画家を知る

ドガはなぜ、踊っていない踊り子ばかり描いたのか——動きを描く方法

「踊り子の画家」という呼び名について

彼を踊り子の画家と呼ぶのは、たぶん半分しか当たっていない。

主題の一覧を作ってみると、競馬場、洗濯女、アイロンをかける女、帽子屋、浴女、劇場の客席と続く。踊り子はそのひとつである。

共通しているのは、人が体を使っている場面だということだ。踊る、乗る、洗う、伸ばす、覗く。

彼が追いかけていたのは、たぶん動きそのものだった。踊り子は、その研究にもっとも都合のよい対象だったにすぎない。

なにしろ同じ動作を何度も繰り返してくれる。しかも決まった姿勢の型がある。観察の対象として、これほど便利な相手はいない。

馬という、もう一つの主題

若い頃から繰り返し描いた主題が、もうひとつある。馬である。

牧場の馬
《牧場の馬》1871年。競走の場面ではなく、草地に立つ馬。輪郭は素早く取られ、脚の位置が丁寧に確かめられている。エドガー・ドガ《牧場の馬》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

競馬は当時のパリで流行の娯楽だった。彼はしばしば競馬場へ通い、馬と騎手を観察している。

騎手
《騎手》1866年から68年ごろ。鉛筆による習作。同じ姿勢を紙の上で何度も確かめている。エドガー・ドガ《騎手》シカゴ美術館蔵

素描を見ると、彼の仕事の性格がよく分かる。輪郭を一本で決めず、何度も引き直している。

正しい線を探しているというより、動きの範囲を測っているように見える。ここからここまでのあいだに、脚は動く。

彼は写生をそのまま作品にする画家ではなかった。素描を溜め、アトリエでそれを組み合わせて画面を作る。

その意味では、前に扱ったクロード・ロランの手順に近い。現場で採取し、室内で構成する。

落ちた騎手と、描き直しの跡

その馬の主題で、変わった一枚がある。

障害競走の場面:落馬した騎手
《障害競走の場面:落馬した騎手》。草の上に騎手が仰向けに倒れ、その上を馬が跳び越えていく。桃色の空、緑の草地。エドガー・ドガ《障害競走の場面:落馬した騎手》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

制作年の記録が面白い。1866年に描かれ、1880年から81年に手を入れられ、1897年ごろにもう一度描き直されている。

三十年をかけて、一枚の絵に戻り続けたことになる。

画面をよく見ると、輪郭が二重、三重に見える箇所がある。馬の脚や胴の周囲に、消しきれなかった前の線が残っている。

描き直しの跡である。修正した部分の絵具が薄くなり、下の層が透けてきたためだろう。

そして騎手は、目を閉じて倒れている。落馬というのは、当時の競馬でしばしば死につながる事故だった。

激しい出来事のはずなのに、画面は静かである。馬は跳び、人は横たわり、空は桃色に霞んでいる。

音が消えているような画面だ。動きの絶頂と、完全な静止が、同じ画面に置かれている。

パステルという選択

技法の話も入れておきたい。年齢が上がるにつれ、彼の主な道具は油彩からパステルへ移っていく。

パステルは顔料を棒に固めたもので、紙に直接こすりつけて描く。乾く時間が要らず、その場で色を重ねられる。

線と色を同時に扱えるのも利点である。素描から入った画家には、性に合う材料だっただろう。

彼はさらに、定着液を吹きつけては上から重ねる、という手順を繰り返した。層が積み上がり、深い色になる。

もうひとつ熱中したのが、モノタイプという版画である。金属板にインクで直接描き、紙に刷る。同じ絵は基本的に一枚しか取れない。

薄く刷り上がった二枚目の上に、パステルで描き加えることもあった。版画と絵の中間のような作り方である。

これらの技法に共通するのは、速さと、やり直しのしやすさである。動きを扱う画家にとって、決定的な条件だったと考えたい。

目が悪くなっていく

もうひとつ、彼の仕事に影響した事情がある。視力である。

三十代の後半には、すでに目の不調を訴えていたと伝えられる。以後、生涯にわたって悪化していった。

晩年には、細かいものが見えにくくなっていたらしい。手紙にも、その苦痛を訴える記述が残っている。

彼の画面が、時代とともに大きく、粗く、色の強いものになっていくのは、この事情と無関係ではないだろう。

最晩年には彫刻に多くの時間を割いた。蝋や粘土で作る小さな像である。目より手で確かめられる仕事へ移っていったことになる。

もっとも、これを単純な因果で語るのは危うい。見えにくくなったから粗くなった、と決めつけると、選択としての側面が消えてしまう。

見えにくさが方向を後押しした、くらいに読んでおきたい。