作品を知る

デューラー《メレンコリアI》の解説——翼の人物は何に行き詰まっているのか

デューラー《メレンコリアI》を解説する。翼のある人物はコンパスを握ったまま動かない。多面体、魔方陣、砂時計、眠る犬。画面に何が置かれ、題に添えられた数が何を指すのかを、クリーヴランド美術館の刷りで確かめる。

メレンコリアⅠ
アルブレヒト・デューラー《メレンコリアⅠ》クリーヴランド美術館蔵

《メレンコリアI》はどこで見られるか

アルブレヒト・デューラーの《メレンコリアI》は、クリーヴランド美術館にある。

館の記録では、エングレーヴィング。制作は1514年とされる。

版の跡は縦23.8センチ、横18.9センチ。手のひらより一回り大きいだけの紙である。

メレンコリアⅠ
アルブレヒト・デューラー《メレンコリアI》1514年。館の記録では、エングレーヴィング。版の跡は23.8×18.9センチ。番号は1926.211。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《メレンコリアⅠ》クリーヴランド美術館蔵

エングレーヴィングは、銅の板を刃で直接彫る技法である。

彫った溝にインクを詰め、拭き取ってから紙へ刷る。線の太さは、刃を入れた深さで決まる。

版画なので、同じ図柄の刷りが各地の館に分かれて残っている。当サイトが公開しているのは、クリーヴランドの一枚である。

「本物が一枚だけある」という種類の作品ではない。手元の画面で見ているのも、館に残る一枚の複製である。

画面には何が置かれているか

翼のある人物が、画面の右寄りに座っている。

右手で頬杖をつき、左手にコンパスを握る。膝の上には本があり、閉じたままになっている。

頭には葉を編んだ冠がのる。腰の帯からは、鍵の束と口を絞った袋が下がる。

足元から手前にかけて、道具が散らばっている。

鉋、鋸、釘、金槌、やっとこ。いずれも木や金物を加工するための道具である。

左手前には球がひとつ転がる。その奥で、痩せた犬が体を丸めて眠っている。

犬の向こうには大きな石の塊が立つ。上の面は三角形、こちらを向いた面は五角形に見える。

背後の壁には、砂時計と鐘と天秤が掛かる。壁の高いところには、数を並べた板がはめ込まれている。

立てかけられた梯子は、画面の上の縁を越えて先が見えない。どこまで続くのかは描かれていない。

人物の左では、翼のある幼児が円盤に腰かけ、手元に何かを書きつけている。

奥は海である。水平線の上に虹が架かり、その左で光を放つ星が尾を引く。

光の手前を、コウモリに似た生き物が横切る。広げた帯に、この作品の題が彫り込まれている。

翼の人物は何に行き詰まっているのか

道具はすべて手の届くところにあるのに、ひとつも使われていない。

コンパスは開いたまま下を向き、本は閉じられている。視線は画面の外の一点へ流れる。

つまりこれは、仕事が止まった瞬間を描いた画面だと読める。

砂時計の砂は落ち続け、犬は眠り、幼児だけが手を動かしている。

動いているものと止まっているものが、一枚の中に同居する。

人物の顔は濃い影に沈む。目だけが白く残り、こちらを見てはいない。

彫りの線は、顔のまわりでいちばん密になる。線の密度がそのまま暗さになる技法である。

この暗さが何を指すのかは、いまも定まっていない。当サイトは特定の読みを正しいものとして示さない。

画面から確かめられるのは、時間だけが進み、人の手が止まっているという事実である。

姿勢にも同じことが出ている。頬杖は休息の形だが、背は丸まり、肩には力が残る。

膝の本を開けば続きがあり、コンパスを起こせば線が引ける。それが起きないまま描かれている。

壁の数表は何を示すか

壁の板には、四かける四の枡に数が彫られている。

実物を拡大して数えると、縦の列も横の行も、足すと34になる。斜めの並びも同じ34になる。

いちばん下の段の真ん中には、15と14が並ぶ。制作の年にあたる数である。

数の並べ方そのものが、画面の中に持ち込まれている。

デューラーは後年、測定と人体の比について自分で書物を出した人でもある。

道具と数への関心は、この版画だけの思いつきではない。

ネメシス
アルブレヒト・デューラー《ネメシス》1501年ごろ。館の記録では、エングレーヴィング。紙は33.3×23センチ。番号は1943.178。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《ネメシス》クリーヴランド美術館蔵

十年以上前の《ネメシス》では、翼のある人物が球の上に立っている。

体は各部の比を決めて組み立てられ、足の下の球は不安定な足場として描かれる。

眼下には谷と村が細かく彫り込まれる。屋根の一枚ずつまで線が入っている。

《メレンコリアI》では、同じ球が地面に転がったままになっている。乗る者はいない。

題の末尾の「1」は何か

帯に彫られた題の末尾には、1にあたる文字が添えられている。

これが何を指すのかは決着していない。続き番号とも、段階の第一とも読まれてきた。

当サイトは、どれかを正解として示さない。確かなのは、作者が題に数を添えたという事実である。

この一枚は、前後の年に作られた二点と並べて語られることが多い。

騎士と死と悪魔
アルブレヒト・デューラー《騎士と死と悪魔》1513年。館の記録では、エングレーヴィング。紙は24.4×19センチ。番号は1965.231。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《騎士と死と悪魔》クリーヴランド美術館蔵

《騎士と死と悪魔》では、甲冑の騎士が馬を進める。

左からは蛇を巻きつけた頭が砂時計を差し出し、右からは角のある者が付いてくる。

騎士は前を向いたままである。足元には犬が走り、道の端に頭蓋骨が転がる。

書斎の聖ヒエロニムス
アルブレヒト・デューラー《書斎の聖ヒエロニムス》1514年。館の記録では、エングレーヴィング。番号は1972.29。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・デューラー《書斎の聖ヒエロニムス》クリーヴランド美術館蔵

《書斎の聖ヒエロニムス》では、窓からの光が机と床に格子の影を落とす。

奥の人物は書き物に沈み、手前では獅子と犬が眠っている。壁には砂時計が掛かる。

三点を並べると、同じ道具が別の役で置かれているのが分かる。

砂時計は騎士の前に差し出され、書斎では壁で静かに落ち、《メレンコリアI》では止まった手の背後にある。

版画は一枚の版から何度でも刷れる。だから同じ図柄を、離れた土地の人が同じ形で見られた。

日本の浮世絵も、版木から紙へ移す点では同じ仕組みである。摺りごとの違いは《神奈川沖浪裏》の解説で扱った。

ほぼ同じ時代の絵については、《ジネヴラ・デ・ベンチ》の解説も置いている。

銅版を彫る仕事をもう一人の画家から見たい場合は、レンブラントの代表作と特徴を読んでほしい。

ARTISTS関連する画家

RELATEDあわせて読みたい

作品を知るの記事一覧