画家を知る

銀灰色は、どこから来たのか——カミーユ・コローの風景

何が起きたのか

変化の理由を、いくつか並べてみたい。

ひとつは、単純に売れたことである。この銀灰色の風景は、当時のフランスで非常に人気があった。

需要があれば、同じ型を繰り返す。画家も商売である。

ふたつめは、視力や手の変化。七十歳前後の画家に、細部を追う仕事は負担が大きい。

三つめは、方法としての選択。輪郭を消すことで、画面全体が一つの調子にまとまる。

どれか一つではなく、全部が絡んでいると考えたい。

湖畔の木立の下の踊り
《湖畔の木立の下の踊り》1865〜70年ごろ。木立の下で人物が輪になって踊る。同じ型の変奏である。カミーユ・コロー《湖畔の木立の下の踊り》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

同じ構図の変奏が、大量に作られた。

この一枚では、木立の下で人物が輪になって踊っている。

踊る人物は小さく、顔も描かれていない。楽しげな場面のはずだが、画面は静かである。

音が聞こえてこない絵だ。動きも、ほとんど止まっている。

「思い出」という題名が示すとおり、これは出来事の記録ではなく、気分の絵だからだろう。

同じ構図の変奏が、大量に作られた。

木立を左右どちらかに寄せ、水面を置き、小さな人物を数人配する。この型で何百枚も描いている。

ここが、後世の厄介の種になる。

その前に、なぜ定型化したのかを補っておきたい。

型を作ると、制作は速くなる。構図を考える時間が要らないからだ。

そして買い手にとっても、型があるほうが選びやすい。「コローらしい絵」が欲しい人は、コローらしい絵を買う。

作り手と買い手の両方に都合がよい。だから型は強化される。

これは版画の世界で「売れる意匠は形を変えて何度も出す」という話と、構造としては同じである。

世界一、贋作の多い画家

コローの晩年の作品は、模倣しやすい。

輪郭が無く、細部が無く、構図が定型化している。技術のある贋作者なら、それらしいものを作れてしまう。

しかも本人が大量に描いているので、未知の作品が出てきても不思議に思われない。

さらにコローは人が良く、弟子や困窮した画家の絵に自分の署名を入れてやったという話まで伝わっている。

その結果、「コローは三千点描いたが、そのうち一万点がアメリカで売られた」という警句が生まれた。誰が最初に言ったかは定かでないが、事情をよく表している。

作者欄が動く話は、フェルメールのコラムでも扱っている。あちらは真作が減っていく話だった。コローの場合は、増えすぎた偽物を減らす作業になる。

隠されていた人物画

もうひとつ、生前ほとんど公開されなかった仕事がある。人物画である。

アゴスティーナ
《アゴスティーナ》1866年。縦132.4センチ。イタリアの民族衣装をまとった女性が、灰色の空を背に立つ。カミーユ・コロー《アゴスティーナ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

風景で知られた画家が、こういう絵も描いていた。

青い袖、赤い縁取りの胴着、花を刺繍した前掛け。首には真珠と珊瑚の飾り。

背景は灰色の空と、左奥のイタリアの町。ただし、この背景は写生ではないだろう。人物と光の当たり方が合っていない。

顔の描き方に注目したい。目のまわりに影が置かれ、視線はこちらを外している。

穏やかだが、愛想は無い。よそ行きの表情ではない。

アトリエで本を読む女
《アトリエで本を読む女》1868年ごろ。厚紙に油彩。画架の脇に坐り、本を開いている。カミーユ・コロー《アトリエで本を読む女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

アトリエの中を描いた小品もある。

女性が椅子に坐り、本を開く。傍らに画架が立ち、そこには風景画が掛かっている。

絵の中に絵がある構図だ。この画家の生活が、そのまま画面になっている。

これらの人物画は、生前ほとんど展示されなかった。死後、遺作として世に出て、二十世紀に入ってから高く評価されるようになる。

見立て——変わったのは、絵の目的だった

ここからは書き手の見方である。

若いころの明晰さと晩年の曖昧さを、「衰え」と読むこともできる。逆に「到達」と読むこともできる。

私はどちらも取らない。目的が変わったと読みたい。

イタリアの習作が果たしていたのは、記録の役割である。いま、ここで、光がどう見えているか。

晩年の作品が果たしているのは、別の役割だ。見る人を、どこでもない場所へ連れていく。

前者には正確さが要る。後者には要らない。

同じ画家が、五十年かけて別の仕事に移った。技術の変化というより、注文の変化である。

そして、その注文を出したのは市場だった。買い手が求めたのは、記録ではなく気分のほうだったのだろう。

これを堕落と呼ぶのは簡単だが、私はためらう。晩年の銀灰色にも、確かな判断がある。

たとえば、あの赤い帽子。全体を抑えて一点だけ強くする、という決定は、若いころの明晰な習作と同じ種類の判断である。

方法は変わっても、判断の質は落ちていない。そう見ておきたい。

もうひとつ、擁護しすぎないための留保も置いておく。

晩年の定型的な風景の中には、明らかに手を抜いたものも混じっている。同じ構図を何百枚も作れば、当然そうなる。

すべてを「到達」として読むのは公平でない。良い一枚と、量産の一枚がある。

見分ける手がかりは、やはり色の配置だと思う。抑えた画面に置かれた一点が効いているかどうか。

効いていない一枚は、ただ灰色なだけである。

暮らしへ——一点だけ、強い色を置く

最後に、部屋づくりに応用できる話をひとつ。

コローの晩年の画面は、九割が抑えた灰と緑で、残りの一割に小さな赤が置かれている。

この比率は、そのまま部屋に使える。

壁も家具も布も抑えた色で揃え、一点だけ強い色を置く。花でも、クッションでも、本の背でもよい。

置く場所は、部屋の中心から少し外す。真ん中に置くと、目が止まって動かなくなる。

コローの赤い帽子も、画面の中心にはない。やや右下である。

抑えた背景と、外した一点。それだけで、部屋は締まる。

絵を飾るときも同じだ。周囲が静かなほど、絵の色は効く。飾る場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。

そしてコローの風景は、実は明るい部屋に向く。銀灰色は、光が足りないとただの灰色に沈んでしまうからである。

逆に、若いころのイタリアの習作は、光の強い場所でも負けない。明暗の差が大きいからだ。

同じ画家の絵でも、置くべき場所が違う。

飾る前に、その絵がどれくらいの光を必要とするかを考える。手間のかかる話だが、効果は大きい。

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