画家を知る

ドガはなぜ、踊っていない踊り子ばかり描いたのか——動きを描く方法

1878年、写真が動きを止めた

ドガがこの絵に戻り続けたあいだに、動きをめぐる状況が大きく変わっている。

1878年6月、カリフォルニアでイギリス出身の写真家エドワード・マイブリッジが実験を行った。

競走馬が走る路の脇に二十四台のカメラを並べ、糸で順に切って撮影する。連続した一瞬が、二十四枚の写真として残った。

この実験で、長く議論されてきた問題に答えが出た。疾走する馬は、四本の脚が同時に地を離れる瞬間がある。

ただし、その姿勢は画家たちが描いてきた形ではなかった。

それまでの絵では、馬は前脚を前へ、後脚を後ろへ伸ばして飛ぶように描かれていた。フライング・ギャロップと呼ばれる型である。

実際には逆で、四肢が体の下に集まったときに地面から離れる。伸びきったときには、必ずどこかの脚が接地している。

写真が公表されると、この型は急速に絵から消えた。競馬雑誌の挿絵からも姿を消したと言われる。

四百年ぶん積み上げてきた表現が、一度の実験で否定されたことになる。

見えないものを、見たと言えるか

この事件は、絵画にとってかなり重い意味を持っていた。

それまで、動きの描き方は「見た印象」に基づいていた。速すぎて見えないものを、見えたように描く約束事があった。

写真は、その約束を無効にした。実際にはこうだ、と示してしまったからである。

とはいえ、話はそこで終わらない。写真の一瞬は、人の目に見えるものではない。

四肢が体の下に集まった瞬間の馬を、そのまま絵に描いても、走っているようには見えない。むしろ、しゃがんでいるように見える。

正しい姿勢が、正しい印象を作るとは限らない。ここに、この時代の画家たちが直面した難問がある。

ドガは、マイブリッジの写真集が出たあと、それを踏まえた馬の模型をいくつも作っている。正しい姿勢を、立体で確かめようとした。

一方で、絵のほうは写真の複写にはならなかった。彼が選んだのは、動作の途中の、まだ形になりきらない姿勢である。

先ほどの落馬の絵にも、それが出ている。跳ぶ馬の脚は、写真の証明どおりでもなく、古い型どおりでもない。

三十年かけて描き直された画面には、この難問と付き合い続けた跡が残っている、と読みたくなる。

動きは、労働の形をしている

もう一枚、踊り子でも馬でもない絵を見ておきたい。

アイロンをかける女
《アイロンをかける女》。1876年ごろに始められ、1887年ごろに完成したと記録されている。両手で体重をかけ、顔は伏せられている。エドガー・ドガ《アイロンをかける女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

洗濯屋の仕事場である。彼はこの主題も繰り返し描いた。

注目したいのは、姿勢の描き方だ。腕はまっすぐ伸び、肩が上がり、上体が前に倒れている。

これは美しい姿勢ではない。力を入れるための姿勢である。

踊り子の絵と並べると、両者が同じ関心でつながっていることが分かる。体が仕事をしているときの形。

十九世紀の絵画は、労働をしばしば主題にした。ただ、多くは英雄的に描くか、悲惨さを訴えるかのどちらかである。

ドガの場合、そのどちらでもない。ただ、そういう姿勢をしている、という事実だけが置かれる。

冷たいと言えば冷たい。しかし、余計な意味づけをしないぶん、動作そのものが前に出る。

見ている人も、描かれている

最後にもう一枚。劇場の桟敷を描いた小さな板絵である。

桟敷席
《桟敷席》1883年ごろ。板に油彩。人物は正面ではなく、こちらに背を向ける角度で置かれている。エドガー・ドガ《桟敷席》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

舞台を見る人の絵である。舞台そのものは描かれていない。

彼にはこの手の絵がいくつもある。オペラ座の観客、美術館で絵を見る女性、店で帽子を試す客。

見る人を見る、という構えである。動きの研究という点では、これも同じ系列に入る。首をひねる、身を乗り出す、覗き込む。

そして、この構えは私たち自身にも向く。画面の前でこの絵を見ている姿勢も、彼なら描く対象にしただろう。