画家を知る

一枚の台紙に、何点も貼る——ジェームズ・マクニール・ホイッスラー

九点の画像には、いずれも一枚の台紙が写る。その上に小さな紙片が何枚も貼られ、一つずつが別の素描である。同じ写真が二度使われ、寸法と画像が合わない。台紙という単位から九点を読みたい。紙片には、番号が振られている。

カトル船長(写生帖より)
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《カトル船長(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

一枚の写真に、何点も写る

九点の画像を見ると、どれも一枚の台紙が写っている。

その台紙の上に、小さな紙片が何枚も貼られている。

紙片の一つずつが、別々の素描である。人物や場面が描かれる。

つまり、一つの記録の画像に、複数の作品が同時に写っている。

どれがその記録の対象なのかは、画像からは分からない。

九点はいずれも、同じ帖から出た紙片である。

もとは一冊の写生帖で、いまは切り離されて台紙に貼られている。

その形が、記録と画像の関係を少し変わったものにしている。

同じ写真が、二度使われる

九点のうち二点は、まったく同じ画像である。

台紙の隅に振られた番号も同じである。

つまり、同じ台紙の上にある別々の素描が、二つの記録として登録されている。

館は、それぞれに題と寸法を付けている。

画像は共通で、記録だけが二つある。

こうしたことは、まとまりのある資料ではしばしば起こる。

一枚の写真で足りるなら、撮り直す必要はない。

かわりに、見る側は題を頼りに探すことになる。

寸法が、画像と合わない

九点の寸法の欄を読むと、いずれも小さい。

最も小さいものは、縦4.1センチ、横5.6センチである。

しかし画像に写る台紙は、その何倍もある。

寸法は、貼られた紙片一枚ぶんの数字である。

台紙の大きさは、記録に書かれていない。

つまり、画像に写っている面積の大部分は、記録の外にある。

数字を信じて画像を見ると、大きさの見当が狂う。

九点の寸法は、いずれも十センチ前後かそれ以下である。

九点の内訳

先に、九点の中身を確かめておく。

いずれも同じ写生帖から出た紙片で、台紙に貼られている。

題に小説の登場人物の名が入るものが三点、街の人物が三点、場面の名が三点。

年は1854年から1855年ごろ。

技法は、インクと鉛筆が中心で、一点だけ色の付いた絵具が入る。

切り抜いて、貼る

こうした台紙は、素描を集めて保存するために作られる。

紙片を切り抜き、順に貼っていく。番号を振る。

もとの帖から外したのか、はじめから紙片だったのかは分からない。

館の題には、写生帖より、という語が付く。もとは一冊だったと考えられる。

いま見えているのは、その帖をばらして貼り直した姿である。

カトル船長(写生帖より)
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《カトル船長(写生帖より)》。館の題には、ディケンズ『ドンビー父子』の登場人物、と添えられる。1854年から1855年ごろ。白い紙にペンと鉄没食子インク。館の記録では、縦4.1センチ、横5.6センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《カトル船長(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

台紙の右上に、番号が書かれる。

台紙の上には、六枚ほどの紙片が貼られる。大きさはまちまちである。

中央左には、長い外套の男が立つ。楽器らしいものを口に当てる。

その姿は、線を密に重ねて描かれる。背後にも斜線が入る。

右上には、上着の裾を持つ若者がいる。

右下には、山高帽の男が立つ。その下に文字が書かれる。

左上には、寝そべる人物の顔がある。

左下には、帽子をかぶった人物が手を伸ばす。

記録の対象がどの紙片かは、館の題からしか推し量れない。

番号が、台紙に振られる

九点の台紙には、右上に数字が書かれている。

五、九、十三、十四、十五。とびとびである。

台紙をまとめた冊子があり、その頁番号だと考えられる。

つまり、台紙自体が一冊になっている。

紙片、台紙、冊子。三つの層が重なっている。

本の登場人物

九点の題を読むと、小説の登場人物の名が並ぶ。

ある作家の小説から二人、別の作家の小説から一人。

いずれも十九世紀のイギリスで広く読まれた本である。

つまり、この帖には読んだ本の人物が描かれている。

目の前の人ではなく、文字から想像した人である。

挿絵を、見ていたか

十九世紀の小説には、たいてい挿絵が付いていた。

登場人物の姿は、その挿絵によって広く共有される。

だから、読み手が思い描く姿は、挿絵に引きずられる。

九点の人物も、挿絵の型に近い可能性がある。

館の記録には、その関係が書かれていない。ここでは可能性として書いておく。

文字から、姿を作る

小説の登場人物には、実物がない。

文章の描写を読み、姿を組み立てるしかない。

服装、姿勢、持ち物。すべて読み手の側で決まる。

同じ本を読んだ人でも、思い描く姿は違う。

九点の紙片は、その一人ぶんの想像を残している。

サー・ジョン・チェスター(写生帖より)
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《サー・ジョン・チェスター(写生帖より)》。館の題には、ディケンズ『バーナビー・ラッジ』より、と添えられる。1854年から1855年ごろ。生成りの紙に鉛筆と褐色インク。館の記録では、縦9.5センチ、横5.6センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《サー・ジョン・チェスター(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

この台紙には、三枚の紙片が貼られる。

上の一枚は大きい。驢馬に乗る人物と、地面に座る人物が描かれる。

乗る人物は外套に身を包み、杖を持つ。

その手前に、もう一人が横たわる。腕を上げる。

背景には、細い線で丘が示される。

下の左には、室内の場面がある。人物が三人ほど集まる。

下の右には、二人の男が立つ。上着と帽子が描かれる。

紙片の下には、細い文字の書き込みがある。

台紙の色は、紙片より濃い。貼った境目がはっきり見える。

大きな紙片と、小さな紙片

一枚の台紙の上には、大きさの違う紙片が並ぶ。

大きいものが中央に、小さいものが周りに置かれることが多い。

貼る人は、大きさを見ながら配置を決めたのだろう。

紙片の内容が近いかどうかは、あまり関係ないように見える。

同じ台紙の上に、室内の場面と街の人物が並ぶ。

台紙と、紙片の境目

画像では、台紙と紙片の色が違う。

紙片のほうが明るく、輪郭が四角い。

角が丸く切られているものもある。楕円に切り抜かれたものもある。

切り方が一定でないのは、絵の形に合わせたからだろう。

貼る側の判断が、そこに残っている。