まっすぐ立つのは、疲れた人だけ——ブルトン・バスティアン=ルパージュ・北斎ほか九点の収穫

こんどは、うんと離れて見る。
画面の大半は、雲の湧く空と、こんもりした木立である。
その手前に、刈られた草の山が点々と並ぶ。
働く人の姿は、豆粒ほどにしか見えない。
空が画面の半分以上を占め、雲の白と木立の緑が主役を張る。
畑は、その下に細長く敷かれた一段にすぎない。
近づいて描けば労働の絵になり、離れて描けば風景画になる。
題の《収穫の時》は、人ではなく季節を指している。
刈られた草の山は、季節の目盛りとして置かれている。
イネスは、アメリカの風景画を叙情の方向へ育てた画家の一人である。
その画面では、人はいつも風景の一部として小さい。
この絵には、記録の欄の小さな謎もある。
年の欄は1864年と書く。
だが銘の欄には、画面右下の署名が「1861年」と読めるとある。
署名と目録で、三年のずれが残っている。
どちらが正しいかは、記録からは決められない。
年の欄が四通りに書かれた回で見たとおり、年の欄は一枚岩ではない。

離れ方には、もう一つの道がある。
こちらは、形そのものを溶かしてしまった。
金色の靄の中に、麦の束の影がにじむ。
空と畑の境も、はっきりしない。
題がなければ、収穫の絵と分かるかどうか。
記録の年の欄は「制作年不詳」である。
この作品の記録は、作者と題と技法と寸法で終わる短いものだ。
いつ、どこの畑を描いたのかは、欄のどこにもない。
ライダーは、記憶と想像で画面を練り上げる型の画家だった。
絵の具を何年も塗り重ね、完成を先延ばしにしたことでも知られる。
年の欄が埋まらないのは、この画家の場合、制作の仕方そのものでもある。
この《収穫》も、特定の畑の記録ではないと考えられる。
収穫という営みの、遠い残像のような一枚である。
九点の中で、いちばん形の少ない収穫だ。
それでも金色だけで、実りの季節は伝わってくる。

離れ方には、もう一つの道がある。
働く人を、風景の中の点にしてしまうやり方である。
刈り終えた田に、小さな稲の束が円錐に立ち並ぶ。
手前の男は、天秤棒の両端に束を提げて歩く。
その先では、背に高く積んだ男が畦を渡っていく。
右手の木の橋では、笠の人が三人すれ違う。
左には藁ぶきの家が数軒あり、稲を掛ける木の架が組まれている。
奥は水をたたえた入り江で、その向こうに山が重なる。
空の際だけが、細く赤い。
働く人はみな小さく、顔は描き分けられていない。
館の記録では、この秋の景色は北斎の《百人一首乳母が絵解き》の一枚である。
歌を絵で説き明かす揃い物で、これは天智天皇の歌にあたる。
右上の色紙形に、その歌が刷り込まれている。
館の記録では、歌はこう読める。
秋の田の、刈穂の小屋の粗いむしろに寝ていると、袖が濡れてくる。
露が重いのだろうか。
館の記録では、旅の途中で嵐に遭った天皇が、稲作りの小屋に身を寄せたという。
そこで、重い荷を負い、粗末な家に住む人々に涙したとある。
歌も絵も、収穫する側ではなく、それを見た側の作である。
画面の真ん中を行く旅人が、その見る側を代わりに務めている。
つまりこの一枚には、収穫を眺める人まで描き込まれている。
遠くから見た収穫の風景に、遠くから見る人が同居しているのである。
署名は「前北斎」、印は「万字」だと銘の欄にある。
版元と改印の名まで、記録は書き留めている。
イネスの空、ライダーの靄、北斎の入り江。
三点とも、働く人を風景の中の点にした。
近づけば労働、離れれば風景。
同じ営みが、見る距離だけで別の画題に変わる。
収穫は、麦だけではない

麦と稲の田から、春の山の斜面へ移る。
着物の女たちが、山の斜面にかがみ込んでいる。
籠を提げ、指先で蕨を摘む。
奥にも、点々と同じ姿。
《月耕随筆》という、さまざまな画題を渡り歩く揃い物の一枚だという。
麦を刈るのも収穫なら、蕨を摘むのも収穫である。
館の記録もこの図を、農の場面として説明している。
作者の月耕は、明治十八年の鑑画会の第一回展で頭角を現した。
のちに欧米の万国博覧会でも賞を得たという。
摘み草の女たちは、海の向こうの観客にも届く画題だった。
画面の上には、短冊形の題箋が刷り込まれている。
蕨は、春のわずかな期間しか採れない。
この絵の収穫は、麦のような蓄えの収穫ではなく、季節の味の収穫である。
腰をかがめる形は、落穂拾いの女たちとよく似ている。
地面の低みにあるものを集める体は、東西で同じ形になる。
この一枚は、2017年にクリーヴランドの収集家の遺贈で館に入った。
明治の摘み草が、百年あまりかけてオハイオに根を下ろしたことになる。

野の草から、葡萄の桶へ移る。
画面の真ん中で、裸の男が大きな桶の中に立っている。
頭には葉の冠、手には角の形の器を掲げている。
足の下は、踏みつぶされた実で埋まっている。
左手前では、笛を吹く男が寝そべる。
右では、別の男が樽をかかえて運び込む。
奥の丘にも、腕を上げた人影がある。
館の記録では、フランスのシフラールは19世紀の銅版画復興の重要な一人だった。
この一枚は、1865年の連作《銅版の即興》に入る。
用意した銅の板に、紙に描くのと同じように直接描いたという。
逸話めいた習作も、練り上げた構図も、同じやり方で作られた。
小ぶりな寸法で作られ、近くで一人で見ることを誘う版だと記録は読む。
版の右上には彫り込みの署名、左上には刷り師の名がある。
下には、パリの版元の名と住所まで刷り込まれている。
豆知識の欄には、この種の連作は時とともにばらばらになりやすいとある。
揃いのまま残っているのは、今では珍しいという。
さて、麦の収穫は労働の絵になった。
葡萄の収穫は、ここでは祭りの絵になっている。
同じ実りを集める仕事なのに、画面の温度がまるで違う。
葡萄は、集めたその場で飲み物に変わる作物である。
刈った麦は蓄えられ、踏まれた葡萄はやがて注がれる。
その先の違いが、絵の作法まで分けたのだと考えられる。
器と酔いの姿のほうは、酒の回でまとめて数える。
今回の九点は、記録の中の収穫の語で集めた。
麦と稲と干し草が六点、蕨が一点、葡萄が一点。
残る一点は、収穫の語のいちばん奇妙な使い方である。