実は、高さで読める——若冲・デポルト・ティファニーほか九点

等身大の立像である。
台座を含めて182.2センチある。
若い男が、まっすぐ立っている。
体重は右脚にかかる。
左脚はわずかに前へ出る。
右腕は肘を曲げ、手を頭のほうへ上げている。
左腕は肩の高さで曲がり、手が空を握るように開く。
顔は上を向き、目は閉じられている。
体の表面は滑らかで、赤みを帯びた暗い色をしている。
館の記録では、この像はこの作者の現存する最初の等身大の彫刻である。
そして、もとは片手に槍を持っていた。
武器を外すことで、物語を示すしるしを取り去ったという。
当時の人々はあまりに写実的だと感じ、生きた人から型を取ったと疑ったと記録は書く。
そして館は、この一体の鋳造についても書いている。
館の理事が1916年に注文し、作者自身が細かく監督した。
仕上げには、作者の好んだ色の被膜が使われた。
その色を、作者は潰した葡萄と呼んでいたという。
館の記録は、その言葉をそのまま記している。
つまりここでの葡萄は、青銅の色の名である。
画面にも、像にも、実はない。
葡萄の色と呼ばれるのは、赤みを帯びた暗い褐色である。
青銅は、時間とともに緑に変わる。
その変化を抑え、赤みを保つために、薬品で被膜を作る。
つまりこの色は、金属の性質と、人の手当ての結果である。
果物の名がその色に付いたのは、色が似ているからにすぎない。
しかし名前が付くと、その色は果物を思わせるようになる。
九点のうち、実の名が色に付いているのは、この一点だけである。

横長の版画である。
画面の上には、枠に囲まれた文字がある。
歌が記されているらしい。
その下は、山あいの情景である。
手前に、細い川が流れる。
川には橋が架かる。
岸には、人が数人いる。
荷を背負う者、杖をつく者。
奥には、山の稜線が重なる。
山肌には木がまばらに生える。
空は薄い藍で、上へ向かって濃くなる。
館の記録は、題と技法しか書いていない。
題にある歌人の名の頭に、柿の字が入っている。
しかし画面のどこにも、柿の実はない。
つまりこの実も、人の名の中にだけある。
九点のうち、実が名前になっているのは、この一点と、色の名の一点である。
連作という形も見ておきたい。
百人の歌人の歌を、一枚ずつ絵にする組である。
歌の内容を絵にするのではなく、歌に添う情景を描く。
だから画面には、歌の言葉そのものは現れない。
上の枠の中に、文字として置かれるだけである。
見る人は、まず歌を読み、それから下の情景を見る。
歌人の名の柿の字も、その枠の中にある。
絵と文字は、同じ紙の上で役割を分けている。
数えてみると
九点を並べ直す。
実が枝や蔓に付いているのは、四点である。
鶏の上の房、吊るされた二房、豹の頭上の房、そしてガラスの笠の房。
切られて置かれているのは、三点である。
台に積まれた房、収穫の籠、そして卓の上の石榴。
そして二点では、実は色の名と人の名になっている。
つまり九点のうち五点で、実は食べる対象として描かれていない。
飾りであり、意味であり、色の名であり、人の名である。
食べられるものとして描かれているのは、収穫の一点と、台に積まれた一点だけである。
もう一つ数えておく。
九点のうち、葡萄の粒が一つずつ描き分けられているのは五点である。
粒を数えられるかどうかは、房の描き方を分ける印になる。
一つずつ描けば、光の点も一つずつ入る。
塊として描けば、房全体が一つの面になる。
ガラスの笠では、粒はガラス片そのものである。
数えられる粒が、そのまま材料の単位になっている。
そしてもう一つ、葉の色も数えておく。
九点のうち、葉が枯れかけているのは二点である。
吊るされた二房と、台に積まれた房。
どちらも切られたあとの実である。
枝に付いたままの実では、葉は緑のままである。
葉の色が、実の状態を告げている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、実が「高さ」で読める果物だということである。
枝に付いている実は、人や獣の頭より上にある。
切られた実は、台の上か、膝の上にある。
九点のうち四点で、実は見上げる位置にあった。
そして三点では、手の届く高さに下りている。
高さが変われば、実の役目も変わる。
見上げる実は、まだ誰のものでもない。
下りてきた実は、すでに誰かのものである。
上にあるうちは眺めるもので、下りてくれば食べるものになる。
言えないのは、それが東西で分かれるという話である。
若冲の掛幅でも、房は鶏の頭上にあった。
ティファニーの笠でも、房は頭上にある。
高さの使い方は、土地を越えて同じである。
分かれているのは、実が誰のためにあるかである。
鶏は見上げず、豹は届かず、人は摘み取る。
同じ高さの実が、見る者によって別の意味を持つ。
最後に、はじめの一幅へ戻る。
葡萄は画面の上半分を占め、鶏は下で地面をついばんでいた。
二羽とも、上を見ていない。
頭上に実があることを、鶏は知らない。
見上げているのは、絵を見る側だけである。
掛幅は床の間に掛けるので、房は目の高さより上に来る。
つまり見る人の姿勢まで、この構図に含まれている。
九点を数え終えて残るのは、その見上げていない二羽のほうである。









