書くは、人がいなくても残る——ベローズ・ドガ・青木木米ほか九点
跡が残れば、書いた人がいなくても伝わる。書くの九点を数えると、六点で書く人は画面におらず、残るのは書かれた文字か道具だけだった。声を失った父が名を書いて話す力を取り戻し、二百年後の人が余白に感想を書き足している。白い面をめぐる記録である。

紙を膝に乗せて、筆を止めている
横長の掛幅である。
画は49.5×60センチある。
軸を含めると、134.6×73.2センチになる。
地は、淡い黄褐色である。
背景には、何も描かれていない。
画面の中央に、女が座る。
床に直に座り、脚を横へ流す。
体は右を向く。
顔はやや下を向く。
目は、手元を見ている。
髪は結い上げられ、後ろへ張り出す。
簪が数本、放射状に挿さる。
衣は幾重にも重なる。
いちばん外は、青地に大きな花の文様である。
花は白く、丸く開く。
その内は、赤と白の細かい文様である。
袖は長く、床に垂れる。
裾は右へ大きく流れる。
膝の上に、白い紙がある。
紙は細長く、こちらへ向かって垂れる。
紙の面には、何も見えない。
右手は、紙の上にある。
指のあいだに、細い筆を挟む。
筆の先は、紙に触れていない。
左手は、紙の端を押さえる。
輪郭の線は太く、一気に引かれる。
肩から裾まで、線が途切れない。

館の札には「女性たち」と「書くこと」の二つがある。
つまり館は、これを書く図として登録している。
しかし紙の上には、まだ何も書かれていない。
筆は上がったままである。
書く前か、書いている途中か、決められない。
書くとは、面に跡を残すことである。
跡が残れば、その人がいなくても伝わる。
だから書く場面は、いつも未来へ向いている。
書くは、九つの場所に現れる
この一幅を出発点に、書くにまつわる九点を数えていく。
書くには、道具が要る。
筆か、ペンか、鉛筆である。
そして、書かれる面が要る。
紙か、板か、石か、器の底である。
先に言ってしまうと、九点のうち、人が書いている場面は三点である。
三点では、書かれた文字だけが残っている。
三点では、書くための道具だけが写っている。
つまり九点のうち六点で、書く人は画面にいない。
声を失った人が、名を書く
二点目では、書くことが話すことの代わりになる。

縦長の板絵である。
額なしで88.4×49.9センチある。
画面は、室内である。
奥に、寝台がある。
寝台には、緑の天蓋が掛かる。
天蓋は上で束ねられる。
寝台の上に、女が横たわる。
顔は白く、目を開いている。
その手前に、二人が座る。
左の一人は、赤い衣を着る。
膝の上に、板を置く。
板は白く、四角い。
右手には、細い筆を持つ。
筆の先は、板に触れる。
顔は下を向き、手元を見る。
その右に、青い衣の女が座る。
女は、小さな体を抱く。
赤子である。
右の奥には、扉がある。
扉のところに、もう一人が立つ。
床は、四角い石で市松に敷かれる。
右下の隅には、火鉢がある。
寝台の上には、丸い鏡が掛かる。
館の記録では、この場面はある家の室内として描かれている。
出産を終えた母が休み、その従姉妹が生まれた子を父に示している。
そして館は、書くことについて書いている。
父は、天使の予告を疑ったために話す力を失っていた。
そこで、子の名を書き記す。
その瞬間に、話す力が戻るという。
館の記録は、そう説明している。
つまり書くことは、声の代わりである。
そして書き終えた瞬間に、書く必要がなくなる。
九点のうち、書くことが一度きりの行為なのは、この一点である。
二百年後の人が、余白に書き足す
三点目では、書く人が後から来る。

画帖の最後の一葉である。
画は12.6×17.3センチしかない。
全体は21×22センチある。
紙は、淡い黄褐色である。
左半分は、ほとんど空白である。
薄い染みが、いくつか見える。
右半分に、文字が並ぶ。
文字は縦書きで、七行ほどある。
行の長さは、そろっていない。
上から下へ、次第に短くなる。
字は行書で、続けて書かれる。
墨は濃く、筆の勢いが残る。
払いの先が、細く伸びる。
最後の行の下に、小さな文字がある。
署名らしい。
その下に、赤い印がある。
印は四角く、小さい。
紙の右上には、丸い染みがある。
館の記録では、ある日本の画家が最後の頁に跋を加えている。
そして、この画家の絵がその地方の八人の名手の中でも珍しいことを述べているという。
さらに、それらが古い時代の名手に倣い、生の律動を捉えていると書く。
そして、こう記しているという。
この画帖を開くたびに、心が喜ぶ。
館の記録は、そう伝えている。
つまり書かれたのは、絵についての言葉である。
そして書いた人は、絵を描いた人ではない。
二百年以上あとの人である。
書き足しが、作品の一部になっている。
中国の巻物の印については、巻物の印で扱った。
素描の隅に、模特児の名を書く
四点目でも、書かれたのは名である。

縦長の紙である。
紙は46×30.5センチある。
紙は褐色に変わっている。
線は細く、黒鉛である。
画面の上のほうに、頭部が二つある。
左の頭部は、上を向く。
顔は苦しげで、口が開く。
右の頭部は、横を向く。
そちらは、輪郭だけである。
画面の中ほどには、もう一つの頭部がある。
その頭部は、横たわる。
目は閉じ、口が開く。
髪は乱れ、下へ流れる。
いちばん下にも、小さな頭部がある。
四つとも、同じ人物らしい。
顔の作りが似ている。
紙の右上に、文字が書かれている。
文字は二行で、小さい。
右下にも、別の文字がある。
館の記録では、この一枚はこの画家の三つの特徴を結びつけている。
完成した素描の力、捉えられた動きと表情、そして女性の姿勢への執着である。
最初の旅のあいだに描かれ、模特児を続けざまの姿勢と苦しみの表情で示すという。
そして館は、右上の文字について書いている。
そこに記された名は、模特児の名に違いない。
模特児の名と住所を習作に書いておくことは、画家たちのあいだで普通のことだった。
後で連絡を取りたいときの手控えになるからだという。
館の記録は、そう説明している。
つまり書かれたのは、絵の説明ではない。
仕事のための覚え書きである。
九点のうち、書かれた文字が実務のものなのは、この一点である。
石の上に、逆さまに描く
五点目では、書く面が石である。

縦長の版画である。
紙は29.7×22.6センチある。
画面の中央に、男が座る。
体は正面を向く。
頭は禿げ上がり、額が広い。
目は、まっすぐこちらを見る。
首には、蝶ネクタイを結ぶ。
上着は暗く、ボタンが並ぶ。
両手は、卓の上にある。
卓の上には、厚い板がある。
板は白く、四角い。
右手が、その板の上を動く。
左手は、板の縁に添えられる。
左手の指のあいだに、細いものがある。
煙草である。
先から、細い煙が上がる。
背後には、大きな枠がある。
枠は貝の形の飾りが付く。
鏡である。
鏡の中に、部屋が映る。
奥には、棚と瓶が並ぶ。
画面の下には、文字が刷り込まれている。
館の記録では、この自画像は自らを、まさにそれを作っている最中の姿として示している。
貝の形の枠の鏡に映った姿を、画家は熱心に見つめる。
そして、それを厚い石版の上に記録しているという。
その石版が、刷るために準備されて、この版画になる。
館の記録は、そう説明している。
さらに館は、この画家が書いた手紙を引いている。
冬のあいだずっと煙草を避ける身振りをしてきた。
たいてい左手でそうして、右手で火を点けていたという。
つまり画面の左手には、煙草がある。
そして館は、書かれた言葉を絵の説明に使っている。
九点のうち、書く面が石なのは、この一点である。
この画家の描いた都市については、都市で扱った。
器の底に、名を書く
六点目では、書く面が焼き物である。

きわめて小さい容器である。
全体は7.7×4.8センチしかない。
親指ほどの高さである。
形は、角の丸い四角柱である。
上に、白い口がある。
口は円く、外へ開く。
胴の四面には、文様がある。
地は白い。
その上に、青で枝が描かれる。
枝は細く、斜めに走る。
枝には、白い花が付く。
花は五弁で、丸い。
梅である。
花の中心には、小さな点がある。
地の青は、濃いところと薄いところがある。
底には、小さな脚が四つある。
底の面には、文字がある。
文字は青で、三字ほどである。
館の記録では、この作り手は料理屋の家に生まれた。
陶工であり、書家であり、画家であり、学者でもあったという。
そして館は、書かれた場所を細かく書いている。
作り手は、これらの器の底に署名した。
外側の木箱の蓋の表には、作り手が箱に書き、絵を描いたと記されている。
蓋の内側には、以前の持ち主の署名と印がある。
内側の箱の蓋にも、作り手が署名しているという。
さらに、その三面には墨と淡い色の絵があるという。
館の記録は、そう説明している。
つまり文字は、器と箱の四か所以上にある。
書かれた場所が、持ち主の順序を示している。
書くための箱が、四つに仕切られる
七点目から、道具だけになる。

金属の小箱である。
全体は16×21.3×14センチある。
色は、暗い緑がかった褐色である。
形は、横長の直方体である。
上の縁は、二重の輪で囲まれる。
側面には、細かい文様が並ぶ。
文様は、渦と葉の繰り返しである。
浮き彫りは浅い。
四隅に、支えがある。
支えは、人の姿である。
腕を上げ、箱の縁を持つ。
腰から下は、獣の脚である。
脚は下へ伸び、床に着く。
箱の下にも、細い脚がある。
蓋は、開いていない。
蓋の面にも、細かい彫りがある。
中央には、小さな環がある。
持ち上げるための環である。
中は、見えない。
館の記録は、内部について一行だけ書いている。
内部は四つの仕切りに分かれている。
書く道具と、乾かすための砂を入れるためだという。
館の記録は、そう説明している。
つまり中身は、いま入っていない。
書く道具は、失われている。
残っているのは、それを入れる形だけである。
四つの仕切りの寸法から、道具の大きさが分かる。
砂を入れる場所も、そこにあった。
砂は、乾かないインクの上に振りかける。
書いたあとに、必ず要る道具である。
九点のうち、中身のない容器は、この一点である。
文具台の、蓋だけが残る
八点目では、道具の一部だけが残る。

横長の平たい蓋である。
地は白い。
縁は波打ち、細かい山と谷が続く。
面には、花の枝が描かれる。
枝は左右へ広がる。
花は橙と青と緑である。
花は小さく、数が多い。
葉は細長く、先が尖る。
枝のあいだに、小さな虫がいる。
虫は翅を広げる。
蓋の中央に、摘みがある。
摘みは、小さな鳥の形である。
鳥は緑と褐色で、頭を上げる。
蓋の面は、平らではない。
いくつかの段がある。
段の位置に、下の仕切りがあったらしい。
館の記録では、この窯は別の町の窯から分かれたものである。
様式は、その町の後期の多色の作によく似ているという。
そして館は、文様について書いている。
この文具台を飾る様式化された花と虫は、この窯のものとしてまったく典型的であるという。
つまり文様が、どこで作られたかを示している。
作り手の名は、記録にない。
窯の名だけが、作者の欄に入る。
書く道具を作った人は、書き残していない。
名を残すのは、書く人のほうである。
道具は、窯の名で呼ばれる。
館の記録は、そう説明している。
つまり残っているのは、蓋だけである。
下の台は、失われている。
題も、蓋であることを明記している。
蓋の段差から、下の仕切りの数が読める。
三つか四つに分かれていたらしい。
インク壺と砂壺と、筆を置く溝である。
先の金属の小箱と、同じ構成である。
二百年を隔てて、同じ仕切りが要る。
九点のうち、部分だけが残るのは、この一点である。
机と道具が、贈り物として摺られる
最後の一点でも、道具だけである。

小さな版画である。
20.8×18.1センチしかない。
紙は、淡い黄褐色である。
画面の下半分に、机がある。
机は低く、脚が短い。
天板は黒く、金の文様が散る。
文様は、菊の花らしい。
机の上に、箱が載る。
箱は蓋が開き、斜めに立てられる。
箱の内側は、赤い。
その中に、細長いものが数本ある。
筆である。
筆の軸は黒く、先が細い。
机の右には、丸い器がある。
器は白く、口が広い。
水を入れる器らしい。
その手前に、平たい黒いものがある。
硯である。
面はわずかにくぼむ。
くぼみに、墨が溜まる。
手前の端が、少し欠けて見える。
画面の上半分には、文字が並ぶ。
文字は縦書きで、七行ある。
右上には、赤い印がある。
印は小さく、四角い。
摺物の版元か、詩の作者の印らしい。
館の札には「筆記具」と「机」がある。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
摺物は、私的に配られる版画である。
つまり書く道具の絵が、贈り物として配られる。
そして画面の上半分は、文字で埋まっている。
文字は仮名が多く、行が短い。
和歌らしい。
つまり道具の絵の上に、その道具で書かれたものが並ぶ。
書く道具と、書かれた文字が、一枚に並んでいる。
ただし、その文字は摺られたものである。
手で書かれてはいない。
書かれた形を、版が写している。
九点のうち、文字が版で作られているのは、この一点である。
数えてみると
九点を並べ直す。
人が書いている場面は、三点である。
文を書く遊女、名を書く父、石に描く画家。
書かれた文字だけが残るのは、三点である。
後から加えられた跋、模特児の名、そして器の底の署名。
書く道具だけが写るのは、三点である。
金属の小箱、文具台の蓋、そして机と道具。
もう一つ数える。
九点のうち、書かれた文字が実際に読めるのは三点である。
跋の文、素描の隅の名、そして摺物の上半分。
残る六点では、文字は小さすぎるか、隠れているか、まだ書かれていない。
器の底の三字も、図版では見えない。
館の記録が、そこにあると書いているだけである。
見えない文字を数えられるのは、記録があるからである。
さらに数える。
九点のうち、道具が失われているのは二点である。
小箱の中身と、文具台の本体。
どちらも、入れ物の側だけが残った。
中身のほうが、先に失われる。
道具は使われ、減り、捨てられる。
筆は擦り切れ、墨は減る。
砂は、こぼれて消える。
減らないのは、入れ物と、書かれた面だけである。
九点のうち、面として残ったのは五点である。
紙が三点、板が一点、器が一点。
石だけは、刷ったあとに削られる。
次の絵のために、面が均される。
書いた跡は、そこで消える。
残るのは、刷られた紙のほうである。
入れ物は、飾りとして残る。
言えることと、言えないこと
言えるのは、書く場面が「まだ書かれていない面を含む」ということである。
最初の一幅では、紙は白いままだった。
筆は上がり、まだ触れていない。
書く前と書いた後は、同じ画面に入らない。
だから絵は、そのどちらかを選ぶ。
九点のうち三点は書く前を、三点は書いた後を選んでいた。
残る三点は、道具だけである。
道具は、書く前でも後でもない。
書かれていない時間の側にある。
そして三点とも、館に物として残っている。
描かれた場面より、道具のほうが長く残る。
言えないのは、書く人が画面にいるという話である。
九点のうち六点で、書く人はいない。
いるのは、書かれた文字か、書く道具だけである。
書くことは、人がいなくなっても残る。
残ることが、書くことの目的だからである。
最後に、はじめの一幅へ戻る。
紙は膝の上で、こちらへ垂れている。
こちらからは、面が見えている。
しかし、まだ何も書かれていない。
見る側は、白い面を見せられている。
九点を数え終えて残るのは、その白い面のほうである。
白い面は、何を書いてもよい面である。
書けば、決まってしまう。
決まる前の一瞬が、選ばれている。
書いてしまえば、文の絵になる。
書く前なら、書く人の絵になる。
題が「書く」であるのは、そのためかもしれない。
館の札も、書くことと登録している。
何を書くかは、記録にない。
相手も、内容も分からない。
分かるのは、書こうとしていることだけである。


