都市は、毎日が興行——ジョージ・ベローズ
縞の日よけの下で
都市ばかりの画家ではない。

《わたしの家族》。縞の日よけの下に、妻エマと二人の娘がいる。
ベローズは1910年に結婚したと伝えられる。この絵の三人が、その答えである。
画面は大きい。縦151センチ。人物は等身大に近い。
リングの喧噪は、ここにはない。
三人は寄り添い、視線は静かである。色も落ち着いている。
縞の日よけが、三人の上に柔らかな影を落とす。
とはいえ、描き方まで変わったわけではない。
大きな画布に、厚い絵具。人物はしっかりとした量感で立ち上がる。
群衆を描いてきた画家が、いちばん小さな集まりを描いた。
都市の絵と対になる、家庭の絵である。
所蔵館の来歴記録によれば、この絵は売られずに画家の家に残った。
手放したくなかったのだろう、と考えたくなる来歴である。
芝の上の、見る人々
大戦のあとの1920年、意外な場所が描かれる。

避暑地ニューポートの、芝のテニスコートである。
緑の画面である。芝の緑に、観客の白い服が点々と映える。
木々の間から光が落ち、群衆の上でまだらに躍る。
上流の社交の場。安クラブのリングとは、何もかも正反対に見える。
だが、構図を見てほしい。
競技する者が中央にいて、それを取り囲んで見る群衆がいる。
ボクシングの絵と、骨組みは同じである。
リングサイドの歪んだ顔が、日傘と白い帽子に替わっただけである。
安クラブの闇でも、避暑地の芝でも、人は見世物に群がる。
ベローズはそのことを、知っていたのだろう。
戦争を挟んで、アメリカの富は膨らんでいた。
その光景もまた、生活である。師の教えは、上流の芝の上にも届く。
生活を描くという方針は、貧しさを描くという意味ではなかった。
窓辺の、老夫婦
最晩年の一枚を見る。

農村の老夫婦、フィリップ・ウェイズ夫妻の二人像である。
窓辺に鳥がいる。壁には古い肖像写真が掛かる。
長い歳月が、部屋の隅々にしみ込んでいる。
二人は向かい合うのではなく、並んで画面に収まる。
長い時間を共にした者どうしの、距離である。
派手な事件は何もない。部屋と、二人と、窓の光があるだけである。
壁の古い肖像写真は、二人の若い日の姿だろうか。
そう考えると、これは一組の夫婦の、長い時間の絵になる。
群衆の一瞬を追い続けた画家が、最後に長い時間を描いた。
これが最晩年の絵の一つになるとは、本人は知らなかっただろう。
都市の速い筆は、ここにはない。静けさが画面を満たしている。
四十二歳の、突然
翌1925年、ベローズは急逝する。虫垂炎をこじらせたのである。
手術を拒んだ、あるいは遅れたと伝えられる。42歳だった。
若くして認められ、1913年の国際的な新美術の展覧会では運営にも加わった。
晩年は石版画にも力を注ぎ、仕事の幅を広げていた。
まだいくらでも先のある画家だった。
《四十二人の子どもたち》から、わずか18年である。
急な死は、画家の評価を宙づりにした。
円熟期を持たないまま、若い日の傑作だけが残されたからである。
死後、画室には多くの作品が残された。
所蔵館の来歴記録によれば、その多くは妻エマが引き継いだ。
エマは長く生き、夫の作品を守り続けた。
今日ワシントンで見られる作品の多くは、エマの手から収集家を経て美術館に入っている。
見立て——都市は毎日が興行だった
見立てを書く。
ベローズの主題は、一貫して「群衆と見世物」だったと当サイトは考える。
リングも、駅の掘削現場も、交差点の雑踏も、芝のコートも。
真ん中で何かが起きていて、それを取り囲む人々がいる。
20世紀初頭のニューヨークでは、毎日が興行だった。
ベローズはその客席に立ち、舞台と観客を同時に描き続けた。
都市を見世物として描くことは、都市を軽んじることではない。
舞台に上がった者を、まっすぐ見ることである。
だから晩年の絵は、こう見える。
家族の絵と老夫婦の絵は、興行から降りたあとの、静かな観客席である。
興行を降りても、見ることはやめない。
見ることそのものが、この画家の生活だった。
リングに上がる者を描く画家は、自分もまた客席の一人である。
その自覚が、絵から説教くささを抜いている。
生活をそのまま描くアメリカの系譜は、彼より前から続いている。
南北戦争のあと、海とそこに生きる人々を描き続けた画家がいた。
戦後のホーマーで書いた通りである。
ホーマーからエイキンズへ、そしてベローズへ。
美しいものを描くのではなく、目の前のものを見つめて描く。
その系譜の真ん中に、この人は立っている。
桟橋の子どもたちへ、もう一度
最初の絵に戻りたい。
夜の川、朽ちた桟橋、四十二人の子どもたち。
上品な主題ではない。だが、この絵の前で人は必ず数え始める。
数えるとは、一人ひとりを見ることである。
名前も知らない移民街の子どもたちが、一人ずつ、見られる存在になる。
ごみバケツ派と呼ばれた画家が残したのは、その眼差しである。
都市の汗と埃を、ベローズは絵の主題に格上げした。
美術館の静かな壁の中で、この絵は少し騒がしい。
名画の並びの中で、ここだけ水しぶきと歓声が上がっている。
騒がしさもまた、名画の資格である。
百年あまり前のニューヨークの熱気は、いまも画面の中で動いている。
数え終わる前に、きっとまた一人、飛び込む。








