版画で名を成した人の、板絵——アルブレヒト・デューラー
小さな板の聖母子
五点目は、寸法が小さい。

縦27.9センチ、横18.7センチ。手のひらより少し大きい程度である。
聖母が幼子を膝に抱えている。
赤い衣を着て、頭に白い布をかぶっている。
うつむいた顔が、幼子のほうを向いている。
幼子は裸で、体をよじり、母の胸に手を当てている。
背景は暗く、上部にわずかな明るみがある。
この小ささで、顔の造作がきちんと描き分けられている。
母のまぶた、鼻の稜線、唇の合わせ目。
幼子の丸い頬と、指の関節。
拡大して見ると、筆の細さに驚く。
小さい絵は、誰のものか
小さな板絵は、個人の持ち物であることが多い。
教会の壁ではなく、家の部屋や旅先に置かれる。
祈りのための道具として、手元に持つ。
当サイトでも
机の上の小さな美術で似た話を書いた。
大きさは、用途と結びついている。
この一枚も、公開の場ではなく私的な場のための絵だろう。
そう考えると、細かさの理由も分かる。
近くで長く見られる絵だからである。
羊皮紙に描かれた顔
六点目は、支持体が変わっている。

板でも画布でもなく、羊皮紙に描かれている。
のちに布に貼り付けられ、いまの形になった。
黒い帽子をかぶった男性が、斜めを向いている。
顔はこちらを向き、目がまっすぐ見返してくる。
髪は赤みがかった茶色で、耳の下で切りそろえられている。
黒い上着の襟が、首元で立っている。
背景は緑がかった色で、上部が明るく、下部が暗い。
頬の血色、目尻の皺、唇の乾いた感じ。
生々しい顔である。先ほどの聖母子とは、まったく調子が違う。
誰を描いたのか
題に括弧つきで人名が入っている。
所蔵館の記録では、ヨハン・ドルシュという聖職者ではないかとされる。
括弧と疑問符が付いているのは、確定していないからである。
肖像画の同定は、しばしばこういう状態になる。
家系の記録、着衣の特徴、伝来の経緯。
そういう間接的な材料から推定する。
決め手がなければ、疑問符が残る。
当サイトの記事でも、こうした留保はそのまま書くことにしている。
分かっていることと、推定されていることを混ぜないためである。
母と、祖母
最後の一点も見ておきたい。

三人が描かれている。
手前下に、眠る幼子がいる。目を閉じ、口が半開きである。
その上に若い女性がいる。手を合わせ、目を伏せている。
さらに後ろに、年配の女性が立つ。
白い布を頭から巻き、若い女性の肩に手を置いている。
そして、その顔もまた目を伏せている。
三人とも、こちらを見ていない。
音のない絵である。
三世代が、静かに一つの画面に収まっている。
顔を、近くで見る
この絵の見どころは、年配の女性の顔だと思う。
目の下の皺、口元のたるみ、まぶたの重さ。
肌の質感が、若い女性とはっきり描き分けられている。
同じ画面に、二つの年齢が並んでいる。
これは、観察の成果である。
版画で線を刻む修練と、こういう観察は地続きだろう。
対象をよく見て、要素に分け、順に置いていく。
技法が変わっても、その手続きは変わらない。
支持体が違うということ
七点の支持体の違いにも、少し立ち入っておきたい。
板絵に使われた菩提樹と唐檜は、性質が違う木である。
菩提樹はやわらかく、目が細かい。彫刻にも多く使われた。
唐檜は軽く、板として薄く取れる。
どちらを選ぶかで、絵の重さも扱いも変わる。
小さな《聖母子》に唐檜が使われているのは、軽さのためかもしれない。
持ち歩く絵なら、軽いほうが都合がよい。
一方、羊皮紙は動物の皮を加工した材料である。
紙より丈夫で、表面がなめらかである。
板より軽く、丸めて運ぶこともできる。
肖像に羊皮紙が使われたのは、そういう事情があったのかもしれない。
ただし、いずれも当方の推測にとどまる。
材料の選択理由を記した記録は、確認できていない。
確かなのは、彼が一種類の材料に固執しなかったということである。
七点を通して
七点を並べて、分かることを書いておく。
制作年は、1496年ごろから1519年ごろまで。
二十年以上の幅がある。
支持体は、板が四点、羊皮紙が一点、紙が一点。
板の樹種も、菩提樹と唐檜で違う。
つまり、材料は仕事ごとに選ばれている。
寸法も、縦27.9センチから縦60センチまでと幅がある。
主題は宗教画が中心で、肖像が一点、動物の素描が一点。
そして全点に共通するのが、線の細かさである。
絵具で描いていても、線で形を決める癖が残っている。
版画家の目
最後に、最初の問いに戻りたい。
版画で名を成した人が絵具を持つと、どうなるか。
七点を見るかぎり、答えははっきりしている。
線を捨てない。
面をぼかして形を作るのではなく、線で区切ってから塗る。
同じ時期のイタリアでは、輪郭を溶かす方法が広まっていた。
デューラーはイタリアを訪れているが、その方法には乗らなかった。
線で世界を捉える習慣を、最後まで手放していない。
彫った線と、描いた線。
素材は違っても、同じ手が動いている。
板の上の襞の一本一本に、その手つきが残っている。
版画のほうも、いつか
最後に一つ、断っておきたいことがある。
当サイトが公開できるのは、権利の確認が済んだ画像だけである。
デューラーの版画は世界中の館に大量にあるが、
当サイトの取り込み対象にはまだ入っていない。
だから今回は、板絵と素描だけで組み立てた。
版画の話は、いずれ扱えるようになったら改めて書きたい。
とはいえ、板絵だけを七点並べても、この人の性質はよく出ている。
線で形を決め、細部を省かず、材料を選び分ける。
版画を見なくても、版画家の手つきは分かる。
それが今回いちばん確かめられたことだった。






