足は、地面との接点である——ドガ・歌麿・ムリーリョほか九点

館の説明は、描かれた人物を書いている。
四世紀から五世紀の詩人である。
政治の乱れた時代に、官職への道を断った。
故郷の屋敷へ戻り、詩を作り、庭と酒を楽しんだ。
そして、こう書かれている。
足を病んでいたので、籠で運ばれるか、杖で歩いた。
菊を育てたので、その花と結びつけられる。
館は、描いた側の事情にも触れる。
この画家は、王朝の交替期の混乱を生きた。
千年前の、似た時代の詩人を描いた。
だから、わざと古風な様式を選んでいる。
ここで足は、動けないことの理由である。
画面では、履物の先しか見えない。
しかし記録は、その足が悪かったと書く。
見えない部分の状態が、生き方を決めている。
この画帖は、友人のために作られた。
二十図の二冊組だという。
一図ごとに、古人が一人ずつ描かれる。
背景を描かないのは、その様式のためである。
人物だけを、絹の地の上に置く。
杖については、杖は、地面に触れるで扱った。
月を、足の下に置く
大きな油彩である。
額を外すと220.5×127.5センチ。
人の背丈を超える。
縦に長い。
画面の中央に、女が立つ。
白い衣と、青い外套を着る。
両手は、胸の前で合わされる。
顔は、やや上を向く。
髪は、肩に落ちる。
足元に、細い弧がある。
三日月である。
月は、下向きに反る。
その上に、素足が載る。
足の指が見える。
まわりに、子どもの姿が多くいる。
翼がある。
雲が、下半分を埋める。
上は、明るい金色である。

館の説明は、この主題の難しさを書く。
聖母が罪なく宿ったという教えである。
一六〇〇年代の西班牙で、篤く信じられた。
ただし、正式な教義になったのは一八五四年である。
抽象的な主題なので、画家は図像を作らなければならなかった。
たとえば、この三日月である。
新約聖書の、ある幻の記述から来ている。
太陽を着た女が、月を足の下にしている、という一節である。
つまり、この足は教義を示す装置である。
足が月の上にあるかどうかで、主題が決まる。
前の四点では、足は体の一部だった。
ここでは、足は位置を示す記号である。
何の上に載っているかだけが、問われている。
だから、この足は裸足でなければならない。
履物があれば、月に触れていないことになる。
触れていることが、教義の証になる。
大きな画面で、足はごく小さい。
小さいが、そこだけは省けない。
木の根元に、座る
小さな銅版画である。
紙は12×8.5センチ。
縦長である。
画面の中央に、太い木がある。
幹は、画面の上へ抜ける。
根が、地面に張り出す。
その根の上に、女が座る。
衣は、幾重にも重なる。
膝の上に、幼子がいる。
幼子は、上を向く。
女の顔は、下を向く。
背景に、建物が見える。
塔と、屋根が並ぶ。
その手前に、水がある。
遠くに、丘が連なる。
画面の下に、小さな板が描かれる。
そこに、年と文字が入る。
線は、細かく、密である。
濃淡は、線の間隔で作られる。

館の説明は、この一枚の位置を書いている。
作者は、南の低地の宮廷画家である。
早くから、ある独逸の画家の版画を知っていた。
その図柄を、自分の絵に使ったこともある。
しかし自分では、長く版を作らなかった。
その画家が一五二〇年から翌年に低地を旅したあと、作りはじめた。
会ったかどうかは、はっきりしない。
ただ、その画家はこの町を訪れ、版画を交換や贈答に持ってきた。
この一枚が、作者の最初の銅版である。
聖母子の版画を参照しているが、どれの写しでもない。
年と署名を入れた小さな板も、その画家から取っている。
刷りの出来にむらがあるのは、最初の試みだからだという。
題にある根元は、英語では足という語である。
木の足、つまり根のあたりを指す。
木には足がない。
しかし、立っているものには足があることになる。
根は、地面に入る部分である。
入る手前のところを、足と呼ぶ。
この版画では、その根の上に人が座っている。
木の足の上に、人の体が載っている。
崖の下に、立つ
錦絵である。
32.7×14.6センチ。
縦長である。
画面の右上から、黒い塊が下りる。
崖である。
その面に、白い筋が入る。
雪である。
画面の左に、男が一人立つ。
役者の姿である。
顔は、やや上を向く。
眉が太く、口は開く。
髷は小さい。
衣は、黒地に大きな文様。
肩が、四角く張る。
裾は、風になびく。
足元は、雪に埋もれる。
下駄の歯が、わずかに見える。
空から、白い点が降る。
吹雪である。

館の札は「男性たち」と「役者」の二つである。
足の札はない。
しかし英語の題には、崖の足という語が入る。
崖の下を、そう言う。
前の一点の、木の根元と同じ言い方である。
立っているものの、いちばん下が足である。
木にも、崖にも、山にも使う。
日本語では、それぞれ別の語になる。
根元、崖下、山裾。
英語は、すべてを足で言う。
だから機械で足を探すと、風景が大量に出てくる。
人の足を探しているのに、崖が返ってくる。
前の回の水指と、同じ仕組みである。
ただし今回は、比喩の筋道がはっきりしている。
地面に接する部分を、足と呼ぶ。
接していれば、材質は問わない。
石でも、木でも、土でもよい。
人の足と違うのは、動かないことである。
動かないものの足は、支えるだけである。