作品を知る

実は、高さで読める——若冲・デポルト・ティファニーほか九点

収穫の場面で、実は運ばれる

五点目は、大きな油彩である。

葡萄の収穫と踊る農民の子どもたち(二点一組)
ル・ナン《葡萄の収穫》1650年代。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで92×121センチ。番号は1958.175。クリーヴランド美術館蔵。葡萄の収穫と踊る農民の子どもたち(二点一組)》クリーヴランド美術館蔵

横長の大きな画面である。

92×121センチある。

画面の中央に、若い女が座っている。

裾の広い衣を着て、こちらを見ている。

そのまわりに、子どもが数人いる。

みな丸い顔で、髪が短い。

女の膝のあたりに、葡萄の房がある。

籠に入っているものもある。

画面の左奥は暗く、木の陰になる。

そこに男が数人いて、器を持っている。

背景には低い丘が続く。

空は灰色で、雲が広がる。

館の記録では、十七世紀の半ばに、下層の人々を描くことへの関心が戻ってきた。

この画家たちは、田園の情景に立ち返る絵を描いたという。

そして、日々の仕事をする普通の田舎の人々をよく描いた。

自分たちが子どものころに見た主題と人物である。

館の記録は、そう説明している。

そして館は、この一点が対になる絵を持つことも書いている。

もう一枚は、踊る農民の子どもたちを描いている。

さらに、この絵が別の画家の作とされることもあると付け加える。

つまり作者は、完全には定まっていない。

九点のうち、実が収穫の場面に置かれているのは、この一点である。

そして館の記録は、画面の中身についても率直に書いている。

奥の日陰では、気のよい、しかし品のない男たちが酒を飲む。

中央では、丸い顔の子どもに囲まれた若い女がこちらへ微笑む。

その微笑みは、酔った連れの手が忍び寄っていることに気づいている、と記録は読む。

つまりこの絵は、収穫の労働ではなく、収穫のあとの時間を描いている。

葡萄は、酒になる前の姿として置かれている。

籠の中の房は、まだ実のかたちを保っている。

天井から、葡萄棚が下がる

六点目は、ガラスの笠である。

葡萄棚文様の吊りランプ笠
ティファニー・スタジオ《葡萄棚文様の吊りランプ笠》1905年から10年ごろ。館の記録では、鉛線で組んだガラスとブロンズ。径76.2センチ。番号は2018.270。クリーヴランド美術館蔵。ティファニー・スタジオ《葡萄棚文様の吊りランプ笠》クリーヴランド美術館蔵

大きな円い笠である。

径は76.2センチある。

面は、小さなガラス片を鉛の線でつないで作られている。

ガラスは色ごとに分けられている。

上のほうは、緑と黄緑である。

葉の形をしている。

葉のあいだに、紫と青のガラスが集まる。

一つずつの片は小さく、粒のように並ぶ。

葡萄の房である。

縁のほうへ行くと、色は濃くなる。

鉛の線は、葉脈と蔓の役をしている。

館の記録では、この作り手は自分の庭の草花から意匠を取らせた。

庭からの切り花を、ほぼ毎週工房へ送ったという。

そして、女性の意匠家たちが率いる組が、花の文様を作った。

その文様は、もっとも求められ、商業的にも成功したものになったと記録は書く。

さらに館は、この笠の掛け方についても一行を添えている。

天井の近くに吊るすように設計されている。

葡萄棚を思わせるためである。

つまり見上げれば、葉と房が頭上にある。

自然を写したガラスについては、自然を写したガラスで扱った。

灯りを入れると、この笠は裏から照らされる。

ガラスは色ごとに厚みと濁りが違う。

薄いところは明るく、厚いところは暗く沈む。

つまり房の丸みは、ガラスの厚みで作られている。

絵の具ではなく、材料そのものが陰影を持っている。

消灯すれば、色は沈み、鉛の線だけが目立つ。

一つの器が、明かりの有無で二つの見え方を持つ。

部屋の中に、石榴が置かれる

七点目は、板絵である。

受胎告知とキリスト降誕
ジャウマ・フェレール(子)《受胎告知とキリスト降誕》1457年ごろ。館の記録では、板に油彩とテンペラと金。額なしで172×124.7センチ。番号は1953.660。クリーヴランド美術館蔵。ジャウマ・フェレール(子)《受胎告知とキリスト降誕》クリーヴランド美術館蔵

大きな板絵である。

172×124.7センチある。

上下に二つの場面が並ぶ。

上の場面は、室内である。

左に翼のある人物が立ち、右に女性が座る。

床には、白い花を挿した器がある。

蓋のある壺と、水差しも置かれる。

そして卓の上に、丸い実がある。

実の上部には、王冠のような突起がある。

石榴である。

そのそばに、赤い実がもう一つある。

林檎らしい。

書物が二冊、閉じたものと開いたものが置かれている。

背景は金で、細かい浮き出しの装飾がある。

館の記録では、これは六枚組の祭壇画の残りとされる。

中央の大きな板は、別の館にあるという。

そして館は、室内の品々の意味を書き出している。

百合は清らかさ、蓋のある壺と水差しは侵されないこと。

石榴は復活を、林檎は堕落を指す。

二冊の書物は、古い契約と新しい契約を指す。

館の記録は、そう並べている。

つまりこの実は、食べものではない。

意味を担うために置かれている。

金の背景の作り方については、金地と祈りの文でも扱った。

石榴という実の作りも、その意味に関わっている。

外は硬い皮で覆われ、割れば中に赤い粒がびっしり詰まる。

一つの実の中に、無数の粒がある。

その構造が、多くのものが一つに含まれるという読みを呼ぶ。

ただし、この画面の石榴は割れていない。

閉じたまま卓に置かれている。

中身は描かれず、意味だけが記録に書かれている。

見えるのは、丸い形と、上部の突起だけである。

実の名は、色の名になり、人の名になる

最後の二点で、実は語になる。