作品を知る

ガラスは、透けないことが多い——タルボット・ボスハールト・ボスほか九点

化粧鏡
ジョージ・エイ・シャスティ商会《化粧鏡》1881年から82年。館の記録では、繻子木、パープルハート材、螺鈿、真鍮、鏡ガラス。59.1×40×26.7センチ。番号は2009.226.2。メトロポリタン美術館蔵。ジョージ・エイ・シャスティ商会《化粧鏡》メトロポリタン美術館蔵

卓の上に置く鏡である。

59.1×40×26.7センチある。

中央に、縦長の鏡がある。

鏡の面は、灰色がかっている。

鏡を囲む枠は、明るい黄褐色の木である。

枠の上部には、彫りの帯がある。

彫りは細かく、渦と葉が続く。

そこに、白く光る小片が嵌まる。

貝である。

枠の左右に、細い柱が立つ。

柱の頂きには、暗い色の玉が載る。

柱と枠は、金具でつながる。

金具は真鍮で、黄色い。

金具には、小さな飾りの彫りがある。

左右で同じ形をしている。

その金具を軸に、鏡が傾く。

脚は三本で、外へ反る。

脚の先は細く、床に接する。

三本のうち二本が、手前へ開く。

倒れにくい形である。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

材料は五つで、最後が鏡ガラスである。

もとの題にある語は、ガラスを意味する語である。

しかし指しているのは、鏡である。

つまり材料の名が、道具の名になっている。

鏡と顔の関係については、鏡と顔で扱った。

九点のうち、ガラスが道具の名なのは、この一点である。

枠も脚も彫りも、ガラスではない。

ガラスは、中央の一枚だけである。

しかし、その一枚がなければ道具にならない。

手に持つ鏡も、ガラスと呼ばれる

最後の一点も、鏡である。

銀の手鏡
ケニオン・コックス《銀の手鏡》1907年。館の記録では、油彩・カンヴァス。61.2×50.8センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。ケニオン・コックス《銀の手鏡》スミソニアン協会蔵

縦長の画面である。

61.2×50.8センチある。

背景は、暗い緑の織物である。

織物には、大きな花の文様がある。

文様は地の色に近く、目立たない。

中央に、女性が座る。

上半身は裸で、腰から下に赤い布が掛かる。

布は厚く、大きな襞を作る。

襞の谷は暗く、山は明るい。

赤は、画面で最も強い色である。

顔は伏せられ、目は下を見る。

髪は赤褐色で、頭の上でまとめられる。

左手は、膝の上に置かれる。

その手に、丸いものを持つ。

丸いものは、暗い色である。

縁には、細い光の線がある。

手鏡である。

鏡の面は、こちらを向いていない。

見えているのは、裏の飾りの面である。

飾りの文様までは、描き分けられていない。

だから、何も映っていない。

手鏡は、持つ人にだけ見える道具である。

こちらからは、いつも裏しか見えない。

描かれた鏡の多くが、そうなっている。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

題には、銀という語とガラスを意味する語がある。

つまり銀は枠で、ガラスは鏡である。

しかし画面では、鏡の裏側しか見えない。

九点のうち、ガラスが題にあって見えないのは、この一点である。

題は、材料を二つ挙げている。

銀とガラスである。

しかし画面に見えるのは、暗い円板だけである。

この画家の別の仕事については、壁画の下絵で扱った。

数えてみると

九点を並べ直す。

ガラスの器そのものは、二点である。

耳飾りと、型吹きの瓶。

窓のガラスが、一点。

ガラスの器が描かれたり写されたりしているのは、三点である。

写真の器、油彩の花瓶、そして版画の杯。

ガラスが鏡を指しているのは、二点である。

残る一点は、静物の中の暗い瓶と透明な杯である。

もう一つ数える。

九点のうち、ガラスが透けていないのは四点である。

耳飾り、型吹きの瓶、静物の中の暗い瓶、そして二つの鏡。

数え直すと五点になる。

耳飾りは色が詰まり、瓶は乳白色で、静物の瓶は暗い。

鏡は裏に金属が貼られている。

理由はそれぞれ違うが、結果は同じである。

透けるガラスのほうが、少ない。

さらに数える。

九点のうち、館の記録の材料の欄にガラスという語があるのは四点である。

耳飾り、瓶、円板、そして化粧鏡。

残る五点では、ガラスは題か説明文の中にある。

描かれたガラスは、材料の欄に載らない。

載るのは、絵の具と支持体だけである。

描かれたものは、材料ではないからである。

言えることと、言えないこと

言えるのは、ガラスが「透明であることを前提にできない材料だ」ということである。

古い時代のガラスは、石の代わりだった。

色を詰めて、透けないように作った。

鏡は、裏に金属を貼って透けなくしたものである。

九点のうち五点で、ガラスは向こうを見せていなかった。

言えないのは、絵の中のガラスが透明に描かれるという話である。

版画では、輪郭の線が重なるだけである。

油彩では、光の線が数本走るだけである。

写真では、縁だけが白く光る。

どれも、透明そのものを描いてはいない。

透明であることのしるしを描いている。

しるしは、三つに絞られる。

縁の光、向こう側の透け、そして輪郭の重なり。

三点とも、そのどれかを使っていた。

最後に、はじめの一つへ戻る。

三千年前の耳飾りは、いまも青い。

ガラスは、色が褪せない。

そして割れなければ、そのまま残る。

同じ時代の布も木も、ほとんど残っていない。

九点を数え終えて残るのは、透明さではなく、残ることのほうである。

窓の板も、四百年前のまま色が変わっていない。

静物に描かれた杯のほうは、おそらく残っていない。

描かれたガラスと、残ったガラスは別のものである。

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