画家を知る

版画で名を成した人の、板絵——アルブレヒト・デューラー

牛を、鉛筆でなく

三点目は、絵具ではない。

若い雄牛
アルブレヒト・デューラー《若い雄牛》1496年ごろ。ペン・黒インク、象牙色の漉き紙。縦17.5センチ、横14センチ。シカゴ美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《若い雄牛》シカゴ美術館蔵

小さな紙である。縦17.5センチ、横14センチ。

一頭の牛が、横を向いて立っている。

首を下げ、口が地面に近い。草を食もうとしているように見える。

体はほとんど線だけで描かれている。

背中から腰、腰から後肢へ、輪郭が一本で通る。

胴の陰影は、細い線を並べて作られている。

線の間隔が狭いところが暗く、広いところが明るい。

つまり、銅版画とまったく同じ方法である。

紙の上でも、彼は線で明暗を作っている。

そして画面の上部に、数字らしき書き込みがある。

記録が注意していること

この書き込みについて、所蔵館の記録は注意を促している。

記録によれば、この作の制作は1496年ごろとされる。

一方、紙に書かれた年記は1508年と読める。

そして、その年記は別人の手によるものだと記録されている。

つまり、あとから誰かが年を書き入れた。

しかも、その年は正しくないと考えられている。

こういうことは、素描にはしばしば起きる。

所有者が整理のために書き込む。あるいは、価値を高めるために署名を足す。

デューラーの作は、生前から人気があった。

模倣も贋作も多かったと伝えられる。

だから、紙の上の文字がそのまま信用できるとは限らない。

素描という位置づけ

素描は、長いあいだ絵の準備物と見なされてきた。

完成作のための下ごしらえ、という位置づけである。

しかしデューラーの素描は、単独で鑑賞される作が多い。

動物、植物、手、風景。

対象をただ観察して描いた紙が、たくさん残っている。

この《若い雄牛》も、何かの下絵とは限らない。

一頭の牛をよく見て、線に置き換える。

その作業自体が目的だった可能性がある。

観察と記録を積み重ねる姿勢は、当サイトでも
スケッチブックの中で扱った。

デューラーはその早い時期の実践者だと言える。

牛という主題

もう一つ、主題そのものについて考えたい。

なぜ牛なのか。

宗教画にも肖像にもならない、ただの家畜である。

十五世紀末のヨーロッパで、これを単独で描く例は多くない。

絵は物語か人物を描くもの、という前提が強かった。

その前提の外に出て、目の前の動物を描く。

この態度は、のちの博物画や動物画につながっていく。

動物を主題として正面から扱う流れは、のちに大きく育っていく。

もっとも、デューラーの牛は写生の記録以上のものにも見える。

首を下げた姿勢は、絵として整えられている。

紙の中央に収まり、余白の取り方も落ち着いている。

観察と構成が、同時に行われている。

未完に見える一枚

四点目は、板絵に戻る。

サルヴァトール・ムンディ
アルブレヒト・デューラー《サルヴァトール・ムンディ》1505年ごろ。油彩・菩提樹板。縦58.1センチ、横47センチ。メトロポリタン美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《サルヴァトール・ムンディ》メトロポリタン美術館蔵

正面を向いた人物の胸像である。

長い髪が両肩に垂れ、あごに髭がある。

右手を上げ、指を二本立てている。祝福の仕草である。

左手には、球体を持っている。

衣は青と赤で、襞が深く彫り込まれている。

背景は暗い緑で、平らに塗られている。

さて、この絵は仕上がり方が均一でない。

衣の描写は、きわめて緻密である。

一方、顔は衣ほどには詰められていないように見える。

そのため、途中で止まった絵として説明されることが多い。

途中で止まった絵の価値

未完の絵は、完成作とは違う情報を持っている。

どこから描き始めたか。どの順で仕上げたか。

この一枚を見ると、衣が先に完成に近づいていることが分かる。

顔を最後に回す描き方だった、と推し量ることもできる。

ただし、途中で止まった理由は分からない。

注文が流れたのか、旅に出たのか、別の仕事が入ったのか。

記録が残っていない以上、断定はできない。

当方としては、仕上がりの差が観察できる、という事実だけを書いておきたい。

球体という小道具

《サルヴァトール・ムンディ》の左手が持つ球体にも触れておきたい。

この球は、世界を表す道具立てとして古くから使われてきた。

世界を手に載せる姿は、支配や救済の図像として理解される。

球の表面には、しばしば十字や大陸の線が描かれる。

この一点では、球の表面は簡素で、赤みを帯びた色で塗られている。

指がその上に置かれ、球の丸みに沿って曲がっている。

指と球の接するところに、わずかな影が入っている。

この影の置き方が、球を球らしく見せている。

小さな一手だが、こういう箇所に技量が出る。

版画では、球体の丸みは線の湾曲で表す。

絵具では、光の当たり方で表す。

同じ形を、二つの方法で作れる画家だったということになる。

青と赤の衣

衣の色の組み合わせにも、決まりがある。

青と赤を組み合わせる配色は、聖なる人物にしばしば用いられた。

この絵でも、内側に青、外側に赤が置かれている。

二色は補色ではないが、明度と彩度の差が大きい。

そのため、襞の形がはっきり読める。

もし同系色を重ねれば、襞は溶けて見えにくくなる。

デューラーは、形が見えることを優先している。

これも、版画で線を明確にする習慣と通じるところがある。

読み取れることが、まず大事にされている。