作品を知る

青銅は、いつ作られたのか——ロダン・セント=ゴーデンズ・ルドンほか九点

シリアのセレウコス・ニカトルの胸像
キウラッツィとデ・アンジェリスの鋳造所《シリアのセレウコス・ニカトルの胸像》十九世紀後半。館の記録では、ブロンズ。71.8×43.2×29.2センチ。番号は1893.118。シカゴ美術館蔵。シリアのセレウコス・ニカトルの胸像》シカゴ美術館蔵

胸から上の像である。

高さは71.8センチある。

顔は正面を向く。

目は大きく、瞳が彫られている。

眉は太く、鼻筋は通る。

口は閉じ、口角がわずかに下がる。

髪は短い巻き毛で、額のまわりに密に並ぶ。

首は太く、胸は裸である。

肩の線で、像は切れる。

その下に、円い台が付く。

台は明るい黄土色で、像とは色が違う。

像の表面は黒く沈み、緑の斑がある。

斑は、首から肩にかけて多い。

顔の面は、比較的きれいに残る。

館の記録には、十九世紀後半の複製とある。

もとの像は、古代のものである。

館の記録は、それ以上のことを書いていない。

つまりこの像には、二つの年がある。

もとの像が作られた年と、この複製が鋳られた年である。

そして館の題は、もとの像の人物の名を採っている。

作り手の欄には、鋳造所の名が入る。

九点のうち、作り手が個人ではなく工場なのは、この一点である。

そしてこの複製は、館へ寄贈されている。

番号の頭の四桁は、館に入った年を示す。

作られてまもなく、館の所蔵品になったことになる。

門の一部が、独立した像になる

五点目からは、原型と鋳造の年が離れる。

石を担う倒れたカリアティード
オーギュスト・ロダン《石を担う倒れたカリアティード》1880年から81年。館の記録では、ブロンズ。全体は43.5×29.2×31.8センチ。番号は1946.352。クリーヴランド美術館蔵。オーギュスト・ロダン《石を担う倒れたカリアティード》クリーヴランド美術館蔵

うずくまる裸の女性である。

全体は43.5×29.2×31.8センチある。

体は前へ折れ、膝を突く。

右肩の上に、大きな石の塊が載る。

石は角ばり、表面が粗い。

右腕は上へ回り、石を支える。

左腕は下がり、指が地面に触れる。

頭は左へ傾き、うつむく。

背中の筋が、一本ずつ見える。

腰から下は、丸みを帯びる。

台座は不定形で、岩のようである。

表面は暗い緑と黒である。

光の当たる肩と背だけが、明るい。

指の先や膝の頭も、わずかに光る。

出っ張った部分ほど、被膜が薄い。

館の記録では、カリアティードとは古代の建築で、女性の姿に彫られた柱のことである。

この作者は、この像をもともと大きな門の彫刻の一体として構想した。

古代のカリアティードはふつう衣を着ているが、この作者は体から衣を取り去った。

そして石の重さに押し潰された姿として表した。

肉体の苦痛か、心の苦しみを象徴的に示している。

作者はこの像を、早くも展覧会で独立した彫刻として出した。

そして大理石と青銅で、いくつもの版を作ったという。

館の記録は、そう説明している。

台座には、鋳造所の名と作者の名が記されている。

つまりこの像には、三つの名がある。

作者、鋳造所、そして展覧会に貸し出したときの番号である。

鋳造所の名は、右前の台座にある。

作者の名は、左後ろの台座にある。

二つは、離れた場所に置かれている。

作った人と、鋳た人が別であることが、そのまま表れている。

二十点ほど作られた一点

六点目も、複数ある。

アモル・カリタス
オーガスタス・セント=ゴーデンズ《アモル・カリタス》1898年に原型、以後に鋳造。館の記録では、ブロンズ。全体は101×45.2センチ。番号は1923.726。クリーヴランド美術館蔵。オーガスタス・セント=ゴーデンズ《アモル・カリタス》クリーヴランド美術館蔵

縦長の浮き彫りである。

全体は101×45.2センチある。

木の枠に納められている。

枠は赤褐色で、左右に柱が立つ。

上には、水平の梁がある。

その内側に、青銅の板がある。

板の色は、淡い緑である。

板の中央に、翼のある人物が立つ。

正面を向き、両腕を上げる。

手には、平たい板を掲げる。

板には、文字が刻まれている。

衣は足元まで届き、細かい襞が縦に走る。

襞の線は、上から下までほぼ平行である。

顔は静かで、目は開いている。

頭のまわりには、輪の形がある。

輪は細く、板の面に浅く彫られている。

光の当たり方で、見えたり見えなかったりする。

背後の翼は、上へ大きく伸びる。

館の記録では、この天使のような人物は愛と慈愛の寓意である。

作者は、長年の模特児であった人をもとにしている。

はじめに作られた等身大の青銅の鋳造は高く評価された。

作者はこれを、自分の作った中でとくに大切に思うものの一つと言っている。

そして人気があったために、より小さな版がおよそ二十点作られた。

この作もその一つで、高級な小売店を通じて売られたという。

館の記録は、そう説明している。

つまり同じ像が、少なくとも二十一体ある。

はじめの等身大の一体と、小さな二十点である。

この一点は、そのうちの小さいほうにあたる。

高さ101センチは、等身大ではない。

この画家の浮き彫りについては、浮き彫りの厚みで扱った。

原型から十年後に、鋳られる

七点目では、二つの年がはっきり書かれている。

テウクロス
ハモ・ソーニクロフト《テウクロス》1880年から81年に原型、1891年に鋳造。館の記録では、ブロンズ。高さ203.2センチ、台座の直径68.6センチ。番号は1891.80。シカゴ美術館蔵。ハモ・ソーニクロフト《テウクロス》シカゴ美術館蔵

等身より大きな立像である。

高さは203.2センチある。

裸の男が立つ。

左足に体重を乗せ、右足を後ろへ引く。

左腕を高く上げ、前へ伸ばす。

その手に、大きな弓を握る。

右腕は肩の高さまで上がり、後ろへ引かれる。

弦を引いた形である。

顔は左を向き、上を見る。

胸と腹の筋が、はっきり分かれる。

台座は円く、直径68.6センチある。

台座は緑がかっており、像より明るい。

像の表面は、暗い灰緑である。

筋の谷にあたる部分だけ、色が濃い。

山にあたる部分は、明るく擦れている。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

年の欄には、原型が1880年から81年、鋳造が1891年とある。

つまり十年の隔たりがある。

この十年のあいだ、像は石膏か粘土であった。

そして館に入った年は、鋳造と同じ1891年である。

作られてすぐに、館へ来たことになる。

番号の頭の四桁も、1891である。

つまり鋳造の年と、収蔵の年が同じである。

原型から十年、鋳造から零年。

二つの数字の差が、そのまま記録に残っている。