作品を知る

手は、切り離しても手である——カリアーリ・ドニ・サヴェージほか九点

体から切り離された四つの手、題だけが手と言う石版、手の形に合わせて取っ手を持たない急須。手の九点を数えると、画面に手が写るのは六点で、残る三点では手は器物の名や技法の欄にいた。手は省ける部分ではなく、単独で立てられる部分である。

手の習作(表)
カルレット・カリアーリ《手の習作(表)》クリーヴランド美術館蔵

手だけが、紙に残っている

青みがかった紙である。

27.5×17.8センチの一枚。

そこに手が四つ、描かれている。

体はどこにもない。

腕の途中で、線が消えている。

上の二つは、指をひらいている。

親指と人差し指のあいだが広い。

中指と薬指は、やや寄っている。

下の二つは、何かを握る形である。

握っているものは描かれていない。

木炭の線が重ねられている。

濃いところと薄いところがある。

白いチョークが、指の山に置かれる。

そこだけが浮き上がって見える。

関節の皺は、短い線で示される。

爪は、輪郭だけである。

指先は、紙の色のまま残る。

四つの手は、大きさが違う。

向きも、ばらばらである。

上の二つは、画面の外から入ってくる。

下の二つは、下の縁から立ち上がる。

紙の余白は、広く残されている。

同じ人の手かどうかは、わからない。

紙の下のほうに、茶色の字がある。

館はそれを、パオロの息子カルロと読む。

手の習作(表)
カルレット・カリアーリ《手の習作(表)》1586年ごろ。館の記録では、木炭に白チョーク・紙。27.5×17.8センチ。番号は1929.549.a。クリーヴランド美術館蔵。カルレット・カリアーリ《手の習作(表)》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この紙の用途を書いている。

ヴェネツィアの工房では、多くの注文を同時に進めた。

弟子たちの描く手が、ばらばらでは困る。

そこで、手本を作った。

この紙は、その手本である。

つまりこの四つの手は、誰の手でもない。

工房で使うための、共通の手である。

体から切り離されているのは、そのためだろう。

体がつくと、その人の手になってしまう。

はじめに見ておきたいのは、この切り離しである。

手は、体の一部でありながら、単独で扱える。

切り離しても、まだ手として読める。

腕も足も、そうはいかない。

途中で切れた腕は、腕の絵にはならない。

顔は、そうはいかない。

顔を切り離せば、それは肖像になる。

手を切り離しても、肖像にはならない。

題は手と言い、画面は手を見せない

石版の色刷りである。

画面は38.4×28.7センチ。

全体が、淡い緑と桃色でできている。

輪郭は、ほとんど引かれていない。

色の面が、にじんで重なる。

左下に、人の横顔らしいものがある。

目は閉じているように見える。

その上に、白い形が広がる。

衣なのか、雲なのか、決めがたい。

右上には、葉の形が並ぶ。

木の枝かもしれない。

画面の下の縁に、細い字がある。

館はそれを、題と同じ文だと記す。

《そしてそれは彼女の手の愛撫》である。

そしてそれは彼女の手の愛撫
モーリス・ドニ《そしてそれは彼女の手の愛撫》1899年。館の記録では、石版多色刷・織目紙。図版の寸法は38.4×28.7センチ。番号は2021.170.9。クリーヴランド美術館蔵。モーリス・ドニ《そしてそれは彼女の手の愛撫》クリーヴランド美術館蔵

題は、手の動きを言っている。

しかし画面で、手はほとんど見えない。

淡い色の重なりの中に、白い形が二つある。

それが手かもしれない、という程度である。

館の説明によれば、この連作は画家の妻を描いた。

画家はナビ派に属していた。

一八八九年に集まった画家たちの一群である。

主観と感情から、新しい様式を作ろうとした。

題は、画家自身の日記から採られている。

つまり題の文は、絵の説明ではない。

日記の一行が、絵の横に置かれている。

館は、この曖昧さは意図されたものだと書く。

見る側に、題と画面をつなげさせるためである。

ここで起きているのは、前の一枚の逆である。

カリアーリの紙では、手だけが残った。

ドニの一枚では、手だけが消えている。

残るのは、手が触れたあとの感じだけである。

王の手が、実を摘む

小さな絵である。

絵の部分は7.7×10.1センチしかない。

名刺よりも小さい。

紙の上半分は、文字で埋まっている。

細かな字が、十行ほど並ぶ。

絵は下半分にある。

左に、一本の木が立つ。

葉は丸く、密に描かれる。

実は赤く、小さな点である。

木の下に、人が五人いる。

右端の一人は、上を向いている。

腕を高く上げ、枝に手を伸ばす。

その手が、実をつかんでいる。

隣の人は、両手で器を持つ。

器の中にも、赤い実がある。

さらに右に、女が立つ。

口元へ、手を運んでいる。

その手にも、実がある。

籠を提げた人が、後ろにいる。

いちばん右には、鳥籠らしいものが見える。

王が自らの手で生命の樹の実を摘み、女に食べさせる(鸚鵡の物語より・第九夜)
スラジュー《王が自らの手で生命の樹の実を摘み、女に食べさせる(鸚鵡の物語より・第九夜)》1560年ごろ。館の記録では、樹脂テンペラ・墨・金・紙。絵の部分は7.7×10.1センチ。番号は1962.279.79.a。クリーヴランド美術館蔵。スラジュー《王が自らの手で生命の樹の実を摘み、女に食べさせる(鸚鵡の物語より・第九夜)》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、話の筋を書いている。

鸚鵡が、自分の命を守るために証を立てる。

生命の樹の実は毒ではない、と示す。

老人が実を食べ、若さを取り戻す。

それで鸚鵡の言い分が通る。

題には「自らの手で」とある。

王が人に摘ませず、自分で摘んだ。

その一点が、話の要になっている。

だから手は、ここでは証拠である。

誰の手が実に触れたかが、問われている。

絵は、それを律儀に描いている。

腕が伸び、指が枝にかかる。

ただし、指の一本一本は見えない。

絵が小さすぎるのである。

手は、輪郭だけの小さな塊になっている。

意味の重さと、画面での大きさは、比例しない。

一方の手に、蠍を持つ

白い磁器の像である。

高さは23.5センチ。

二人の人物が、岩の上で組み合う。

左の一人は、黒い肌に彩色されている。

頭に、象をかぶっている。

象の鼻と牙が、頭の上で曲がる。

これがアフリカとされる人物である。

右の一人は、花の冠をつける。

衣は桃色と黄色に塗り分けられる。

こちらがアジアとされる。

二人は腕をからめている。

アフリカの右手は、下へ伸びる。

その手の中に、小さな黒いものがある。

館の記録では、蠍である。

尾が、上へ巻き上がっている。

アジアの手は、相手の肩へ回る。

岩の足元には、壺や果物が置かれる。