光輪に打ち込まれた祈り——サーノ・ディ・ピエトロほか九点
金の輪の縁に沿って、細かい文字が弧を描いている。九点のうち四点は、まったく同じ一句である。百五十年にわたって、同じ言葉が繰り返された。綴りの揺れまでそのまま写す館の欄から、職人の手つきを読みたい。金の上に打たれた一句を追いたい。

光の輪に、文字が並ぶ
絵画を九点、銘記の欄で並べてみる。
九点とも、聖人の頭の後ろに輪がある。
金色の、平たい円である。
その輪の縁に沿って、文字が並ぶ。
館の記録は、光輪の中に、と位置を書く。
輪は細い。
だから、文字も小さい。
しかも、曲線に沿って書かれる。
読むには、首を傾けるしかない。
同じ一句が、四点に出る
九点のうち四点には、同じ文が書かれている。
天使が聖母に告げた言葉である。
めでたし、恵みに満ちた者よ。
主は汝とともにあり。
新約聖書の一節から取られている。
四点の画家は、それぞれ別人だ。
年も、百五十年ほど離れている。
それでも、同じ一句が選ばれた。
つまり、決まった句だったということである。
輪の形は、時代で変わる
光輪の描き方には、移り変わりがある。
古い板絵では、頭の後ろに平たい円を置く。
金地の上に、線で縁取る。
やがて、円を斜めに傾ける描き方が出てくる。
人物が横を向けば、輪も楕円になる。
さらに時代が下ると、輪は細い線だけになる。
最後には、光の輪郭だけが残る。
輪が細くなれば、文字は入らなくなる。
九点のうち、細い輪の絵には文字がない。
代わりに、別の場所が使われる。
決まり文句を、どう扱うか
同じ句が繰り返されるとき、記録はどうするか。
省略しない。
四点とも、全文を写す。
そして、括弧に訳を入れる。
さらに、出典の章と節まで書く。
同じことを四回書くのは、無駄に見える。
しかし、無駄ではない。
四点とも書いておけば、あとで数えられる。
何点にこの句があるか。
どの地域に多いか。
数えるためには、一点ずつ書く必要がある。

縦長の小さな板である。
中央に、女性が上半身で描かれる。
濃い青の衣を、頭からかぶる。
胸の前に、幼児を抱く。
幼児は桃色の衣を着る。
女性の顔は、やや下を向く。
その左右に、白い髭の老人が並ぶ。
上の左右に、天使の顔が集まる。
いずれも頭の後ろに、金の輪がある。
地は金で、平らである。
輪の縁に、細かい文字が打たれる。
塗るか、打つか
金地の文字には、二つの作り方がある。
一つは、打ち込む方法。
もう一つは、絵具で描く方法。
打ち込めば、金の色のまま線が出る。
描けば、黒や赤の線になる。
九点のうち、打ち込んだものが多い。
理由は、消えにくいからだろう。
絵具は剥がれるが、くぼみは残る。
もっとも、金そのものが剥がれれば、くぼみも消える。
打ち込む、という技法
金地の絵では、文字を塗らないことがある。
先の尖った道具で、金の面を打つ。
打てば、小さなくぼみができる。
くぼみが並べば、線になる。
線が並べば、文字になる。
つまり、彫るのに近い。
こうすると、光の当たり方で文字が浮かぶ。
正面から見ると、見えにくい。
斜めから見ると、はっきりする。
見る位置によって、現れたり消えたりする。
板の大きさと、置かれた場所
九点の寸法を見ておく。
いちばん小さいのは、縦31.5センチの板。
いちばん大きいのは、縦238.3センチの板である。
小さいものは、個人の家に置かれた。
寝室や書斎に掛け、日々の祈りに使う。
大きいものは、教会の祭壇に立つ。
大勢が見上げる。
置かれる場所が違えば、見る距離も違う。
近くで見る絵の文字は、小さくてよい。
遠くから見る絵の文字は、大きくなる。
教会の中で、動きながら見る
この見え方は、偶然ではないだろう。
板絵は、教会の中に置かれた。
蝋燭の光が揺れる。
人は、その前を歩く。
歩けば、角度が変わる。
角度が変われば、文字が浮かぶ。
止まって見るための絵ではない。
動きながら見る絵である。
打ち込んだ文字は、その動きに応える。
誰が文字を打ったか
金地に文字を打つのは、画家自身とは限らない。
工房には、金箔を扱う職人がいた。
地を貼り、磨き、模様を打つ。
その職人が、文字も打った可能性がある。
だとすれば、綴りの揺れも説明がつく。
読めない職人が、下絵をなぞる。
一文字ずれても、気づかない。
館は、そこまでは書かない。
書かれるのは、揺れた結果だけである。
綴りが、揺れる
四点のうち一点は、綴りが違う。
満ちた、という語の一文字が入れ替わっている。
館は、書かれたとおりに写す。
そして、括弧の中で正しい訳を示す。
つまり、間違いを直さない。
なぜ揺れたのか。
写す元がなかったのだろう。
耳で覚えた言葉を、そのまま書いた。
読み書きが誰にでもできる時代ではない。
金地に文字を打つ職人が、意味を知らなかった可能性もある。

縦長の板である。
中央に、女性が上半身で描かれる。
濃い緑の布を、頭からかぶる。
内側は赤い衣である。
胸の前に、幼児を抱える。
幼児は白い布をまとう。
女性の顔は、やや右に傾く。
左右に、二人の男性が並ぶ。
一人は白い髭、一人は剃った頭である。
地は金で、輪郭が浮き上がる。
聖母の輪に、文字が弧を描く。
同じ町で、同じ句が
四点のうち三点は、同じ地方の絵である。
イタリア中部の、丘の上の町。
そこには、大きな工房がいくつもあった。
互いに近く、弟子も行き来する。
同じ句が使われるのは、自然なことだ。
見て覚え、真似て描く。
型が受け継がれる。
前の回で、署名の型が家に受け継がれる話をした。
祈りの句も、同じように受け継がれた。
同じ句が、百五十年続く
四点の年を並べてみる。
1335年ごろ。
1460年から1470年ごろ。
1465年から1470年ごろ。
1480年から1485年ごろ。
いちばん古いものと新しいもので、百五十年の差がある。
そのあいだ、同じ句が使われ続けた。
書き方は少しずつ違う。
点の打ち方、略し方、綴り。
しかし、内容は変わらない。

縦長の板である。
中央に、女性が座る。
深紅の衣に、金の模様が散る。
その上に、濃い緑の布を掛ける。
膝の上に、裸の幼児を立たせる。
幼児は右手を上げる。
左に、白い髭の老人が本を持つ。
右に、若い女性が並ぶ。
上の左右に、天使の顔が覗く。
地は金で、光輪が幾重にも重なる。
聖母の輪に、文字が並ぶ。
略し方に、癖が出る
四点の句は、どれも途中で略される。
輪が短いから、全部は入らない。
どこで切るかは、絵によって違う。
最後の二語をまとめて略すもの。
一語だけ残して略すもの。
頭文字だけを残すもの。
館は、略された部分を角括弧で補う。
補いは、前後から判断したものだ。
判断だから、絵ごとに変わる。
括弧の位置が、略し方の違いを示している。
いちばん古い一点
四点のうち、いちばん古いのは十四世紀の板である。
こちらは、句の書き方がやや長い。
呼びかけの語が加わる。
つまり、めでたし、マリアよ、という形だ。
四点の中で、この一点だけが名を呼ぶ。
省略の仕方も違う。
館は、省略された部分を角括弧で補う。
補いは、前後から判断したものである。

縦長の板である。
中央に、女性が玉座に座る。
濃い青緑の衣が、体を包む。
襞が、細い線で刻まれる。
膝の上に、赤い衣の幼児が座る。
幼児は右手を上げる。
女性の左右に、小さな天使が並ぶ。
天使は白と赤の衣を着る。
地は金で、傷みが見える。
玉座は赤く、背が低い。
聖母の輪に、文字が回る。
名札としての文字
光輪に名を書くのは、宗教画に特有ではない。
肖像画でも、人物の脇に名を置くことがある。
前の回で、頭の上に称号を書いた例を見た。
やっていることは同じである。
姿だけでは分からないから、名を添える。
ただし、光輪に書くと意味が加わる。
その人が聖人であることも、同時に示せる。
輪があること自体が、聖人の印だからだ。
一つの場所が、二つの情報を運ぶ。
名を書き入れる、という使い方
九点のうち一点は、祈りではなく名が書かれる。
三人の聖人の輪に、それぞれの名が入る。
左から順に、洗礼者の名、聖母の母の名、聖母の名。
つまり、誰が誰かを示すための文字である。
この絵には、女性が三人と幼児が描かれる。
姿だけでは、見分けがつきにくい。
だから、輪に名を書く。
光輪が、名札の役目をしている。

縦長の板である。
中央に、頭巾をかぶった年配の女性が座る。
白い布を、頭から肩へ垂らす。
その膝の前に、赤い衣の女性が座る。
膝に、裸の幼児を横たえる。
右に、緑の衣の若い女性が立つ。
左に、褐色の衣の男性がひざまずく。
その足もとに、白い羊が伏せる。
背後に、金色の柱と柱頭が立つ。
左奥に、明るい風景が開く。
三人の頭の後ろに、細い輪がある。
読めない光輪
九点のうち一点は、光輪の文字が読めない。
三つの輪に、それぞれ文字がある。
一つは、途中まで読める。
一つは、まったく読めない。
一つは、途切れ途切れに読める。
館は、読めた部分を写し、あとは印で示す。
さらに、たぶんこう読める、という留保を付ける。
読める部分から推し量った形だ。
読めないことを、細かく書き分けている。

縦長の小さな板である。
中央に、十字架が立つ。
その上に、人物が架けられる。
腰に、白い布を巻く。
左右の空に、小さな天使が浮かぶ。
天使は青い衣を着る。
十字架の左に、青い衣の女性が立つ。
右に、赤い衣の若者が立つ。
足もとに、二人の人物がひざまずく。
地は金で、上部に細かい模様がある。
各人の頭の後ろに、輪がある。
金属を嵌め込む、という作り
この一点は、絵であって絵でない。
板の中央に、金属の十字が嵌め込まれている。
真鍮に、人物と文字を浮き彫りにしたものだ。
つまり、彫金と絵が一つになっている。
こういう作りは、東方の教会の板絵に見られる。
金属は光を返す。
蝋燭の下で、そこだけが強く光る。
文字も、金属の面に彫られる。
打ち込む金地の文字と、考え方は近い。
別の文字体系で、書かれる
九点のうち一点は、文字が違う。
ラテン文字ではない。
東方の教会で使われる文字である。
館は、その文字であることを書く。
そして、光輪に聖人の名が記されている、と書く。
内容までは写さない。
写さないのは、別の言語だからだろう。
館の記録は、扱える範囲を正直に示している。
書けないことは、書けないと分かる形にする。

縦長の小さな板である。
中央に、銀色の金属の十字が嵌め込まれる。
十字は、横木が三本ある。
その表面に、人物と文字が浮き彫りにされる。
板の左右に、人物が並ぶ。
いずれも金色の衣を着る。
頭の後ろに、金の輪がある。
上の左右に、丸い形が描かれる。
地は黄褐色で、平らである。
下のほうに、小さな札が付く。
金属と絵具が、一つの面に同居する。
額の布に、文字を置く
九点のうち一点は、輪ではない。
聖母の額に巻かれた細い帯である。
そこに、短い祈りが書かれる。
受け入れたまえ、という意味の語で始まる。
つまり、輪の代わりに帯を使っている。
北の国々の絵では、光輪を細い線だけで描くことが多い。
線が細ければ、文字は入らない。
そこで、別の場所を探す。
額の帯は、その解決である。

細長い縦の板である。
中央に、年配の女性が座る。
黒い衣に、白い頭巾をかぶる。
その膝の前に、若い女性が座る。
赤い衣が、床いっぱいに広がる。
膝の上に、裸の幼児が座る。
幼児は、小さな本に手を伸ばす。
背後に、灰色の石の壁が立つ。
壁の上に、小さな彫像が並ぶ。
床は、色石を組んだ模様である。
若い女性の額に、細い帯が見える。
衣の縁に、書く
最後の一点は、衣の縁に文字がある。
聖母の外衣の、縁飾りの上である。
書かれているのは、復活祭の歌の一節だ。
天の女王よ、喜べ、という言葉である。
つまり、これも決まった句である。
館は、句を写し、訳を添える。
さらに、この句が何の歌からかを注記する。
出典を示すのは、確かめられるようにするためだ。
読む人は、その歌を探して全文を読める。

縦長の板で、上が丸く切られる。
中央に、若い女性が立つ。
濃い青の外衣が、体を包む。
裾が床に広がる。
内側は緑の衣である。
髪は長く、金色である。
その右に、年配の男性が立つ。
杖を持ち、赤い帽子をかぶる。
左に、天使と小さな人物が並ぶ。
上に、赤い天蓋が張られる。
地は金で、細かい草模様が打たれる。
円に沿って、文字を並べる
曲線に沿って文字を並べるのは、難しい。
一文字ずつ、角度を変えなければならない。
しかも、間隔を揃える必要がある。
外側と内側で、必要な長さが違う。
外側は長く、内側は短い。
だから、文字は少し扇形に歪む。
九点の輪の文字も、そうなっている。
近くで見ると、上が広く下が狭い。
歪みを承知で、円に合わせている。
光輪という、平面の道具
光輪は、頭の後ろの円である。
立体としては、成り立ちにくい。
正面から見れば円だが、横から見れば線になるはずだ。
しかし、多くの絵では常に円のままである。
つまり、写実の外にある。
写実の外にあるから、文字を置いてもよい。
現実の物なら、文字が書いてあれば理由が要る。
光輪は、はじめから記号である。
記号の上に文字を置くのは、矛盾しない。
見えない文字と、見える文字
九点の中で、いちばん読みやすいのはどれか。
おそらく、名を書いた一点である。
短く、はっきりしている。
いちばん読みにくいのは、光輪の祈りだ。
細く、曲がり、金の上に金で打たれる。
つまり、読ませる気があまりない。
それでも書かれている。
読ませることが目的ではないからだ。
書くことが目的だった。
そう考えると、九点の文字は二種類に分かれる。
誰が、その文字を読んだのか
教会に来る人の多くは、読み書きができなかった。
ラテン語なら、なおさらである。
では、誰のための文字だったのか。
一つは、聖職者のためだろう。
一つは、神への捧げ物としてだろう。
読まれなくても、そこにあることに意味がある。
そう考えると、この文字は掲示ではない。
祈りそのものである。
書くこと自体が、行いだった。
記録が、出典を書く理由
館の欄は、聖書の章と節まで書く。
これは、ほかの欄にはあまりない親切さである。
なぜ書くのか。
言葉が、絵の外にあるものだからだ。
画家が考えた言葉ではない。
千年以上前から伝わる文である。
だから、出どころを示せる。
示せるものは、示す。
そうすれば、読む人は元の文脈まで辿れる。
金地は、なぜ選ばれたか
九点のうち六点は、金の地に描かれている。
金は高い。
薄く延ばして貼るので、技術も要る。
それでも使われたのは、光を返すからだ。
蝋燭の光を受けて、板全体が輝く。
暗い教会の中で、そこだけが明るくなる。
打ち込んだ文字も、同じ理屈で光る。
材料が、見え方を決めている。
文字を打つ、道具と手つき
金地に文字を打つ道具は、小さな鏨である。
先端に、点や丸や星の形が彫ってある。
それを金の面に当て、槌で叩く。
一打ちごとに、一つのくぼみができる。
文字を作るには、何十回も打つ。
曲線に沿って、間隔を揃えて打つ。
手が狂えば、文字が歪む。
九点の光輪の文字は、いずれも整っている。
慣れた手の仕事である。
消えかけた文字と、金の傷み
金地は、傷みやすい。
薄い箔だから、こすれれば剥がれる。
剥がれれば、下の赤い下地が出る。
打ち込んだ文字も、一緒に消える。
九点のうち一点は、まさにそうなっている。
三つの輪のうち、二つがほとんど読めない。
金が減り、くぼみが浅くなったのだろう。
館は、その状態をそのまま書く。
読めないと書くことも、状態の記録である。
同じ句が、なぜ選ばれ続けたか
最後に、同じ句の繰り返しを考えたい。
四点に同じ文があるのは、偶然ではない。
その句は、毎日唱えられる祈りの冒頭である。
誰でも、耳で知っている。
読めなくても、そこに何が書いてあるか分かる。
つまり、読ませるための文字ではない。
思い出させるための文字である。
見た人が、その先を心の中で続ける。
書かれているのは、始まりの数語だけでよい。
記録が、九点を並べてくれる
一つの教会で、この四点を並べて見ることはない。
いま、記録の上でだけ並べられる。
四点の欄を読み比べれば、揺れが見える。
呼びかけの有無。
綴りの違い。
点の打ち方。
省略の仕方。
同じ句が、四通りに書かれている。
その四通りが、四人の職人の手つきである。
欄の中に、手つきが残っている。


