青銅は、いつ作られたのか——ロダン・セント=ゴーデンズ・ルドンほか九点

胸から上の像である。
高さは71.8センチある。
顔は正面を向く。
目は大きく、瞳が彫られている。
眉は太く、鼻筋は通る。
口は閉じ、口角がわずかに下がる。
髪は短い巻き毛で、額のまわりに密に並ぶ。
首は太く、胸は裸である。
肩の線で、像は切れる。
その下に、円い台が付く。
台は明るい黄土色で、像とは色が違う。
像の表面は黒く沈み、緑の斑がある。
斑は、首から肩にかけて多い。
顔の面は、比較的きれいに残る。
館の記録には、十九世紀後半の複製とある。
もとの像は、古代のものである。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
つまりこの像には、二つの年がある。
もとの像が作られた年と、この複製が鋳られた年である。
そして館の題は、もとの像の人物の名を採っている。
作り手の欄には、鋳造所の名が入る。
九点のうち、作り手が個人ではなく工場なのは、この一点である。
そしてこの複製は、館へ寄贈されている。
番号の頭の四桁は、館に入った年を示す。
作られてまもなく、館の所蔵品になったことになる。
門の一部が、独立した像になる
五点目からは、原型と鋳造の年が離れる。

うずくまる裸の女性である。
全体は43.5×29.2×31.8センチある。
体は前へ折れ、膝を突く。
右肩の上に、大きな石の塊が載る。
石は角ばり、表面が粗い。
右腕は上へ回り、石を支える。
左腕は下がり、指が地面に触れる。
頭は左へ傾き、うつむく。
背中の筋が、一本ずつ見える。
腰から下は、丸みを帯びる。
台座は不定形で、岩のようである。
表面は暗い緑と黒である。
光の当たる肩と背だけが、明るい。
指の先や膝の頭も、わずかに光る。
出っ張った部分ほど、被膜が薄い。
館の記録では、カリアティードとは古代の建築で、女性の姿に彫られた柱のことである。
この作者は、この像をもともと大きな門の彫刻の一体として構想した。
古代のカリアティードはふつう衣を着ているが、この作者は体から衣を取り去った。
そして石の重さに押し潰された姿として表した。
肉体の苦痛か、心の苦しみを象徴的に示している。
作者はこの像を、早くも展覧会で独立した彫刻として出した。
そして大理石と青銅で、いくつもの版を作ったという。
館の記録は、そう説明している。
台座には、鋳造所の名と作者の名が記されている。
つまりこの像には、三つの名がある。
作者、鋳造所、そして展覧会に貸し出したときの番号である。
鋳造所の名は、右前の台座にある。
作者の名は、左後ろの台座にある。
二つは、離れた場所に置かれている。
作った人と、鋳た人が別であることが、そのまま表れている。
二十点ほど作られた一点
六点目も、複数ある。

縦長の浮き彫りである。
全体は101×45.2センチある。
木の枠に納められている。
枠は赤褐色で、左右に柱が立つ。
上には、水平の梁がある。
その内側に、青銅の板がある。
板の色は、淡い緑である。
板の中央に、翼のある人物が立つ。
正面を向き、両腕を上げる。
手には、平たい板を掲げる。
板には、文字が刻まれている。
衣は足元まで届き、細かい襞が縦に走る。
襞の線は、上から下までほぼ平行である。
顔は静かで、目は開いている。
頭のまわりには、輪の形がある。
輪は細く、板の面に浅く彫られている。
光の当たり方で、見えたり見えなかったりする。
背後の翼は、上へ大きく伸びる。
館の記録では、この天使のような人物は愛と慈愛の寓意である。
作者は、長年の模特児であった人をもとにしている。
はじめに作られた等身大の青銅の鋳造は高く評価された。
作者はこれを、自分の作った中でとくに大切に思うものの一つと言っている。
そして人気があったために、より小さな版がおよそ二十点作られた。
この作もその一つで、高級な小売店を通じて売られたという。
館の記録は、そう説明している。
つまり同じ像が、少なくとも二十一体ある。
はじめの等身大の一体と、小さな二十点である。
この一点は、そのうちの小さいほうにあたる。
高さ101センチは、等身大ではない。
この画家の浮き彫りについては、浮き彫りの厚みで扱った。
原型から十年後に、鋳られる
七点目では、二つの年がはっきり書かれている。

等身より大きな立像である。
高さは203.2センチある。
裸の男が立つ。
左足に体重を乗せ、右足を後ろへ引く。
左腕を高く上げ、前へ伸ばす。
その手に、大きな弓を握る。
右腕は肩の高さまで上がり、後ろへ引かれる。
弦を引いた形である。
顔は左を向き、上を見る。
胸と腹の筋が、はっきり分かれる。
台座は円く、直径68.6センチある。
台座は緑がかっており、像より明るい。
像の表面は、暗い灰緑である。
筋の谷にあたる部分だけ、色が濃い。
山にあたる部分は、明るく擦れている。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
年の欄には、原型が1880年から81年、鋳造が1891年とある。
つまり十年の隔たりがある。
この十年のあいだ、像は石膏か粘土であった。
そして館に入った年は、鋳造と同じ1891年である。
作られてすぐに、館へ来たことになる。
番号の頭の四桁も、1891である。
つまり鋳造の年と、収蔵の年が同じである。
原型から十年、鋳造から零年。
二つの数字の差が、そのまま記録に残っている。