美術史・技法

戦いの絵に、戦いはない——豊信・デューラー・ホンデクーテルほか九点

ジャン=バティスト・クレベール将軍(「ピラミッドの戦い」のための習作)
アントワーヌ=ジャン・グロ《ジャン=バティスト・クレベール将軍(「ピラミッドの戦い」のための習作)》1835年ごろ。館の記録では、油彩・麻布。額なしで352.1×97.8センチ。番号は1972.17.1。クリーヴランド美術館蔵。アントワーヌ=ジャン・グロ《ジャン=バティスト・クレベール将軍(「ピラミッドの戦い」のための習作)》クリーヴランド美術館蔵

きわめて縦長の画面である。

額なしで352.1×97.8センチある。

高さは、幅の三倍以上ある。

三メートル半の高さがある。

背景は、暗い褐色である。

岩か、煙のような塊がある。

画面の上のほうに、人がいる。

人は馬に乗る。

馬は褐色で、首だけが見える。

乗る人は、暗い外套を着る。

頭には、帽子がある。

顔は横向きである。

輪郭は、粗い筆で示される。

下半分は、ほとんど塗られていない。

地の色が、そのまま残る。

戦っている姿ではない。

一人が、立っているだけである。

館の記録では、これは大きな絵のための習作である。

その絵は、ある戦いを描いたものだった。

後に、政府が両端に描き足すよう求めたという。

この将軍は、もとの絵に入っていなかった。

館は、そう説明している。

つまり、後から加えるための人物である。

館の記録は、経緯も書いている。

もとの絵は、ある戦いの大画面だった。

一度は倉に入れられたという。

後に、歴史の館へ移すことになった。

そのとき、両端を広げるよう求められた。

中心の人物の重みを下げるためかもしれない、と館は書く。

この将軍は、その追加で加わった。

細長い形は、そのためである。

端に付け足す絵だから、幅が要らない。

高さだけが、もとの絵に合わせられている。

三メートル半という寸法が、その名残である。

下半分が塗られていないのも、習作だからだろう。

メダルの裏に、船が並ぶ

五点目は、ブロンズのメダルである。

オリヴァー・ハザード・ペリー代将とエリー湖の戦いの記念メダル
モーリッツ・フュルスト《オリヴァー・ハザード・ペリー代将とエリー湖の戦いの記念メダル》1813年。館の記録では、ブロンズ。径は6.4センチ。番号は1916.1868。クリーヴランド美術館蔵。モーリッツ・フュルスト《オリヴァー・ハザード・ペリー代将とエリー湖の戦いの記念メダル》クリーヴランド美術館蔵

小さな円盤である。

径は6.4センチしかない。

手のひらに載る。

金属は、褐色に光る。

表には、人の横顔がある。

顔は右を向く。

髪は短く、渦を巻く。

襟は高く、詰まっている。

顔の周りに、文字が並ぶ。

文字は、縁に沿って回る。

裏には、別の図がある。

水の上に、船が並ぶ。

帆柱が、いくつも立つ。

船は小さく、線で示される。

煙らしいものもある。

その下にも、文字がある。

館の記録では、これは連作の一枚である。

ある戦争での勝利を記念する二十七枚の組だという。

議会の決議で作られた。

指揮官には金、士官には銀が贈られた。

この一枚は、後から作られた銅の版である。

館は、そう説明している。

金属の違いが、そのまま順位になる。

金が指揮官、銀が士官、銅が後の複製である。

同じ図柄が、三つの階級で作られた。

館にあるのは、いちばん下の材である。

それでも、彫りは変わらない。

顔の線も、船の形も同じである。

違うのは、色と重さだけである。

メダルは、手に持って見る品である。

径6.4センチなら、掌に収まる。

表と裏を、順に返して見る。

人の顔と、戦いの場面が、そこで組になる。

もう一枚のメダルに、将軍の顔がある

六点目も、メダルである。

サラトガのゲイツ将軍記念メダル
ニコラ・マリー・ガトー《サラトガのゲイツ将軍記念メダル》1777年。館の記録では、ブロンズ。径は5.6センチ。番号は83.2.412。メトロポリタン美術館蔵。ニコラ・マリー・ガトー《サラトガのゲイツ将軍記念メダル》メトロポリタン美術館蔵

円盤である。

径は5.6センチある。

先の一枚より、少し小さい。

金属は、赤みを帯びた褐色である。

面には、横顔がある。

顔は左を向く。

髪は、後ろで束ねられる。

耳の上に、巻いた形がある。

当時の髪型である。

首には、布が巻かれる。

上着の襟は、細かく彫られる。

肩には、飾りがある。

顔の輪郭は、深く彫られる。

そのため、影が濃く出る。

縁に沿って、文字が回る。

文字は大きく、間隔が広い。

下のほうにも、短い文字列がある。

館の記録には、それ以上の説明がない。

分かるのは、寸法と材料と年である。

この面には、戦いの場面がない。

あるのは、一人の顔だけである。

戦いの名は、題の中にある。

縁の文字にも、名が含まれる。

館の記録は、その文言を控えていない。

読めるのは、大きな二語ほどである。

メダルという形は、記録のための形である。

人の顔を残し、名を刻み、年を添える。

戦いの場面は、なくてもよい。

先の一枚には、裏に船があった。

この一枚では、そこまで確かめられない。

館の画像は、片面だけである。

裏に何があるかは、分からない。

分からないことは、書かないでおく。

記念碑の周りに、人が集まる

七点目は、油彩である。

レキシントンの戦いの記念碑
アメリカ、十九世紀の作者不詳《レキシントンの戦いの記念碑》1853年かそれ以降。館の記録では、油彩・カンヴァス。全体は70.4×78.1センチ。番号は1953.5.88。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《レキシントンの戦いの記念碑》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長に近い画面である。

全体は70.4×78.1センチある。

空は明るい青緑である。

雲は、桃色を帯びる。

画面の中央に、二本の木がある。

木は大きく、丸い塊になる。

葉は濃い緑である。

その間に、白い柱が立つ。

柱は細く、高い。

上は、四角く尖る。

これが記念碑である。

周りに、鉄の柵がある。

奥に、白い家が並ぶ。

窓は規則正しい。

手前は、緑の芝である。

芝は、明るい黄緑である。

低い白い柵が、横に走る。

人が、数人いる。

女は、長い服を着る。

黒い服の人もいる。

右のほうに、馬に乗る人がいる。

馬は白く、人は赤い上着である。

戦っている人は、一人もいない。

館の記録に、作者の名はない。

アメリカの十九世紀、とだけ記される。

描き方は、素朴である。

木の葉は、同じ形の塊で埋められる。

家の壁は、平らな白である。

影は、ほとんど描かれない。

遠近も、厳密ではない。

奥の家と手前の人が、同じ大きさに近い。

それでも、場所は分かる。

碑と、柵と、家並みが揃っている。

記念碑の絵とは、場所の絵である。

戦いから、七十年以上が経っている。

草は生え、家が建ち、人が散歩している。

描かれているのは、その後の日常である。