ドガはなぜ、踊っていない踊り子ばかり描いたのか——動きを描く方法
「踊り子の画家」という呼び名について
彼を踊り子の画家と呼ぶのは、たぶん半分しか当たっていない。
主題の一覧を作ってみると、競馬場、洗濯女、アイロンをかける女、帽子屋、浴女、劇場の客席と続く。踊り子はそのひとつである。
共通しているのは、人が体を使っている場面だということだ。踊る、乗る、洗う、伸ばす、覗く。
彼が追いかけていたのは、たぶん動きそのものだった。踊り子は、その研究にもっとも都合のよい対象だったにすぎない。
なにしろ同じ動作を何度も繰り返してくれる。しかも決まった姿勢の型がある。観察の対象として、これほど便利な相手はいない。
馬という、もう一つの主題
若い頃から繰り返し描いた主題が、もうひとつある。馬である。

競馬は当時のパリで流行の娯楽だった。彼はしばしば競馬場へ通い、馬と騎手を観察している。

素描を見ると、彼の仕事の性格がよく分かる。輪郭を一本で決めず、何度も引き直している。
正しい線を探しているというより、動きの範囲を測っているように見える。ここからここまでのあいだに、脚は動く。
彼は写生をそのまま作品にする画家ではなかった。素描を溜め、アトリエでそれを組み合わせて画面を作る。
その意味では、前に扱ったクロード・ロランの手順に近い。現場で採取し、室内で構成する。
落ちた騎手と、描き直しの跡
その馬の主題で、変わった一枚がある。

制作年の記録が面白い。1866年に描かれ、1880年から81年に手を入れられ、1897年ごろにもう一度描き直されている。
三十年をかけて、一枚の絵に戻り続けたことになる。
画面をよく見ると、輪郭が二重、三重に見える箇所がある。馬の脚や胴の周囲に、消しきれなかった前の線が残っている。
描き直しの跡である。修正した部分の絵具が薄くなり、下の層が透けてきたためだろう。
そして騎手は、目を閉じて倒れている。落馬というのは、当時の競馬でしばしば死につながる事故だった。
激しい出来事のはずなのに、画面は静かである。馬は跳び、人は横たわり、空は桃色に霞んでいる。
音が消えているような画面だ。動きの絶頂と、完全な静止が、同じ画面に置かれている。
パステルという選択
技法の話も入れておきたい。年齢が上がるにつれ、彼の主な道具は油彩からパステルへ移っていく。
パステルは顔料を棒に固めたもので、紙に直接こすりつけて描く。乾く時間が要らず、その場で色を重ねられる。
線と色を同時に扱えるのも利点である。素描から入った画家には、性に合う材料だっただろう。
彼はさらに、定着液を吹きつけては上から重ねる、という手順を繰り返した。層が積み上がり、深い色になる。
もうひとつ熱中したのが、モノタイプという版画である。金属板にインクで直接描き、紙に刷る。同じ絵は基本的に一枚しか取れない。
薄く刷り上がった二枚目の上に、パステルで描き加えることもあった。版画と絵の中間のような作り方である。
これらの技法に共通するのは、速さと、やり直しのしやすさである。動きを扱う画家にとって、決定的な条件だったと考えたい。
目が悪くなっていく
もうひとつ、彼の仕事に影響した事情がある。視力である。
三十代の後半には、すでに目の不調を訴えていたと伝えられる。以後、生涯にわたって悪化していった。
晩年には、細かいものが見えにくくなっていたらしい。手紙にも、その苦痛を訴える記述が残っている。
彼の画面が、時代とともに大きく、粗く、色の強いものになっていくのは、この事情と無関係ではないだろう。
最晩年には彫刻に多くの時間を割いた。蝋や粘土で作る小さな像である。目より手で確かめられる仕事へ移っていったことになる。
もっとも、これを単純な因果で語るのは危うい。見えにくくなったから粗くなった、と決めつけると、選択としての側面が消えてしまう。
見えにくさが方向を後押しした、くらいに読んでおきたい。