顔が、通貨になるとき——ローマの貨幣とフランクリンの円板
メダルは、流通しない貨幣である
ここから話をメダルに移す。
技術は硬貨と同じである。金属を型で打つか、鋳込むか。
違うのは、額面が無いことだ。
買い物には使えない。だから流通しない。贈られ、飾られ、収集される。
この形式には由来がある。
15世紀のイタリアで、古代の貨幣を手本に肖像メダルが作られはじめた。
支配者や学者の横顔を刻み、贈答や記念に使う。硬貨の形式を、通貨から切り離した発明である。
以後、王侯の即位、建物の落成、戦勝、博覧会。節目のたびにメダルが作られてきた。
大きさも自由になる。額面が無いのだから、手のひらを超えてもよい。
大きくできると、彫りが深くなる。深い彫りは影を作り、顔に立体感が出る。
硬貨は薄く平らでなければならない。財布に入り、積み重なる必要がある。
メダルにその制約は無い。だからメダルの顔は、硬貨の顔より彫刻に近い。
同じ技術でも、用途の違いが造形を分けている。

直径15センチ。手に持つと重い。硬貨の7倍以上の径である。
材質は陶器である。金属ではない。白い胎土に浮彫で横顔が作られている。
禿げ上がった額、肩まで届く髪、毛皮の襟。眼鏡は無い。
顔のまわりにラテン語の銘が回る。「天から雷を、僭主から笏を奪った」と読める。
古代の詩句を模した一文である。短い言葉で、二つの功績を並べている。
雷は避雷針の発明を、笏は独立戦争を指している。
制作は1779年、フランスである。アメリカがまだ戦争中の時期にあたる。
つまりこれは、同盟国の世論に向けた宣伝物でもある。
王のいない国から来た老人の顔を、王国の陶器工房が量産していた。
作者はフランスの陶器工房で働いた版刻師である。
金属ではなく陶器を選んだ理由は、値段だろう。型があれば何枚も抜ける。
現在この一点は、黒と金の額に納められている。
壁に掛ける品として扱われてきたことが分かる。
肖像メダルは、飾られることで働く。抽斗に入れておく物ではない。
飾り方によって、顔の意味は変わる。玄関に掛けるか、書斎に置くかで、示す相手が違う。
誰が顔を発行できるのか
もう一枚、性格の違う例を見たい。

軍服の男性が右を向いている。巻き毛のかつら、肩章、胸の飾り紐。
縁に沿って英語の銘がある。「ワシントン将軍へ」「その記憶に捧ぐ、D・エクルストン、ランカスター、1805年」。
ワシントンは1799年に没している。死後6年目の追悼である。
注意したいのは、発行者の名である。
国でも議会でもない。イギリス・ランカスターの一個人が、私費で作らせている。
型を彫る職人を雇えるなら、誰でも誰かの顔を発行できた。
このメダルには裏面がある。当サイトで公開しているのは表の画像だけである。
一枚の金属に二つの面がある以上、片面だけを見ているという自覚は必要だ。
図像の意味は、しばしば裏面との組み合わせで決まる。
肖像の権威は、素材や技術ではなく、発行者の立場から来る。
そしてこの立場は、しばしば自称である。

こちらは公的なメダルである。
痩せた男性の横顔。額が高く、頬がくぼみ、顎に髭がある。
縁の銘は「アブラハム・リンカーン、アメリカ合衆国大統領」。下に「1862」。
服装を見てほしい。背広ではない。肩から布を掛けた古代風の衣である。
共和政の大統領が、ローマの胸像の形式で表されている。
先に見たローマの金貨と、形の系統が同じである。
権力の新しい形が、古い形の器を借りている。
これは19世紀の造形に広く見られる現象である。
議事堂は神殿の柱を借り、大統領の胸像はローマの元老院議員の姿を借りる。
新しい制度は、権威を示す形をまだ持っていない。だから古い形を持ってくる。
貨幣とメダルは、その借用がいちばん短い言葉で現れる場所である。
直径6センチの円の中に、称号と年号と衣装しか入らない。
だから選ばれた要素が、そのまま主張になる。
顔を配る仕組み
19世紀のアメリカでは、大統領の就任や条約の記念にメダルが作られた。
配る相手は、外国の使節、功労者、そして先住民の指導者たちである。
条約の場でメダルを渡す慣行があり、それは友好の証しでもあり、記録でもあった。
同じ時期、その相手の土地は移住政策の対象になっていた。
記録という言葉が持つ危うさは別のコラムで扱った。
メダルの場合、危うさは「贈る」という形式に宿る。
対等に見える贈与が、実際には力の差の上で行われていた。
もう一つ、メダルの働きを挙げておきたい。序列である。
金、銀、銅と材質を分ければ、同じ図案で等級が作れる。
博覧会の賞牌や軍の記章がこの仕組みを使う。
顔や図案は同じでも、金属の違いが順位を示す。
価値の尺度が図像ではなく素材に移る点で、貨幣とよく似ている。