美術史・技法

二・九センチ四方の作品——ホイッスラーの切り抜きを貼った帖

指の先ほどの紙片に、番号が付いている。九点の寸法は一つも重ならない。丸く切ったもの、不定形のもの、青い紙、茶色い紙。はさみの動きがそのまま寸法の欄に残っている。切って貼るという行為が作った単位を読みたい。

脚
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《脚》メトロポリタン美術館蔵

二・九センチ四方の作品

メトロポリタン美術館の目録に、こういう一件がある。

題は《脚》。

寸法は、縦二・九センチ、横二・九センチ。

指の先ほどの大きさである。

技法の欄には「茶色の織り目の紙に黒インク」とある。

作者は、ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー。

館の記録は、生まれをマサチューセッツ州ローウェル、没した場所をロンドンと書く。

一八三四年から一九〇三年。

その画家の作品として、二・九センチ四方の紙片が登録されている。

なぜ、こんなものが一件になるのか。

答えは、それが貼られている場所にある。

脚
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《脚》1854年から1855年。館の記録では、茶色の織り目の紙に黒インク。縦2.9センチ、横2.9センチ。番号は1970.121.24。写真は、この紙片が貼られた帖の一頁を写している。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《脚》メトロポリタン美術館蔵

公開されている写真を見てほしい。

写っているのは、二・九センチの紙片だけではない。

一頁ぶんの台紙が写っている。

その台紙に、五つの紙片が貼られている。

上に二つ、中央に一つ、下に二つ。

大きさも形もばらばらである。

縦長の細い紙、上が丸くなった紙、四角い紙。

この五つのうちの一つが《脚》である。

台紙の右上には、頁の番号らしい数字が書かれている。

つまりこれは、写生帖ではない。

切り抜いた素描を貼り込んだ、帖である。

切って、貼って、綴じる

館の記録は、この一群を「写生帖から」と書いている。

しかし、頁に描いたものではない。

別々の紙に描いたものを、あとから貼っている。

証拠は、寸法の欄にある。

九点の寸法を並べてみる。

七・五センチ掛ける一七・一センチ。

二・九センチ四方。

直径五・二センチ。

不定形、五・一センチ掛ける六・七センチ。

一〇・二センチ掛ける八・七センチ。

一八・四センチ掛ける一四・六センチ。

一四・六センチ掛ける一八・九センチ。

一二・七センチ掛ける八・三センチ。

五・九センチ掛ける四・四センチ。

そろっているものが、一つもない。

同じ帳面の頁なら、寸法は必ずそろう。

前回まで見てきたサリーやハンティントンの写生帖は、九点すべて同じ数字だった。

ここでは、九点すべてが違う。

さらに、紙の種類も違う。

白みがかった織り目の紙。茶色の紙。青い紙。緑みを帯びた茶色の紙。

インクも、茶色と黒の両方がある。

一冊の帳面から、これだけ多様な紙は出てこない。

剣闘士
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《剣闘士》1850年から1851年。館の記録では、白みがかった織り目の紙に茶のインク。縦7.5センチ、横17.1センチ。番号は1970.121.11。横に細長い紙片で、一つだけで写されている。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《剣闘士》メトロポリタン美術館蔵

この一点だけは、台紙が写っていない。

紙片そのものが、黒い背景の上に置かれている。

横に細長い。

縦七・五センチに対し、横が一七・一センチある。

二倍以上の横長である。

描かれているのは、倒れかけた人物と、その前に立つ人物。

題は《剣闘士》である。

古代の闘技を、想像で描いたものらしい。

年の欄は、一八五〇年から一八五一年。

九点のなかで、いちばん古い。

大きさは、切ったあとの寸法

ここで一つ、注意しておきたいことがある。

寸法の欄に書かれた数字は、描いたときの紙の大きさではない。

切ったあとの大きさである。

《脚》の二・九センチ四方は、脚を描いた紙を、脚の形に沿って切った結果である。

もとの紙は、もっと大きかったはずである。

日傘の少女
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《日傘の少女》1854年から1855年。館の記録では、白みがかった織り目の紙に茶のインク。直径5.2センチ。番号は1970.121.48。丸く切り抜かれ、帖の頁に貼られている。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《日傘の少女》メトロポリタン美術館蔵

この一点の寸法は、さらに変わっている。

縦横ではなく、直径である。

直径五・二センチ。

つまり、円形に切られている。

写真を見ると、台紙の中央にその円がある。

まわりに、四角い紙片や、上が丸い紙片が並ぶ。

そして、貼り紙の下に手書きの文字が見える。

短い言葉が、鉛筆で書き添えられている。

誰が書いたかは、記録に出てこない。

台紙の右上には、この頁の番号がある。

九点のうち何点かの写真に、同じ位置の数字がある。

つまり、この帖には頁の順序が付いている。

煙草を吸う男
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《煙草を吸う男》1854年から1855年。館の記録では、白みがかった織り目の紙に、ペンと没食子インク。寸法の欄は不定形と断ったうえで、縦5.1センチ、横6.7センチとする。番号は1970.121.51。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《煙草を吸う男》メトロポリタン美術館蔵

こちらの寸法の欄には、「不定形」という語が先に来る。

四角くも丸くもない、という意味である。

輪郭に沿ってはさみを入れた結果、決まった形にならなかった。

それでも館は、外接する長方形の寸法を書く。

五・一センチ掛ける六・七センチ。

形は不定でも、大きさは伝わる。

技法の欄には「没食子インク」とある。

植物の虫こぶから作る、古くからのインクである。

時間がたつと、褐色に変わり、紙を傷めることがある。

この頁の写真では、貼り紙のまわりが薄く変色している。

館はそこまで書いていないので、断定はしない。

同じ写真が、二つの番号に付く

前回、ハンティントンの写生帖で、同じ写真が二つの番号に使われている例を見た。

この帖でも、同じことが起きている。

理由は逆である。

見開きにまたがるからではない。

一枚の台紙に、複数の作品が貼られているからである。

教会の場面
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《教会の場面》1854年から1855年。館の記録では、茶色の織り目の紙に、茶のインク、白のグワッシュ、鉛筆、淡彩。縦10.2センチ、横8.7センチ。番号は1970.121.16。同じ台紙に、四つの紙片が貼られている。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《教会の場面》メトロポリタン美術館蔵

この台紙には、四つの紙片が貼られている。

左上に、群像。

右上に、横顔の大きな一枚。

左下に、行列らしい場面。

右下に、立ち姿の人物。

そして右上の紙の下に、「食後」と読める手書きの文字がある。

台紙の右上には、二桁の番号がある。

《教会の場面》は、このうちのどれかである。

技法の欄が手がかりになる。

茶色の紙に、茶のインクと白のグワッシュ。

白を上から置いているのだから、暗い紙のはずである。

閲兵
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《閲兵》1852年ごろ。館の記録では、緑みを帯びた茶色の織り目の紙に、茶のインク、グワッシュ、鉛筆。縦12.7センチ、横8.3センチ。番号は1970.121.18。前の図版と同じ台紙を写した写真である。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《閲兵》メトロポリタン美術館蔵

そして、これが同じ台紙である。

前の図版と見比べてほしい。

同じ四つの紙片、同じ位置、同じ手書きの文字。

写真は同一のものである。

番号だけが違う。

一枚の台紙に貼られた四点のうち、二点が当サイトで公開されている。

その二点が、同じ写真を共有している。

もし四点すべてが公開されていれば、同じ写真が四回出てくることになる。

番号は、貼った順ではない

九点の番号を並べてみると、あることに気づく。

一九七〇・一二一の二、三、十一、十六、十八、二十四、四十四、四十八、五十一。

そして、それぞれの年の欄はこうなっている。

一八五四年から五五年。一八五四年から五五年ごろ。一八五〇年から五一年。

一八五四年から五五年。一八五二年ごろ。一八五四年から五五年。

一八五四年から五五年。一八五四年から五五年。一八五四年から五五年。

番号の順と、年の順が一致しない。

十一番がいちばん古く、十八番がその次に古い。

つまり、番号は制作の順ではない。

貼られた位置の順である。

貼った人は、年代を考えずに並べた。

あるいは、年代が分からないまま並べた。

館は、貼られた順に番号を振り、そのうえで年を推定した。

順序は帖のもの、年は研究の結果。

二つの層が、同じ記録のなかに重なっている。

ヴァイオリンを弾くロス・ワイナンズ
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《ヴァイオリンを弾くロス・ワイナンズ》1854年から1855年。館の記録では、白みがかった織り目の紙に、黒インクと鉛筆。縦18.4センチ、横14.6センチ。番号は1970.121.2。上が丸く切られ、台紙のほぼ全面を占める。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《ヴァイオリンを弾くロス・ワイナンズ》メトロポリタン美術館蔵

番号の若い二番は、九点でいちばん大きい。

縦一八・四センチ、横一四・六センチ。

台紙のほとんどを、この一枚が占めている。

上の縁が丸く切られている。

椅子に腰かけた男性が、ヴァイオリンを構えている。

顎で楽器を押さえ、右手で弓を持つ。

線は細く、影は斜めの線を重ねて作られている。

台紙の下に、二つの文字らしい書き込みがある。

題には、弾いている人の名が入っている。

ロス・ワイナンズ。

館の記録は、この人物が誰かを説明していない。

トマス・ワイナンズの家族
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《トマス・ワイナンズの家族》1854年から1855年ごろ。館の記録では、白みがかった織り目の紙に、黒インクと鉛筆。縦14.6センチ、横18.9センチ。番号は1970.121.3。同じ台紙に、三つの紙片が貼られている。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《トマス・ワイナンズの家族》メトロポリタン美術館蔵

次の三番にも、同じ姓が出てくる。

トマス・ワイナンズの家族。

こちらは横長で、大勢の人物が並んでいる。

馬に乗った人、立っている人、しゃがんでいる人。

犬もいる。

同じ台紙の下には、二つの小さな紙片が貼られている。

左に腰かけた男、右に杖を持った男。

三つの紙片で、一頁ができている。

二番と三番が同じ姓の人を描いているのは、偶然ではないだろう。

画家が、その一家と近い場所にいた時期の絵と考えられる。

ただし館の記録は、関係を書いていない。

煙草を吸う男の頭部
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラー《煙草を吸う男の頭部》1854年から1855年。館の記録では、青い織り目の紙に茶のインク。縦5.9センチ、横4.4センチ。番号は1970.121.44。同じ台紙に、六つの紙片が貼られている。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《煙草を吸う男の頭部》メトロポリタン美術館蔵

最後の一頁には、六つの紙片が貼られている。

左上に室内の場面、右上に二人の立ち姿。

中央に、帽子の男。

右に、日傘の女と、頭部の小さな一枚。

下に、手書きの文字がある。

この台紙の右上にも番号がある。

六つのうちの一つが《煙草を吸う男の頭部》である。

寸法は五・九センチ掛ける四・四センチ。

紙は青い。

九点のうち、青い紙はこれだけである。

暗い紙に、白を置く

技法の欄を、もう一度並べてみる。

九点のうち三点に、普通と違う語が入っている。

《教会の場面》は、茶色の紙に、茶のインクと白のグワッシュと鉛筆と淡彩。

《閲兵》は、緑みを帯びた茶色の紙に、茶のインクとグワッシュと鉛筆。

《煙草を吸う男の頭部》は、青い紙に茶のインク。

グワッシュは、不透明な水性の絵具である。

透明な水彩と違い、下の色を覆い隠す。

白のグワッシュを暗い紙に置くと、そこだけが明るく浮かぶ。

紙の色が中間の調子になり、インクが影、グワッシュが光になる。

三段階が、少ない手数でできあがる。

白い紙にこの方法は使えない。

紙がすでに最も明るいからである。

だから、わざわざ茶色や青の紙を選ぶ。

九点の紙の色がばらばらなのは、無頓着だからではない。

描きたい調子に応じて、紙を選び分けている。

そして、選び分けた結果が、そのまま技法の欄に残った。

寸法の欄がはさみの記録なら、技法の欄は紙選びの記録である。

軍隊の場面が並ぶ年

九点のうち、古いほうの二点には、軍隊の主題が出てくる。

一八五〇年から五一年の《剣闘士》。

一八五二年ごろの《閲兵》。

閲兵とは、隊列を組んで並び、点検を受ける行事である。

《閲兵》の紙片には、縦長の画面に人物が立ち、その背後に建物らしい線が見える。

ホイッスラーが十代の終わりに士官学校に在籍していたことは、よく知られている。

館の記録は、その事情を書いていない。

書いているのは、年と題と技法だけである。

それでも、この二点だけが他の七点と年が離れていることは、記録から読める。

一八五〇年代のはじめと、一八五四年から五五年。

三年ほどの隔たりがある。

同じ帖のなかに、別の時期の紙が並んでいる。

貼った人は、その隔たりを気にしなかった。

あるいは、隔たりを知らなかった。

十九世紀の帖という習慣

切り抜きを貼り込んだ帖は、十九世紀にはありふれた品だった。

新聞の切り抜き、押し花、便箋、写真。

手元に来たものを、台紙に貼って綴じる。

友人どうしで、たがいの絵や詩を寄せ合うこともあった。

こうした帖は、作品を保存するためだけのものではない。

見せるための品である。

来客に開いて見せる。

だから、頁の見た目に配慮が要る。

大きな一枚だけを中央に据えた頁と、小さな六枚を並べた頁。

この差は、そういう配慮の結果だろう。

そう考えると、右上の頁番号にも意味が出てくる。

順に見せるための番号である。

帖は、順序を持った見世物でもある。

館が写生帖と呼んでいるこの一群は、たぶんそういう品だった。

画家が携えて描いた帳面ではなく、あとから編まれた帖である。

そして館は、編んだ人の順序を、番号として引き継いだ。

一頁を一件にしなかった理由

ここで、素朴な問いに戻る。

なぜ館は、台紙一枚を一件にしなかったのか。

そうすれば、写真の重複は起きない。

理由はおそらく、貼られたものが別々の作品だからである。

年が違う。紙が違う。インクが違う。

一八五〇年の剣闘士と、一八五五年の頭部が、同じ台紙にある。

これを一件にまとめると、年の欄が書けなくなる。

紙の欄も書けない。

まとめれば記録が粗くなり、分ければ写真が重複する。

館は、記録の細かさを取った。

写真の重複は、その代償である。

もっとも、この判断は分野によって変わる。

同じ館でも、屏風は六枚を一件にまとめる。

理由は、六枚が一続きの絵だからである。

こちらは、一続きではない。

貼り合わせただけである。

当サイトの画面では、どう見えるか

当サイトは、この九点を九件として公開している。

一件ずつに題が付き、寸法が付き、技法が付く。

そして画像には、台紙ごと写った写真が出る。

はじめて見る人は、戸惑うかもしれない。

題は《脚》なのに、写真には五つの絵がある。

どれが脚なのか、すぐには分からない。

この戸惑いは、館の目録をそのまま引き継いだ結果である。

書き換えて、脚の部分だけを切り出すこともできる。

しかしそうすると、貼られているという事実が消える。

台紙が写っているからこそ、これが帖の一頁だと分かる。

まわりに何が貼られているかも分かる。

写真の余分な部分は、余分ではない。

単位を説明する情報である。

寸法の欄と写真を突き合わせれば、どれが該当の一点かは絞り込める。

二・九センチ四方の紙片を探せばよい。

読む手間はかかるが、情報は失われていない。

帖を作った人の判断

この帖には、もう一人の作り手がいる。

切って貼った人である。

その人は、大きさの違う紙を、一頁の中で釣り合うように配置した。

大きな一枚だけの頁もあれば、六つ並べた頁もある。

丸く切られた紙も、不定形の紙もある。

配置には、明らかに好みが働いている。

そして、手書きの文字を添えた。

短い言葉が、絵のそばに書かれている。

作った人が誰かは、記録に出てこない。

画家自身かもしれないし、身近な誰かかもしれない。

分からないまま、その判断だけが残っている。

出所の行には、三人の名がある。

一九七〇年に、三人の連名で寄贈されている。

三人がどういう関係かも、記録には書かれていない。

帖の名残は、いまも見える形で残っている。

台紙の色。頁の番号。手書きの短い言葉。

これらは作品ではないが、写真の中にある。

館は、そこを切り取らずに写した。

その判断のおかげで、九件の記録は一冊の帖として読める。

はさみを入れた人と、番号を振った人は別である。

前者は見せるために切り、後者は探せるように数えた。

二つの目的が、同じ一頁の上で重なっている。

切ることは、捨てることでもある

はさみを入れるとき、必ず何かが捨てられる。

《脚》を二・九センチ四方に切った人は、脚以外の線を切り落とした。

その紙には、脚のほかにも何か描かれていたかもしれない。

余白があり、日付があり、別の習作があったかもしれない。

いまとなっては確かめようがない。

切り抜きの帖は、そういう損失の上に成り立っている。

残ったものは見やすくなり、捨てられたものは記録されない。

同じことは、館の外でも起きてきた。

写生帖をばらして一頁ずつ売る。

長い巻物を切って掛軸に仕立て直す。

祭壇画を分割して、板ごとに売る。

このあとの回で、その例をいくつも見ることになる。

切ると、売れる単位が増える。

売れる単位が増えると、散らばる。

散らばったものに、館が番号を与える。

一点という単位の多くは、この流れの下流にある。

大きさが、ばらばらであること

この帖の面白さは、寸法の欄にある。

九つの数字が、一つも重ならない。

普通、目録の寸法は退屈な欄である。

同じ帳面なら同じ数字が並び、読み飛ばしてよい。

ここでは、その欄が主役になる。

二・九センチ四方。直径五・二センチ。不定形。

数字を並べただけで、はさみの動きが見えてくる。

脚だけを残して切る。

顔のまわりを丸く切る。

輪郭に沿って、四角くならないまま切る。

紙を切るという行為が、そのまま寸法の欄に記録されている。

そして、切られた紙片の一つ一つに、番号が付いた。

一点という単位は、ここでは、はさみが決めている。

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