版画で名を成した人の、板絵——アルブレヒト・デューラー
デューラーの名は、たいてい版画とともに語られる。では、線を刻む人が絵具を持つとどうなるか。両面に絵のある板、牛の素描、途中で止まった一枚。七点の板絵と紙から、版画家の手つきを読み取る。絵具で描いていても、線で形を決める癖は消えていない。

版画家として知られている人の、絵
アルブレヒト・デューラーの名は、たいてい版画とともに語られる。
銅版画の《メレンコリアⅠ》や《騎士と死と悪魔》。木版画の連作。
線を刻んで摺る仕事で、彼はヨーロッパ中に名を知られた。
けれども彼は、板に絵具で描く画家でもあった。
当サイトが扱えるデューラーは、その板絵と素描のほうである。
版画で名を成した人が、絵具を持つとどうなるか。
そこから見ていきたい。

聖母が膝をつき、幼子を抱えている。
青い外衣が、頭から肩を包み、床まで落ちている。
その下に緑の衣が見え、裾が広がっている。
幼子は裸で、母の顔に手を伸ばしている。
背景の左には石の柱があり、その向こうに風景が抜ける。
青い山と、白い建物が小さく見える。
右には赤いカーテンが垂れている。
床は石畳で、目地の線が奥へ向かって縮んでいく。
線が、絵具の下にある
この絵で最初に気づくのは、線の細かさである。
聖母の衣の襞を見てほしい。
一本ずつの折り目が、鋭い線で区切られている。
布が硬い紙のように、角ばって折れている。
これは、版画の線の感覚に近い。
銅版画では、線を刻んで陰影を作る。
線の密度で暗さを、線の向きで面の傾きを表す。
その習慣が、絵具の仕事にも出ている。
もう一つ、細部の量も版画的である。
石畳の目地、柱の割れ、遠景の建物の窓。
どれも省略されていない。
離れて見えないところまで、線で埋められている。
床の目地が語ること
石畳の目地の線には、もう一つの役割がある。
奥へ向かって、線の間隔がだんだん詰まっていく。
これは遠近法の規則にしたがった描き方である。
十五世紀のイタリアで整理された方法が、ドイツにも届いていた。
デューラーは生涯に二度、イタリアへ渡ったと記録されている。
現地で新しい絵の作り方に触れたと考えられている。
彼はのちに、遠近法や人体の比例について著述も残した。
規則を使うだけでなく、規則を書き記す側に回っている。
その姿勢は、この床の目地にも表れている。
適当に線を引いたのではなく、消失点を決めて引いている。
版画と、絵具の違い
ここで、版画と板絵の違いを整理しておきたい。
版画は、同じ絵を何十枚も摺れる。
だから広く売れ、名前が遠くまで届く。
デューラーの名がヨーロッパ各地に知られたのは、この性質による。
一方、板絵は一点しかない。
売れる相手は一人で、値段は高くなる。
同じ画家が、二つのまったく違う商売を並行させていたことになる。
量で稼ぐ仕事と、一点で稼ぐ仕事。
その両方を回していた人の絵として、これらを見ると面白い。
裏を返すと
この板には、裏にも絵がある。

こちらは風景の中の物語である。
画面の左から中央にかけて、緑の草地が広がる。
その上を、四人の人物が歩いている。
先頭の男は、大きな青い袋を頭に載せている。
杖を持ち、後ろを気にしている。
その後ろに、赤い衣の女と、青い衣の女が続く。
さらに右に、鎧をつけた人物が背を向けて立つ。
そして画面の右奥、遠景で町が燃えている。
黒い煙が高く上がり、炎が赤く見える。
旧約聖書の一場面である。
滅ぼされる町から逃れる家族が描かれている。
表と裏の関係
表が聖母子、裏が旧約の物語。
この組み合わせには、意味があると説明されることが多い。
滅びと救い、旧い契約と新しい契約。
そういう対比として読む解釈である。
ただし、この板がもともとどう使われたかは分かっていない。
祭壇画の一部だった可能性も指摘される。
扉として使われたなら、開くと表、閉じると裏が見える。
その場合、両面に絵があるのは当然である。
当方としては、確定した用途を述べられる材料を持たない。
なお、両面に絵のある支持体は、時代を越えて存在する。
当サイトでは
キルヒナーの両面でも同じ現象を扱った。
理由はまったく違うが、結果として似た物ができている。
遠景の町が燃えている
《ロトとその娘たち》の細部を、もう少し見ておきたい。
画面の右奥では、二つの町が炎に包まれている。
黒い煙が縦に立ち上がり、空の色を変えている。
その煙の柱は、画面の高さの半分近くを占めている。
手前の草地の明るさと、奥の暗さの差が大きい。
逃げる家族は、その境目を歩いていることになる。
先頭の男が振り返るような姿勢なのも、それと関係があるだろう。
物語では、振り返ってはいけないと戒められる場面である。
とはいえ、この絵の男は完全に振り返ってはいない。
顔をわずかに傾け、視線だけを後ろへ送っている。
その中途半端さが、かえって緊張を生んでいる。
なお、赤い衣の女と青い衣の女の描き分けも丁寧である。
裾のひるがえり方が違い、歩幅も違う。
小さな人物であっても、動きが一人ずつ与えられている。
風景を描く目
この裏面は、風景画としても興味深い。
奥へ向かって、草地、岩山、湖、遠い山と重なっていく。
手前は緑が濃く、遠くへ行くほど青くかすむ。
空気による色の変化を、はっきり意識した描き方である。
十五世紀末のドイツで、この扱いは早いほうだと言える。
デューラーは旅の途中で水彩の風景を多く描いたと伝えられる。
土地の形や城の姿を、その場で紙に写した。
その蓄積が、こうした背景に生きている可能性は高い。
もっとも、この裏面の風景が特定の場所を写したという根拠はない。
物語のための舞台として組み立てられた風景だろう。