手は、切り離しても手である——カリアーリ・ドニ・サヴェージほか九点

館の説明は、これを食卓の飾りだと書く。
裕福な商人が、こうした像を集めた。
植民地の拡大で利益を得た人々である。
四大陸を並べることが、支配の印になった。
館はさらに、この造形を空想だと断っている。
四大陸を人の姿で表す図は、一五〇〇年代にさかのぼる。
一七〇〇年代に、それがいっそう流行した。
帝国が広がった時期と重なる。
アフリカもアジアも、行ったことのない場所である。
その空想の中で、手には役が割り振られている。
一方の手は、毒を持つものを握る。
もう一方の手は、相手に触れる。
握る手と、触れる手である。
どちらも、相手を必要とする。
握るには物が、触れるには人がいる。
この二つは、手の絵の基本形でもある。
物を持つか、人に触れるか。
九点のうち、ここまでの三点はすべて持つ手だった。
木炭の手は、見えない何かを握っていた。
王の手は、実をつかんでいた。
触れるだけの手は、ドニの一枚にしかない。
そしてそれは、見えなかった。
鼓の名に、手が入っている
摺物である。
20.2×18.1センチの、ほぼ正方形に近い紙。
画面の下半分に、女が座る。
衣は黒地で、花の文様が散る。
裾が大きく広がり、画面を横切る。
女は、右手を上げている。
顔の高さまで上がっている。
その手のひらが、開いている。
左手は、肩の前にある。
左手が支えているのは、細い胴の器物である。
鼓である。
胴は中央が細く、両端が広い。
紐が、縦にかけられている。
女の顔は、うつむいている。
視線は、鼓ではなく畳のあたりへ落ちる。
髪は結い上げられ、後ろに垂れる。
左上には、香炉が置かれる。
画面の上と右に、文字が縦に並ぶ。
赤い印が二つ、隅に押される。

館の札には「女性たち」「太鼓」「香炉」の三つがある。
手という札はない。
しかし題の英語には、手の語が入っている。
手で持つ鼓、という意味である。
日本語では、それを鼓と呼ぶだけでよい。
手は、器物の名の中に畳み込まれている。
この畳み込みは、道具の名にしばしば起きる。
手桶、手鏡、手燭。
どれも、手で持つことが名になっている。
英語でも同じことが起きる。
そしてそれが、館の記録に残る。
記録を機械で探すと、こうした名がまず出てくる。
画面に手が写っているかどうかとは、関係がない。
この一枚では、たまたま両方があった。
手も写り、名にも手がある。
しかし次の一点では、そうはいかない。
手のために、形が決まる
白い磁器の器である。
高さは蓋を入れて6センチ。
注ぎ口まで入れた幅が9.5センチ。
手のひらに載る大きさである。
胴は、丸く張っている。
上のほうで、すぼまる。
蓋は平たく、中央に小さなつまみがある。
注ぎ口は、短い。
ほとんど胴から出ていない。
取っ手はない。
胴の表面に、彫りが入る。
浅い線が、縦に走る。
釉は、乳白色である。
つやは、強くない。
全体に、角がない。

館の説明は、この器の持ち方を書いている。
煎茶を深く学んだ人が使う種類だという。
これは宝瓶と呼ばれる器である。
取っ手がないので、指で直接つまむ。
胴の上のほうが、手のひらに触れる。
片手であつかえるから、手さばきを見せられる。
そしてもう一つ、理由がある。
器に直接触れていると、湯の温度がわかる。
玉露は、湯の温度で味が変わる。
だから、手で測る。
ここでは、手は写っていない。
写っているのは、手のために決まった形である。
取っ手がないことが、手の位置を決める。
胴の張りが、手のひらの丸みに合う。
小ささが、片手で持てる重さに合う。
器物の寸法は、しばしば体の寸法から来る。
この器の6センチは、手の大きさの写しである。
前の一枚では、手は名の中にあった。
この一枚では、手は形の中にある。
どちらも、画面には写っていない。
書いた手が、名で呼ばれる
羊皮紙の一葉である。
27.3×19センチ。
画面は、上下二段に分かれる。
まわりを、赤と青の枠が囲む。
枠の中には、丸い文様が連なる。
上の段には、四人がいる。
左端の一人は、横たわっている。
体に、斑点が描かれる。
これがヨブである。
右の三人は、立つか座るかしている。
三人とも、手を前に出す。
指を立てている者がいる。
話している印である。
下の段には、二人がいる。
左の一人は、冠をかぶり、赤い衣を着る。
右の一人は、机に向かう。
手に、道具を持つ。
二人のあいだに、長い白い帯がある。
そこに、字が書かれている。

館の説明は、この一葉の出どころを書く。
もとは四巻本の扉だった。
本そのものは、いまもスイスの修道院にある。
そして、次の一文がある。
書写も彩飾も、修道院長フローウィンの手によるとされる。
ここで「手」は、人の名の代わりである。
誰が作ったかを、手で言っている。
画面の下の段にも、書く人が描かれている。
助祭ペトルスが、道具を持つ。
つまり、書く手が描かれ、書いた手が記録に残る。
二つの手は、同じではない。
描かれた手は、絵の中の人物の手である。
記録の手は、この紙に触れた人の手である。
館は、後者を三十点近い写本と結びつけている。
書く道具については、書くは、人がいなくても残るで扱った。