまの姿がその結果である。

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