画家を知る

帖の一葉と、扇の面——陳洪綬

文字が、画面の三分の一

この一葉では、文字が広い面積を占めている。

行数は十行以上ある。

字の大きさは揃い、行の間隔も一定である。

つまり、はじめから文字の場所が計算されている。

絵を右に寄せ、左に文字を置く。

あるいは、その逆にする。

絵と書は、同格の要素として扱われる。

西洋の絵で、これほど文字が入ることは少ない。

題や署名は、隅に小さく入れるのがふつうである。

賛を、誰が書くか

画帖や掛軸の文字は、作者が書くとは限らない。

友人や、後世の所蔵者が書き加えることもある。

字体が絵の署名と違えば、別人の手だと分かる。

つまり、文字の部分にも複数の時期が混じりうる。

絵を描き、しばらくして誰かが賛を書く。

さらに後年、別の人が跋を加える。

こうして、一つの作品が層になっていく。

完成の時点が、一つに定まらない。

これは、西洋の絵とはかなり違う考え方である。

絹と紙の違い

六点のうち、絹に描かれているのはこの一点だけである。

残りは紙である。

絹は、織り目があり、墨が滲みにくい。

そのため、細い線が引きやすい。

色を重ねることもできる。

一方で、高価である。

紙は安く、滲みが生かせる。

墨の濃淡を作るには、紙のほうが向いている。

主題や用途に応じて、支持体が選ばれる。

人物の顔

この一葉の人物の顔を見たい。

目は細く、切れ長である。

眉は薄く、鼻筋が長い。

口は小さく、髭がその周りを囲む。

顔の輪郭は、面長で、顎が細い。

この顔立ちは、陳洪綬の人物画に共通する。

つまり、型である。

誰を描いても、似た顔になる。

肖像ではなく、人物の類型を描いているからである。

器と、食べ物

人物の周りに置かれた品も見ておきたい。

蓋のついた壺、器に盛られた緑のもの。

そして、敷かれた葉。

いずれも、丁寧に描かれている。

人物の衣が単純な線なのに対し、器は細かい。

つまり、描き込みの配分に差がある。

人物は型で、器は観察で描かれている。

そう見ることもできる。

この差が、画面に変化を作っている。

十七センチ四方の画帖

六点目は、最も小さい。

雑画冊
陳洪綬《雑画冊》一葉に1619年の年記。十二図からなる画帖。紙本墨画。各葉の図の寸法は縦17.8センチ、横17.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウェン夫妻の寄贈、2005年。陳洪綬《雑画冊》メトロポリタン美術館蔵

台紙に、正方形の紙が貼られている。

図は、台紙の中央にある。

描かれているのは、鉢に植えられた植物である。

鉢は、口が広く、下がすぼまる。

側面に、細かい網目の文様が刻まれる。

そこから、細い草が何本も伸びる。

葉は、鋭く、上へ跳ねる。

墨だけで描かれ、色はない。

左には、朱の印が一つ。

右下にも、印がある。

何もない場所

この一葉で目を引くのは、余白である。

図は、紙のごく一部を占めるにすぎない。

上下左右に、白い紙が広がる。

これは、失敗ではない。

意図された配置である。

小さな図を、大きな余白の中に置く。

そうすると、図が際立つ。

そして、静けさが生まれる。

余白の量そのものが、表現になっている。

鉢植えを描く

鉢に植えた草を描くのは、文人の絵の主題である。

蘭、竹、菊、梅。

いずれも、徳や気質の象徴とされてきた。

そして、描くのが難しい。

線が単純なので、腕がそのまま出る。

葉の一本を、どの速さで、どの角度で引くか。

その判断だけで、絵の質が決まる。

だから、腕試しの主題として繰り返し描かれた。

雑画という題

この画帖の題は、雑画である。

つまり、主題を定めていない。

十二図それぞれが、別のものを描いている。

草花、器物、人物、山水。

思いつくままに描き、まとめて綴じる。

こうした画帖は、私的な性格が強い。

売るためではなく、手元に置くために作られる。

友人に見せ、賛を書いてもらうこともある。

そういう交わりの中で、画帖は育っていく。

年記が、一葉だけ

五点目と六点目の記録には、共通の書き方がある。

一葉に年記がある、という表記である。

つまり、十二葉のうち一枚だけに年が書かれている。

残りの葉には、年がない。

これは、画帖がまとめて作られたとは限らないことを示す。

何年かにわたって描きため、後で綴じた可能性がある。

あるいは、後世に別の絵が加えられたかもしれない。

館の記録が慎重なのは、そのためである。

一冊の中に、複数の時期が混じりうる。

二つの王朝にまたがる記録

五点目の時代欄には、二つの王朝名が併記されている。

明と清。

つまり、この画帖の内容が、両方の時期にまたがる可能性がある。

作者の没年は一六五二年で、清の初めである。

その前後の作品が、一冊に含まれているのだろう。

美術館は、そこも幅を持たせて記録している。

一枚の絵の年代でも難しいのに、十二葉ならなおさらである。

綴じられた絵の扱い

画帖は、開いて見る。

だから、扱いに注意が要る。

紙は折れ、貼り付けた部分は剥がれる。

長く開いたままにすれば、光で褪せる。

そのため、展示は一葉ずつ、期間を区切って行われる。

数か月ごとに、開く葉を変える。

つまり、一度に全体を見せることはできない。

美術館の展示でも、公開画像でも、この制約は同じである。

作品の形式が、見え方を決めている。

六点の受け入れ年

六点の来歴を並べてみたい。

一九八五年、一九八九年が二点、一九九二年、一九九九年、二〇〇五年。

つまり、いずれも比較的新しい受け入れである。

二十年ほどの間に集まっている。

購入と寄贈が、半々である。

同じ寄贈者の名が、二点に付いている。

米国の館が中国絵画を体系的に集めたのは、二十世紀後半である。

その動きの中で、この六点が入った。

一部しか見えない、ということ

最後に、もう一度書いておきたい。

六点のうち五点は、組の作品である。

公開画像に写っているのは、その一部である。

十二葉のうち一葉、十一葉のうち一葉。

つまり、私たちが見ているのは、全体の十分の一に満たない。

このことは、忘れないでおきたい。

作品を見たとは、簡単には言えない。

見えている一葉から、全体を推し量るしかない。

六点を、順に見る

見方を提案して、終わりたい。

六点を、画面の形で並べてみてほしい。

縦長の一葉、扇形が二つ、掛軸、正方形が二つ。

同じ画家が、四つの形の画面に描いている。

形が変われば、構図の組み立ても変わる。

扇なら左右の密度、掛軸なら上下の配分。

正方形なら、余白の取り方。

形に応じた解き方が、それぞれにある。

まず形を見て、次に余白を見る。

そして最後に、描かれたものを見る。

その順で見ると、この画家の判断がよく分かる。

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