暮らしと名画

足は、地面との接点である——ドガ・歌麿・ムリーリョほか九点

陶淵明像(古人に倣う画より)
陳洪綬《陶淵明像(古人に倣う画より)》1598年から1652年のあいだ。館の記録では、画帖の一葉・絹本着色。全体で30.2×26.7センチ。番号は1979.27.1.5。クリーヴランド美術館蔵。陳洪綬《陶淵明像(古人に倣う画より)》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、描かれた人物を書いている。

四世紀から五世紀の詩人である。

政治の乱れた時代に、官職への道を断った。

故郷の屋敷へ戻り、詩を作り、庭と酒を楽しんだ。

そして、こう書かれている。

足を病んでいたので、籠で運ばれるか、杖で歩いた。

菊を育てたので、その花と結びつけられる。

館は、描いた側の事情にも触れる。

この画家は、王朝の交替期の混乱を生きた。

千年前の、似た時代の詩人を描いた。

だから、わざと古風な様式を選んでいる。

ここで足は、動けないことの理由である。

画面では、履物の先しか見えない。

しかし記録は、その足が悪かったと書く。

見えない部分の状態が、生き方を決めている。

この画帖は、友人のために作られた。

二十図の二冊組だという。

一図ごとに、古人が一人ずつ描かれる。

背景を描かないのは、その様式のためである。

人物だけを、絹の地の上に置く。

杖については、杖は、地面に触れるで扱った。

月を、足の下に置く

大きな油彩である。

額を外すと220.5×127.5センチ。

人の背丈を超える。

縦に長い。

画面の中央に、女が立つ。

白い衣と、青い外套を着る。

両手は、胸の前で合わされる。

顔は、やや上を向く。

髪は、肩に落ちる。

足元に、細い弧がある。

三日月である。

月は、下向きに反る。

その上に、素足が載る。

足の指が見える。

まわりに、子どもの姿が多くいる。

翼がある。

雲が、下半分を埋める。

上は、明るい金色である。

無原罪の御宿り
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》1680年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。額を外して220.5×127.5センチ。番号は1959.189。クリーヴランド美術館蔵。バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《無原罪の御宿り》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この主題の難しさを書く。

聖母が罪なく宿ったという教えである。

一六〇〇年代の西班牙で、篤く信じられた。

ただし、正式な教義になったのは一八五四年である。

抽象的な主題なので、画家は図像を作らなければならなかった。

たとえば、この三日月である。

新約聖書の、ある幻の記述から来ている。

太陽を着た女が、月を足の下にしている、という一節である。

つまり、この足は教義を示す装置である。

足が月の上にあるかどうかで、主題が決まる。

前の四点では、足は体の一部だった。

ここでは、足は位置を示す記号である。

何の上に載っているかだけが、問われている。

だから、この足は裸足でなければならない。

履物があれば、月に触れていないことになる。

触れていることが、教義の証になる。

大きな画面で、足はごく小さい。

小さいが、そこだけは省けない。

木の根元に、座る

小さな銅版画である。

紙は12×8.5センチ。

縦長である。

画面の中央に、太い木がある。

幹は、画面の上へ抜ける。

根が、地面に張り出す。

その根の上に、女が座る。

衣は、幾重にも重なる。

膝の上に、幼子がいる。

幼子は、上を向く。

女の顔は、下を向く。

背景に、建物が見える。

塔と、屋根が並ぶ。

その手前に、水がある。

遠くに、丘が連なる。

画面の下に、小さな板が描かれる。

そこに、年と文字が入る。

線は、細かく、密である。

濃淡は、線の間隔で作られる。

木の根元に座る聖母
ヤン・ホッサールト《木の根元に座る聖母》1522年。館の記録では、銅版。紙の寸法は12×8.5センチ。番号は1953.138。クリーヴランド美術館蔵。ヤン・ホッサールト《木の根元に座る聖母》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この一枚の位置を書いている。

作者は、南の低地の宮廷画家である。

早くから、ある独逸の画家の版画を知っていた。

その図柄を、自分の絵に使ったこともある。

しかし自分では、長く版を作らなかった。

その画家が一五二〇年から翌年に低地を旅したあと、作りはじめた。

会ったかどうかは、はっきりしない。

ただ、その画家はこの町を訪れ、版画を交換や贈答に持ってきた。

この一枚が、作者の最初の銅版である。

聖母子の版画を参照しているが、どれの写しでもない。

年と署名を入れた小さな板も、その画家から取っている。

刷りの出来にむらがあるのは、最初の試みだからだという。

題にある根元は、英語では足という語である。

木の足、つまり根のあたりを指す。

木には足がない。

しかし、立っているものには足があることになる。

根は、地面に入る部分である。

入る手前のところを、足と呼ぶ。

この版画では、その根の上に人が座っている。

木の足の上に、人の体が載っている。

崖の下に、立つ

錦絵である。

32.7×14.6センチ。

縦長である。

画面の右上から、黒い塊が下りる。

崖である。

その面に、白い筋が入る。

雪である。

画面の左に、男が一人立つ。

役者の姿である。

顔は、やや上を向く。

眉が太く、口は開く。

髷は小さい。

衣は、黒地に大きな文様。

肩が、四角く張る。

裾は、風になびく。

足元は、雪に埋もれる。

下駄の歯が、わずかに見える。

空から、白い点が降る。

吹雪である。

吹雪の崖下に立つ侠客に扮する役者
勝川春英《吹雪の崖下に立つ侠客に扮する役者》1793年ごろ。館の記録では、木版・墨と色・紙。32.7×14.6センチ。番号はJP915。メトロポリタン美術館蔵。勝川春英《吹雪の崖下に立つ侠客に扮する役者》メトロポリタン美術館蔵

館の札は「男性たち」と「役者」の二つである。

足の札はない。

しかし英語の題には、崖の足という語が入る。

崖の下を、そう言う。

前の一点の、木の根元と同じ言い方である。

立っているものの、いちばん下が足である。

木にも、崖にも、山にも使う。

日本語では、それぞれ別の語になる。

根元、崖下、山裾。

英語は、すべてを足で言う。

だから機械で足を探すと、風景が大量に出てくる。

人の足を探しているのに、崖が返ってくる。

前の回の水指と、同じ仕組みである。

ただし今回は、比喩の筋道がはっきりしている。

地面に接する部分を、足と呼ぶ。

接していれば、材質は問わない。

石でも、木でも、土でもよい。

人の足と違うのは、動かないことである。

動かないものの足は、支えるだけである。