空だけを、描く練習——ウジェーヌ・ブーダン
働く海も、描いている
ただし、彼が描いたのは行楽の海だけではない。

働く港を描いた小品もある。
左から中央にかけて、帆柱が林立している。細い線が何本も垂直に立ち、その間を斜めの索が渡る。
中央には、起重機らしい太い腕が斜めに突き出している。
右には黒い煙突。そこから灰色の煙が上がる。
手前は干潟か岸壁で、褐色と灰と黄土の絵具が乾いた筆で置かれている。
人物は数人。青と黄の小さな点として散っている。
画面は18センチ×26センチ。文庫本ほどの大きさしかない。
この寸法に、これだけの情報が詰め込まれている。
右下に「E. Boudin 85」の署名。

一方で、こういう大画面も残している。
縦1.2メートル、横1.6メートル。先ほどの小品の四十倍近い面積である。
夕暮れの港の内側である。水面は鏡のように静かで、船と空を映している。
左に大型の帆船が一隻。帆を畳み、旗を掲げている。その左では、蒸気船が黒い煙を上げる。
右にもう一隻、同じような帆船。奥には無数の帆柱が林立している。
そして空。上半分は灰青の雲、水平線の近くだけが黄金色に光っている。
画面全体が灰色と黄土でまとまり、強い色はどこにもない。
大きさが変わっても、配分の考え方は同じである。空が主役で、船はその下に置かれる。
印象派展にも、出品した
1874年、第一回の印象派展が開かれたとき、ブーダンも出品している。
ただし、印象派の中心にいたわけではない。彼はモネより十六歳年上で、様式もやや古い。
色は印象派ほど分割されておらず、明暗の構成は伝統的である。
橋渡しの位置にいた画家、という言い方が近いだろう。
実際、彼の作品は印象派ほど激しく批判されなかった。
理由は分かりやすい。画面が穏やかで、形が壊れていないからだ。
新しさが目立たないぶん、抵抗も少ない。
先を行きすぎた人が叩かれ、少し手前にいた人が受け入れられる。よくある構図である。
ただし、その「少し手前」がなければ、次の一歩も出なかった。
見立て——空は、練習の対象である
ここからは書き手の見方である。
ブーダンの仕事を、私は「観察の練習を、作品にまで持ち上げた例」として読みたい。
彼のパステル習作は、本来は練習である。雲の形を覚えるための記録だ。
日付と風向きを書き込むのは、あとで見返して比較するためだろう。学習の道具である。
その練習の集積が、結果として彼の油彩を支えた。
浜辺の絵で、人物があれほど簡略でも画面が持つのは、空が持っているからだ。
言い換えると、いちばん時間をかけた部分が、絵の背骨になっている。
そして興味深いのは、彼が最後まで「空の画家」であり続けたことである。
主題を広げることも、様式を大きく変えることもしなかった。同じことを五十年続けた。
その一貫性を、退屈と見ることもできる。私はそう見ない。
毎日違うものを描いていれば、同じ主題でも飽きようがない。空とは、そういう対象である。
数の多さについて
留保も置いておきたい。
ブーダンは非常に多作だった。当サイトで公開しているだけで30点ある。世界中の美術館には、はるかに多くの作品がある。
数が多いということは、質にばらつきがあるということでもある。
土産物として売るために量産された小品の中には、明らかに手早く済ませたものが混じる。
すべてを傑作として扱うのは公平でない。良い一枚と、そうでない一枚がある。
見分ける手がかりは、やはり空だと思う。空に階調の変化が細かく入っているものは、時間がかかっている。
一色で平らに塗られた空は、急いだ証拠である。
もう一点、留保がある。
彼の浜辺の絵は、当時の中産階級の余暇を描いたものである。そこに写っているのは、休暇を取れる人たちだ。
同じ海岸には漁師が住み、生活していた。彼らは行楽客とは別の暮らしをしている。
ブーダンは働く港も描いているので、片方だけを見ていたわけではない。
ただ、売れたのは行楽の絵のほうである。買い手がそこにいたからだ。
何が残るかは、何が売れたかで決まる。この事情は、どの時代の絵にも当てはまる。
暮らしへ——空を、十日記録してみる
最後に、誰にでもできる練習をひとつ。
同じ時刻に、同じ方角の空を、十日間撮る。
朝でも夕方でもよい。窓から見える範囲でかまわない。
そして、撮った日付と、そのときの体感(風があったか、暑かったか)を一行だけ書き添える。
十日分を並べると、驚くほど違う。同じ空は一日もない。
これはブーダンがパステルでやっていたことと、ほぼ同じである。
続けると、空を見る目が細かくなる。「今日の雲は低い」「昨日より青が薄い」が分かるようになる。
そうなってから彼の絵を見ると、あの空がどれだけ観察されたものかが伝わってくる。
飾るなら、空の多い絵は圧迫感が少ない。狭い部屋や、天井の低い場所に向く。
飾る場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。






