画家を知る

写しは、創造である——永樂保全

中国の古器を研究し、京都の土と釉薬で再現する。茶の湯の世界では、その「写し」こそが正統の創造だった。交趾の黄、金襴手の赤と金、琳派風の月と秋草。千家十職の家に生まれた永樂保全の九点で、写しという思想の中身を読む。

交趾様式の煎茶壺——鳳凰と牡丹
永樂保全《交趾様式の煎茶壺——鳳凰と牡丹》メトロポリタン美術館蔵

黄色い壺から、始めたい

一つの壺から始めたい。

交趾様式の煎茶壺——鳳凰と牡丹
永樂保全《交趾様式の煎茶壺——鳳凰と牡丹》19世紀前半。炻器、浮彫に色釉。高さ14.6センチ、径10.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。永樂保全《交趾様式の煎茶壺——鳳凰と牡丹》メトロポリタン美術館蔵

高さ14.6センチ、径10.2センチ。片手に載る大きさである。

形はひょうたん形。上の膨らみが小さく、下の膨らみが大きい。

地の色は黄である。それも、くすみのない、明るい黄。

釉薬の黄が、器の面いっぱいに掛かっている。

その黄の地に、文様が浮き上がる。浮彫である。

大きく羽を広げた鳳凰。その周りに、牡丹の花と葉。

鳳凰は、めでたい時に現れると伝えられる想像上の鳥である。

牡丹は、富貴の象徴とされる花である。吉祥の取り合わせといえる。

浮彫の文様には、緑や紫、青の釉が差されている。

黄の地に、緑と紫と青。色釉どうしの境が、彫りの線でくっきり区切られている。

色ガラスを嵌めた窓のような、澄んだ配色である。

これは煎茶の道具である。葉茶を納めておく壺と考えられる。

口は小さくすぼまる。記録によれば、口の径は3.2センチである。

葉茶の香りを閉じ込めるための作りだろう。

煎茶は、急須で淹れる茶である。抹茶の茶の湯とは別の、もう一つの喫茶の文化である。

江戸後期には、文人たちの間で煎茶が流行したと伝えられる。

小さくても、席の真ん中に置かれる道具である。だから、これだけ手が込んでいる。

作者は永樂保全(えいらく・ほぜん)。江戸時代後期、京都の陶工である。

一七九五年に生まれ、一八五四年に没した。

没年は、黒船来航の翌年に当たる。幕末の入り口まで生きた人である。

その手になる九点を、当サイトで見ることができる。

交趾——海を渡った色

この壺の様式は「交趾(こうち)」と呼ばれる。

交趾とは、もとは中国の南方、今のベトナム北部あたりを指す古い地名である。

黄や緑、紫の鮮やかな色釉を掛けたやきものが、南方の海を渡って日本に届いた。

茶人たちはこれを「交趾焼」と呼び、珍重したと伝えられる。

小さな香合などの交趾の器は、茶席で殊に重んじられた。

遠い港から、限られた数しか届かない。その希少さも、価値のうちだった。

保全の壺は、その交趾の色を、京都の窯で再現したものである。

海を渡ってきたはずの色が、京都の土の上に載っている。

つまり、これは「写し」である。

永樂家——炉を作る家から

永樂家は、京都で代々続くやきものの家である。

もとは「土風炉師(どぶろし)」と呼ばれた。土風炉とは、茶の湯で釜を掛ける土製の炉である。

炭火を受け止める、縁の下の道具である。派手さはないが、茶席に欠かせない。

千家に道具を納める十の職家、いわゆる「千家十職」の一つに数えられる。

釜を打つ家、漆を塗る家、指物を組む家。十の家が、それぞれの持ち場を担う。

永樂家の持ち場は、火のそばの土の道具だった。

代々の当主は「善五郎」を名乗る。保全は、その十一代に当たる。

保全は養子として家に入り、当主の座を継いだと伝えられる。

保全の代に、仕事は大きく広がった。炉だけでなく、茶陶の全般を手がけるようになった。

「永樂」という家名も、保全の代に始まると伝えられる。

紀州徳川家に招かれて焼物を指導し、「永樂」の金印を拝領した。

家名は、この金印に由来すると伝えられる。

各地の大名家の窯、いわゆる御庭焼の指導にも招かれた。近江の湖南焼などが知られる。

大名が自分の領内に窯を築き、好みの器を焼かせる。そんな時代だった。

招かれる陶工には、どんな様式も再現できる腕が求められた。

問い——写しは、模倣ではないのか

ここで問いを立てたい。

保全の仕事の中心は「写し」だった。古い名品の様式を、今の手で再現する仕事である。

写しは、模倣ではないのか。独創の反対ではないのか。

結論を先に言えば、違う。

茶の湯の世界では、写しは正統な創造とされてきた。

原本は、唐物と呼ばれる中国渡来の品や、古い和物の名品である。

名の通った道具は、大名家や豪商の蔵に納まっている。

数が限られ、誰もが手にできるものではない。

それでも茶席は毎日開かれ、道具は求められ続ける。

その隔たりを埋めるのが、写しだった。

名品の様式を研究し、土と釉薬を工夫して、今の茶席に供給する。

それが、写しという仕事である。

似た考え方は、他の芸道にもある。

書には、手本を一字ずつ写す臨書がある。和歌には、古歌を踏まえて詠む本歌取りがある。

中国の絵画には、古人の様式に倣う「倣」の伝統がある。

これは明の書画と「倣」の回で見た。

型を受け継ぐことと、新しく作ること。二つは対立しない。

写しは、その思想のやきもの版である。

写しは、原本の名をそのまま看板にする。定窯の写し、交趾の写し。

名乗ること自体が、原本への敬意の表明だった。

断り——白黒の写真について

先に、一つ断っておきたい。

当サイトの保全の作品は九点。すべてメトロポリタン美術館の所蔵である。

所蔵館の記録によれば、うち四点は一八九三年の寄贈である。

保全の没後、四十年足らずで海を渡っていたことになる。

明治の頃、日本の工芸は海外の収集家に熱心に集められた。

保全の器も、その流れの中で太平洋を越えたと考えられる。

九点のうち六点の公開画像は、白黒の記録写真である。

古い時代に撮影された資料写真が、そのまま公開されているためと考えられる。

色は、見えない。しかし所蔵館の記録には、釉薬と材質の記述が残っている。

黄と褐色の釉。色釉と透明釉。赤と金。

短い言葉だが、器の色を思い描くには十分な手がかりである。

本コラムでは、その言葉を頼りに色を補いながら読んでいく。

不便な条件に見えるかもしれない。だが、後で述べる通り、これは悪いことばかりではない。

まずは、カラーで見られるもう一点から始めよう。