作品を知る

ガラスは、透けないことが多い——タルボット・ボスハールト・ボスほか九点

ガラスの花瓶を、銅板に描く

五点目では、支持体が金属になる。

ガラスの花瓶の花束
アンブロジウス・ボスハールト《ガラスの花瓶の花束》1621年。館の記録では、油彩・銅板。全体は31.6×21.6センチ。番号は1996.35.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アンブロジウス・ボスハールト《ガラスの花瓶の花束》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦長の小さな画面である。

全体は31.6×21.6センチしかない。

背景は暗い褐色である。

中央に、花束がある。

花は上へ広がり、左右へも伸びる。

赤と白の縞のある花が、いちばん上にある。

その下に、黄色い花が並ぶ。

白い薔薇が、中央にある。

桃色の薔薇が、その左にある。

小さな青い花が、あいだを埋める。

花瓶は、下三分の一にある。

胴は丸く、褐色に見える。

首は細く、上が広がる。

面には、光が細く走る。

台は石で、水平である。

台の上に、花が二輪落ちている。

その脇に、小さな虫がいる。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

材料は、銅板に油彩である。

つまり画面は金属で、描かれているのはガラスである。

透明なものを、透けない板の上に描いている。

ガラスに見えるのは、光の線と、向こう側が透ける部分である。

台の縁が、花瓶を通してわずかに見える。

そして花瓶の下半分は、暗く沈む。

上半分だけが明るい。

光が斜め上から来ていることが分かる。

銅板は目が細かく、細部が描きやすい。

この大きさで花弁を一枚ずつ描くには、その細かさが要る。

ガラスの杯が、菓子と並ぶ

六点目でも、ガラスは描かれる。

菓子のある静物
フアン・ファン・デル・アメン・イ・レオン《菓子のある静物》1622年。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで58×97センチ。番号は1980.6。クリーヴランド美術館蔵。フアン・ファン・デル・アメン・イ・レオン《菓子のある静物》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面である。

額なしで58×97センチある。

背景は暗い灰色である。

手前に、石の台がある。

台の上に、物が並ぶ。

左に、木の箱がある。

箱には、四角い菓子が載る。

その手前に、木の実が散る。

中央に、暗い色の瓶が立つ。

瓶は口が細く、胴が丸い。

黒に近いが、光の当たる縁だけ明るい。

その右に、脚付きの杯がある。

杯は透明で、縁が細い。

脚には、渦を巻いた飾りが付く。

杯の中は空である。

右には、平たい台が二段ある。

台の上に、丸い菓子が積まれる。

菓子は褐色で、表面がざらつく。

数は数十個ある。

下の段のほうが、多く積まれている。

館の記録では、この構成は簡素な石の棚の上に置かれている。

木の箱、暗いガラスの瓶、胡桃、そして凝ったガラスの杯、いくつかの菓子がある。

その菓子は、松の実と蜂蜜と扁桃と榛の実を混ぜたものである。

そして館は、こう書いている。

この絵は、実際の食事や間食を写したものではないかもしれない。

作者はむしろ、形と質感と色の対比と調和を試している。

館の記録は、そう説明している。

つまり二つのガラスが、対比のために置かれている。

暗くて透けない瓶と、透明で細い杯である。

同じ材料が、正反対の見え方をする。

静物の見方については、二人の学者の静物で扱った。

暗い瓶は、輪郭が背景と溶ける。

透明な杯は、輪郭が背景から浮く。

描き方も、当然変わる。

九点のうち、二種類のガラスが並ぶのは、この一点である。

三角のガラスが、線で描かれる

七点目では、ガラスは版画の線になる。

放蕩の暮らし(放蕩息子より)
アブラハム・ボス《放蕩の暮らし》1635年。館の記録では、エッチング。版の跡は26×32.5センチ。番号は1929.560.2。クリーヴランド美術館蔵。アブラハム・ボス《放蕩の暮らし(放蕩息子より)》クリーヴランド美術館蔵

横長の版画である。

版の跡は26×32.5センチある。

線はすべて細く、灰色である。

画面は、広い部屋の中である。

奥に、柱と窓が並ぶ。

窓の外には、看板が下がる。

手前の左に、卓がある。

卓には、白い布が掛かる。

その上に、皿と杯がある。

卓を囲んで、人が座る。

中央の男は、帽子をかぶる。

その左右に、女が二人いる。

一人は男の肩に手を掛ける。

もう一人は、手を伸ばす。

右の女は、杯を持ち上げる。

杯は、上が広く下が細い。

三角の形をしている。

画面の下には、文字の欄が三つある。

欄は縦に区切られ、行が詰まっている。

物語の一場面を説明する文らしい。

床には、小さな犬がいる。

犬は右下におり、体が小さい。

人物のほうを見上げている。

館の記録では、この主題は聖書の話にもとづく。

息子が財産を使い果たし、のちに許される話である。

画家たちは、しばしばその途中の場面だけを描いた。

この版画は、その場所を千六百年代の裕福な家のように描いている。

三人の女と一人の男と一人の子どもが、息子の気をそらして財布を盗む。

そして館は、こう書いている。

一人の女は、三角形のガラスの杯を持っている。

それは、この話における酒の役割を示しているという。

館の記録は、そう説明している。

つまりガラスは、細い線だけで示されている。

輪郭の線が、向こうの布と重なる。

重なって見えることが、透明であるしるしになる。

色は使えない。

黒い線と、紙の白しかない。

それでもガラスに見える。

線を途切れさせず、向こうの形を通すからである。

ガラスという語が、鏡を指す

八点目では、ガラスは鏡である。