青銅は、いつ作られたのか——ロダン・セント=ゴーデンズ・ルドンほか九点
型があれば同じ像が何度でも出る。青銅の九点を数えると、五点までは作られた年が一つに決まらず、館の記録は原型の年と鋳造の年を分けて書いていた。中身が詰まっているかどうかで三百年の差が判じられ、陶が青銅の形を借りてもいる。複数あることを引き受けた材料の記録である。

褐色の円板に、横顔が刻まれている
丸い金属の板である。
直径は6センチしかない。
色は赤みの強い褐色である。
表面は艶があり、光を柔らかく返す。
板の中央に、男の横顔が浮き出ている。
顔は右を向く。
髪は後ろで束ねられ、首の後ろに垂れる。
襟は高く、首を包む。
上着の胸元には、細かい線が刻まれる。
顔の輪郭は、地の面から一ミリほど盛り上がる。
低い浮き彫りである。
円板の上の縁に沿って、文字が弧を描く。
下の縁にも、別の文字が並ぶ。
文字のあいだに、小さな星が置かれている。
いちばん外側には、細い輪が一周する。
輪の内側は、わずかに沈む。
地の面には、細かい粒が一面にある。
型の表面を荒らした跡らしい。
粒は細かく、目を近づけないと見えない。
その粒のおかげで、浮き彫りの面が沈んで見える。
磨いた面なら、光が返って形が読みにくくなる。

館の記録では、材料はブロンズの一語である。
館の札には、人の名と「横顔」の二つがある。
ブロンズは、銅と錫の合金である。
銅より硬く、溶けたときによく流れる。
だから細かい型にも入る。
そして冷えると縮むので、型から外しやすい。
色は、錫の割合で変わる。
錫が多ければ白っぽく、少なければ赤みが残る。
このメダルは、赤みの強いほうである。
メダルの両面の使い方については、表と裏で扱った。
青銅は、いつ作られたのか
この一枚を出発点に、青銅にまつわる九点を数えていく。
青銅の作品には、ほかの材料にない問題がある。
型があれば、いくつでも作れることである。
だから、いつ作られたのかが一つに決まらない。
原型を作った年と、鋳た年が離れる。
先に言ってしまうと、九点のうち、館の記録が原型の年と鋳造の年を分けて書いているのは二点である。
一点は、十六世紀の様式で十九世紀に作られたものである。
一点は、古代の像を十九世紀に複製したものである。
一点では、青銅は陶で真似られている。
一点では、青銅は題の中の言葉である。
つまり九点のうち五点で、作られた年が単純ではない。
残る四点も、複数作られた可能性はある。
ただし記録がそれを書いていない。
書かれていないことは、数えられない。
陶が、青銅の形を借りる
二点目は、青銅ではない。

桶の形をした器である。
把手を含めて高さ30.3センチ、口の直径は24.5センチある。
口は広く、下へ向かって細くなる。
胴の上部に、把手が二つ付く。
把手は輪の形で、上へ立つ。
地は黒く、艶がある。
その黒の上に、赤い人物が並ぶ。
中央に、翼のある馬がいる。
馬の背に、若い男が乗る。
男は右手に槍を構える。
その前に、獣がいる。
獣は獅子の体に、山羊の頭を持つ。
尾の先は蛇の頭である。
まわりには、見物する人物が数人立つ。
右のほうに、槍を持つ人物がいる。
左には、小さな人物が二人しゃがむ。
手に石らしいものを持っている。
胴の下のほうには、帯状の文様が回る。
足は円く、外へ広がる。
館の記録では、この桶のような器はシトゥラと呼ばれる。
そして館は、こう付け加えている。
この形は、青銅で作られることのほうが多いという。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの器は、陶で青銅の形を写している。
黒く艶のある地は、磨いた金属の面に似る。
輪の把手も、金属なら細く作れる形である。
陶で同じ細さを出すには、焼くときに割れる危険がある。
それでも、金属の形が選ばれている。
形のほうが、材料より先にあったことになる。
九点のうち、青銅が別の材料で真似られているのは、この一点である。
十六世紀の様式を、十九世紀に鋳る
三点目は、青銅である。

細長い金具である。
全体は8.8×25.2×8.8センチしかない。
上のほうに、葉の束のような形がある。
葉は左右に開き、先が反り返る。
その下に、二つの体がある。
どちらも上半身は人、下半身は獣である。
二人は背中合わせに座る。
手を伸ばし、下にあるものをつかむ。
つかんでいるのは、角である。
いちばん下に、牛の頭がある。
牛の口は開き、舌が出る。
全体の色は、暗い緑がかった灰色である。
角のあたりだけ、明るく光る。
手が触れる場所である。
触れられた部分だけ、表面の被膜が擦れて落ちる。
その下の金属が、明るく出てくる。
どこを持って打ったかが、色で分かる。
館の記録では、この種の空想的な青銅は、十六世紀の終わりごろ北の地方でたいへん好まれた。
彫刻家たちは、奇妙な想像上の生き物をよく作ったという。
そして館は、こう続けている。
しかしこの彫刻は、十六世紀に作られたものではない。
重さと様式から見て、十九世紀に、その様式を真似て作られた可能性が高い。
この彫刻は中身が詰まっている。
十六世紀には、費用を抑え、欠陥の出る危険を減らすために、彫刻は中空に作られた。
しかし十九世紀には、鋳造の技術がよくなり、金属の値段も下がった。
そのため、十六世紀の意匠にもとづく中身の詰まった青銅が作られたという。
館の記録は、そう説明している。
つまり重さが、年代を決めている。
中空か、中身が詰まっているか。
その一点で、三百年の差が分かる。
重さは、持ってみれば分かる。
見た目では分からない。
様式を真似ることはできても、重さは真似られない。
作った側に、軽くする理由がなかったからである。
九点のうち、重さから年代が判断されているのは、この一点である。
古代の像を、十九世紀に複製する
四点目も、複製である。